カメラなんてあっても無くても変わらない
まず初めにバンドマンがライブ中にカメラ写りを気にするなんてことはちゃんちゃら可笑しいのである。
意識するのは昨今流行の無観客配信ライブの時だけで良い。
そもそもなぜライブ写真というものが必要かという存在意義から考えれば当たり前である。
依頼をくださるバンドの方々がどのように考えて依頼をくださるかはそれぞれに考えがありそこら辺の事情は知ったことではないが
根本的には何月何日こんなにかっこいい、こんなに楽しいライブがありましたとかいう物の共有がメインであろう。
共有する相手も不特定であるが、その日会場に来てくれたお客様との振り返りの為
会場に来られなかったお客様へ少しでも雰囲気が伝わるようにと写真を活用するのではないのではないかと思う。
そこでだ
どのようにしたら写真がそう言った意味を持つのか。
結局は”ライブ”を大切にするしかないのだ。
バンドのことが好きでも、曲が好きなのであればこの御時世サブスクであったりMVといった物で足を運ばずとも楽しむことは出来る。
その中でわざわざ来てくださることを鑑みると
プラスアルファで意味を作らないと”ライブ”の価値が低くなってしまうのだ。
そこで話は戻るが
どうしたら写真を共有したいようになるのかといえば、ライブを良いものにするしか無いのだ。
良いライブとはどんなものが正解かというのはそれぞれ違うだろうから記述は控えるとして
バンドマンそれぞれ、この日のライブは良かった!という日が1日やそこらはあるだろう。
そんな日こそ共有したいのではないだろうか
さて、ここから本題に入るとして
どんな時が写真映えするのかということであるが
結局は自分達は楽しんでるだとかこんなにかっこいいんだぞだとかそんなことを来て下さったお客様に魅せつける事しかないと思う。
その魅せつけ方であるが、
例えばフロントマン
私も趣味の範疇でステージに立ったことがあるが緊張すると顔面はお客様の方へ向いていたとしても焦点が合わないというか、明確な視線が決まらない。
そこを最前にいる人へガンを飛ばす勢いで見つめてみたり会場全体を煽るにしても見渡してみたりなど
明確な視点を設ける事で活き活きとした表情が生まれる。
そこから見つめられたお客様は高揚し、それを見てまた晴れやかな表情になる。
相乗効果というか、空間を支配することが出来る。
またわかりやすくお客様に絡みに行ったりしても、「何やってんのコイツ」とか思われながらも良い表情を作り出せるので有効である。
次にドラムや鍵盤といったあまり動けない立ち位置の演者は
オーバーに身体でリズムを取ってみたり、わかりやすい手拍子などの煽りをすると目に見えて楽しんでいる事がお客様に伝わる気がする。
あとは弾き語りなどといった方々は何より自分の曲、世界観に酔ってしまったもん勝ちだと思っている。
総じて言えるのはライブというのはあくまで非日常であるから、カッコつけるにしろぶりっ子するにしろやるならやり切れということだ。
まぁわかりきった物をそのまま書き連ねてきただけであるが、改めて意識してみると面白いのかもしれない。
そうしたら
こんな写真や
こんな写真
こんなんや
こんな写真も
生まれて来るのであろうと感じている。
こういったタイミングはカメラマンも必ず見えているし、写真に納めていこうと努力していこうと考えている為
そこはどうか私達に任せて欲しい。
演者だろうがお客様だろうが楽しんでいる姿を撮ることが一番見る人が求めている物だと思う。
ポージングだとかそんなことを意識したい人は別途聞いてきて欲しい。
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