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「譲り合い」の時代を終わらせよう

譲り合いといえば、真っ先に思い浮かべるのは電車の優先席かと思います。
Google画像検索でも電車の優先席のイラストばかりがヒットするので、きっと我々の共通認識なのだろうと思います。

でも、ふと思ったんですよ。

譲り「合い」ではないよなって。

「譲り合い」の一方向性

「譲り合い」の意味を辞書で調べると、「互いに譲り合うこと」と書いてありました泣

……真面目に。

「探り合い」「殴り合い」といった言葉に見られるように、「合い」という表現は本来の意味に双方向性を付加しています。
「互いに◯◯すること」となるわけですね。
となれば、「譲り合い」の意味は「互いに譲ること」となるはずです。

では、電車の優先席は「譲り合い」が見られる場なのでしょうか?

……そう、あれはただ譲っているだけですね。
「譲り合い」の「合い」はどこへやら。

まあ実際問題、そんなことはどうでもいいのです。
現在までに、「譲り合い」という言葉の第一義は「譲ること」になったのです。
「譲り合い」というのは、実は一方向的なのです。

なぜこうなったかは分かりませんが、それを考えるときに「合い」という表現の双方向性が持つポジティブなイメージは特筆すべきでしょう。
そのおかげか、「譲ること」は我々にとってナチュラルになり、やさしい世界の実現に一歩近づいたのです。

「譲り合い」の双方向性

皆さんお気付きかと思いますが、「譲り合い」という言葉は多義的です。
第二義とはいえ、双方向的な「譲り合い」を我々は知っています。

例を挙げましょう。

T君とF君の2人は居酒屋で唐揚げを頼みました。

※コロナ前の写真です

さて、唐揚げは最後の1個になってしまいました。

T君「食べてええよ」
F君はどう対応するのでしょうか?

……

F君「いやいや、お前が食べえよ」

これが文字通りの「譲り合い」なのではないでしょうか。
世の中が譲る風潮となれば、図らずも譲り合うシチュエーションが生まれるのです。

しかし皆さんお分かりかと思いますが、このシナリオの行き先は「不毛」です。
T君とF君のいずれか一方が譲ることを止めなければループを抜け出すことができません。
これにより、最後の唐揚げが冷めていくという悲しい結末を享受することになるのです。
(もう冷めてるって?)

もっと結末を深刻にすることもできます。

人が二人並んで歩けるくらいの道を歩いていると、前から自転車がやってきます。
左に避けて道を譲ろうとすると、相手も同じことを思ったか、左に寄ってくる。
それならばと今度は右に避けるわけですが、相手も同じことを思ったか、右に寄ってくる。

私が動くのであなたはそのままでいいですよ、とお互いが譲り続けていると、その先には正面衝突という結末が待っています。
正面衝突まではいかなくとも、皆さんも似たような経験があるのではないでしょうか。

この例がまさに象徴的です。
「譲り合い」が持っている双方向性は、お互いに自分の矢印の先端を相手に突きつけるような関係性なのです。

譲るだけではなくて

言ってしまえば、譲ることを譲っていないのです。
この自己矛盾の原因は、まさに「譲り合い」という言葉にあると思っています。

「譲り合い」という言葉によって譲ることがメジャーになったのであれば、それは素晴らしいことだと思います。
しかし、ここで一度立ち止まるべきです。
なぜなら、「譲り合い」という言葉は《譲る側》の言葉でしかないからです。

我々の大多数は、《譲る側》に立つことばかりで《譲られる側》の立場に慣れていないのです。
むしろ、《譲られる側》は《譲る側になれなかった側》であると捉えてしまい、道徳の喪失すら感じてしまうのではないかと思います。
だからこそ、先に述べたシチュエーションが頻発するのです。

これからは、譲る意識に加えて譲られる意識を持つことが肝要と考えます。
相手が譲ったら、譲り返すのではなくて譲られてみましょう。
譲ることの本来の意義は、相手の主張を通してあげることから生まれるのですから。

T君「食べてええよ」

F君「ん、あざす」

となるのが一番気持ちのよいコミュニケーションだと私は思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。

譲られ慣れないまま歳をとると

きっと老害になります。

老人に優先席を譲ると「老人扱いするな!」とキレられた、という事例を聞いたときは本当に悲しくなりました。

この文章を書いた動機はここにあります。

きっと我々は歳を取り、譲られ続ける日々がやってくるのです。
きっと我々はその前に、頑固になって「最近の若者は……」とか言い出すのです。
(私は既に超頑固ですが)

頑固になる前に手を打たないと、手遅れになってしまうかもしれません。
私の備忘録として書き残すとともに、皆さんへ問題提起を行った次第です。

おわりに

「譲ること」は現在までに十分広まったと思います。

「譲り合い」の役目は果たされたのです。

これからは「譲られること」も初めから選択肢に入れてみましょう。

気持ちよく譲られると、譲った人も気持ちよくなるのですから。

さあ、「譲り合い」の時代を終わらせましょう。




余談

F君は冷めた唐揚げを口に運ぶと、刺し盛りを追加で頼みました。

F君「こってりの後はさっぱりだよなぁー」

T君は本当にその通りだと思って、泡の枯れた麦酒をぐいと飲み干しました。

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