見出し画像

生きるとか

私の父親はどうしようもない人だった。
愛を暴力でしか伝えられなかった。
もはやそんなの愛ではない。

ドアか、襖か覚えてないけれど、
隙間から見えたあの地獄みたいな光景は、
きっとこの先も忘れることはできないと思う。

追い詰められた母は、
私を連れて山に行き心中しようとした。
その時、子どもゆえに状況が分かっていなかった私がケラケラと笑ったらしい…
笑った私を見て、母は死ぬのをやめた。
やめてくれた。
こんな大事なことを私は全く覚えていない。
あの時笑った私、ナイス!!!!!

「もう絶対に暴力はしない」と何度も約束したが、人はそう簡単に変われない。
何度も期待しては裏切られた。
期待してしまう母と私が愚かだったのかもしれない…

やっとのことで離婚できたのは、私が6歳の頃。
お道具箱に入っていたおはじきの、
名前シールを一つひとつ剥がしては付け変えるあの動作と、あの時間は、なんとも言えなかった。

父親とは、年に数回会わなければならなかった。
〈このままじゃ殺される〉と思って車を飛び出し走って逃げたこと、父親の血液だけ私の身体から抜いてくれと泣きながら母に訴えたこと、思い出したくない出来事がいくつもある。
思い出せてない過去もきっとある。

父親の家族はおかしかった。
書きたいけれど書けないことが多すぎて悔しい。

書けることを書くのなら、父方の祖父が私と妹に遺してくれたアパートは叔母たちによってお金に変えられどこかへ寄付されてしまったし、叔母たちの妹と私と私の母に対する陰湿な行いは許されるものではないと思う。
それだけのことをしておきながらも、私と妹が成長してからは態度がコロっと変わった。
半ば強引にデパコスを買いに連れてってくれたこともある。どうしても許せなくて、買ってもらったRMKのリップは使わないまま机の奥にしまった。
社会人になって自分のお金でRMKのリップを買えた時、なんだか分からないけれど過去に勝てた気がした。

たまに引用ツイートで「両親に愛されて育ったんだろうな」「苦労したことないだろコイツ」などという意見をいただくこともあるけれど、どちらかといえば見たくないものを沢山見たし、しなくていい経験を沢山したし、聞きたくない事を沢山聞いたと思う…

そんな風に擬態できてるのなら、〈もしスパイだったらとても優秀なのでは?!〉と思ったりする。

小さな幸せを見つけるのが上手だと、友達やフォロワーさんに褒めていただけることがある。とても嬉しい。でも、もしかしたら、小さな幸せを見つけなければここまで生きて来れなかったのかもしれないな…と思う。

可哀想と言われることや、
気を遣わせてしまう申し訳なさ、
そんなことをバレたくない気持ち、
色々なことを思って、
今まであまり人に言わないようにしていたけれど、なんだかもういいか…と思える。

血が繋がっていようが親だと思いたくない人は親だと思わなくてもいいと思うし、血が繋がってなかろうが親だと思いたい人は親だと思っていいと思う。

私はもう二度と父親と会うことはないけれど、できれば温かいご飯を食べてて欲しいなと思う。穴が空いた靴下じゃなくて穴が空いてない靴下を履いてて欲しいなと思う。死んだ時にはなるべく早く誰かに見つけてもらえたらいいなと思う。

そんなこんなで、
ちょっぴり重くて暗い話になってしまったけれど、まだ2割くらいのことしか書けていないけれど、ひとまず、今日も私は生きた。

キムチチャーハン美味しく作れたし、
ドラマも2話観れたし、
まだお風呂には入れていないけれど…
ひとまず、よいでしょう!!!!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?