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父親が歩いた道と私が立っている場所

どうしてか、父親と話をした方がいいと思った。


父の学生の頃の話や仕事の話など、昔の話を聞いた方がいいと思った。
元々私の父親はあまり社交的な人間ではなく、1人で籠もって本を読んだり、音楽を聞いたりする人間で、最近はめっきりチェロに凝っているのだが、先日初めて父親とビデオ通話をしたときに、カメラを通してその姿をみて、もっといろいろな話をした方がいい。と直感的に思ったのだった。

学生運動の話から始まり、(基本的に父親はその全盛期は高校生だった。あまり強い思い入れもなく、9月まで学校が封鎖をされていたので授業がなく、勉強をする癖がつかなかったのが学生運動が自分にもたらした悪い影響だといっていた)、まぁでも大体いつものように、私の生活を心配してその話になる。「今は仕事はあるのか?」「収入はあるのか?」父親は大学院を卒業してから一つの企業でずっと働き続けた人間なので、まず私のようにフリーランスというような不安定な生活を送ることがなかなか理解ができない。私のいつもの姿勢は「とりあえず、病気になる可能性もあるけども、お父さんとお母さんが生きている間は、私は大丈夫だと思う。何とか働いていくから。私自身が歳をとった時のことは、お父さんもお母さんも目撃しない、直接的に心を痛めつけることはないはずだから、今から心配しないで」である。まぁ勝手な言い分である。

その後、父親が働いていた頃の話になったのだが、初めて色々本音を聞くことになった。

「お父さんは本当に仕事のことがわかっていなかった。自分を可愛がってくれる上司がいて、海外に赴任して、日本に戻ってきて、ポンと部長の役職をもらった。なにもわかってないのに。

お客さんと泥臭い話をしないといけない場面も、よくわかっていない。ずっとそこにいて、お客さんと対峙していた部下の方がよっぽどわかっていて、周りの人もお父さんのことを慕ってくれるということはなかった。日々の業務はやっていたが、何も成し遂げられなかったし、内外からも信用を得られなかった。まぁだんだん会社も、これはあかんって気づくわな。お父さんも横柄なところがあった。結果3年で部長職は事実上、クビや。で、別の部署にうつって、それで10年は頑張ってやったけど、まぁそんな大したことはできなかった。


3年間はまぁ辛かった。それで、まぁそれからだいぶ後の話だが、定年退職するときに自分がやってきたことをある程度まとめないといけない時がきて、そこで形になったことが全然なかったことに改めて気づいて、鬱になったんや。」

「誰かに相談しなかったん?」と聞いたけど、「まぁそういうタイプじゃないわなぁお父さんは。」ってざっくり言ってたけど、娘はよくわかるその感じ。w

「お前はお父さんとは違うと思う。仕事の中身も理解しているし、人にもそれを教えられる。お父さんは本当にわかってなかったんやなぁ。」

と言っている父親の声は、とてつもなく切なく聞こえた。でもそれは私が今仕事で、人生で、悩んでいる真っ最中だから、勝手にそういう風に聞こえていたのかもしれない。彼自身はとっくに乗り越えたことなのかもしれない。

父親が当時抱えていた思いを、まぁ具体的にはもちろん違うのだが、若干今、私は追体験しているような気がした。全然違うと思う。父親の方が随分と重いをしていた。ただ、働くということを通して感じること。考えること。悩むこと。父親に「一緒にするなよ」って言われるかもしれないけど、とにかく、なぜが涙が止まらないのだった。

「お父さんは仕事のことを全然わかっていなかった」と何度も何度もつぶやいて。そんなことなかったんじゃないか、と私は思うけど、でも父親にとってそれは事実だったということ。

20年前の話、私はただ反抗していたな。

好きなことを見つけて、自分のできないことじゃなくてできることを見つめて、頑張ってください。が、父親からのメッセージだった。恐ろしく真っ当で当たり前のことなのだが、人生の終末に向かっている父親から聞くこの言葉はとても重みがあるものだった。


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