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【エッセイ】Mr.どっちつかず(Mr.フロスティの親戚)

・深夜。執筆の前の意気入れとして、ささっと文章をあげようと思う。さっと。さっと。こないだ人生初の手術をしました。と言っても日帰りのゆるいやつで、真っ赤に腫れ上がったちんち〇の上の粉瘤に麻酔を注射し、切開してもらった。ノーモーションで15000円とられた。心配事がさっと済んでよかったぁやっぱり医療業界の進歩と努力やそれによる恩恵を踏まえれば15000円なんて安いものだなぁという気持ちと、いかれてんのか??  という気持ちの両方がある。ありがとう。

・色んな人に話を聞くと、どうやら僕はXをやめただけなのに「インターネットそのものから離れている」という印象を持たれまくっているらしい。マジでそんなことはなくて、ブルースカイで絵日記をあげ始めるくらいにはブルースカイに永住しているだけだ。

・しかし実際問題、最近は小説が忙しくて、インターネットスピリッツ的なものを開拓しきれてないのも確かではある。おかげさまでSkebの売上は約37万円になったし(生々しい話)、納品件数は70件になった(生々しい話)。加えて今日から二週間くらいで、自分の作品をあと10万字くらい書かなくちゃいけないというのもある。それが明けたらまたSkebの期間で、大学があるぶん相当忙しい感じにはなっちゃってる。

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『小柴ミラクルマルチバース』連載中

・そのぶんインターネットでの露出が控えめになっているっていうのは、ある意味では健全だ。小説家なんてインターネットやってないほうが嬉しいんだからよ。しかしやっぱり書く分には、「自分が面白い人間かどうか」という自認の程度は、大事になってくるような感じがあるのだ。

・端的に言えば、最近はそんなに自分が面白い人間である気がしていない。人間そのものは全然変わってないから、ちんち〇の少し上を切ったせいで当日その後にあった友人との飲み会でお酒を飲めなくなり、それでも我慢できずに二杯だけ飲んで順当に出血した、みたいなエピソード自体はあるのに、それでも自分を面白いと思えない。いや、正確に言えばそのエピソード自体はちょっと面白いと思う。それはノーカンかもしれない。ごめん。

・今日は高校の頃の友人と会った。チャット返信できない病なせいで食事に誘われたのをしばらく未読していたら、共通の知人に「あいつ生きてる?」「死んでるかもな」と話されていたらしい。めちゃくちゃ心配されていた。見せてもらったLINEのトーク画面には「彼、『かつての仲良い人から久しぶりに連絡来たら自殺する』みたいなトリガーありそうで怖い」と表示されていた。さすがに盛りすぎだろ。きみの中で僕はいったいどんなやつなんだよ。

・みなさんご存知の通り実際の僕は自殺どころかリスカも怖くてしたことないチキン野郎なわけだけれど、しかし、昔より丸くなったというのは本当にそうだと思う。そこそこ前だけど、別の友人にも「お前も成長したよ、昔はもっとめちゃくちゃだったよ」と、しみじみと言われた。

・今日会った友人が言うには、昔の僕は、彼がカラオケでWANIMAの曲を入れようとした際に「WANIMAちょっと苦手なんだよね」とか言ってたらしい。よくそんなやつと一緒にカラオケに行ったなと思う。行くな。そんなやつと。でも当時はWANIMAの曲を聴いたらマジで陽キャすぎてあまりにも怖くなり、劣等感がブワッとして本気で消えたくなっていた、というのは思い出せる。

・いまは全然そんなことない。WANIMAさんだってがんばってんだよ。ガキが。人々に向けてモノを発表することの怖さも知らないくせに、と思う。いまは発表するもののテイストにかかわらず、普通にプロってみんなすげ〜くらいの気持ちでいる。あんなにほしかった彼女もできてるしな。それもかなり理想的に幸せになって。

・寛容になったのだと思う。いまは少しだけそんな自分が嫌いだ。寛容になったおかげで自分の理想の小説を書けるようになった、って意識はある。かつての自分が思い描いていた「小説家ってどんなこと考えてるのかな」っていう他愛もない妄想に、マインドだけは近づいてきたような感触もある。だから作者としては正解だ。SNSも尖ってないし。

・でも、だからこそ、『かつての自分が敵視していたもの』に直面するたび、それに苛立たない自分にびっくりしてしまう。ふつふつと劣等感を煮えたぎらせ、仁奈みたいに(当ブログはガールズバンドクライを視聴していることを読解の前提としている)トゲトゲしていた自分が、いまはいない。

・虚構だと思う。フェイクだと思う。本当はいまだって辛いことがたくさんあって、寂しい気持ちだってたくさんあるはずなのに、大事な人がいて、心配させたくない人たちがいるから、本音を言えないときだってもちろん出てくる。周囲の人に恵まれたのか、そういう計算ができるくらいにある程度大人になったってことなのか、それはわからない。でもやっぱり、恵まれた環境で塞いだ心を吐露することがフェイクだとしても、自分の感情に対してだけはリアルでいたいよな。

・音楽をやっている人がずっと羨ましい。ガールズバンドクライを見てから僕はロックの一つの定義に辿り着いていて、「普段は言えないことを叫ぶ」というのがそれだと感じた。桃香さんって普段ちゃらんぽらんとしてたりかと思えば急に真面目な大人の顔したりするけど、素はめちゃくちゃ悩みの人で、びっくりするくらい湿度の高い寂しがり屋なわけじゃないですか。でもそれが言えないから、音楽に乗せていて。普段のとは別に、歌の中にもう一人の河原木桃香がいて。それはすごくかっこいいことだと思うと同時に、自分にはそういう居場所はないよなぁとは思っていて、というのはつまり、「幸せ」だけじゃなくて「不幸せ」で繋がるような気持ち……って言うとガールズバンドクライを引き合いに出した手前誤読を招きかねないんだけど、うーん、ないなぁ、と思ってて。居場所が二つ以上ほしいっていうのは、単に欲張りなんだろうけど。

・眠っ

・いま振り返って「あのころ面白かったな」と思える頃の自分と何が違うのかと考えて、「面白くあろうとしているかどうか」が違うんだと気がついた。○○が面白い、とかそういう具体的なことじゃなくて、「面白くあろうとしている」ということ自体がすでに面白かったのだ。僕は昔、何かしらと戦っていた。自分の好きなものに勇気をもらい、戯言遣いになったつもりで、嫌いなもの全部に自分が襲われてなくなってしまわないように抵抗していたと思う。そういう傾向自体はいまでも小説を書くときの心構えとして残ってはいるけれど、それはあくまでカウンターカルチャー的なものになってる。つまり、好き勝手奔放に音を鳴らすことは、以前より許されなくなってきた。だいたいなんかインターネットの人たちどうでもいいことで怒りすぎていて、これと一緒にされるのは嫌だなと思ってノリきれないこととかもたくさんある。

・似たり寄ったりの有象無象の中に埋もれてしまわないように必死に存在証明をしようと「変がる(=あたかも自分が変人であるかのように振る舞う)」ということをしていた気がするけど、いま思い返すとたくさん恥ずかしい。失敗したウケ狙いなんておびただしいほどある。ただそのときの熱みたいなものだけは一義でいまでも好きで、楽しかったなーって漠然と思ってて。

・でもある程度歳もとっちゃったもんで、周りにいよいよむかし持ってたはずの個性を失う人がたくさん出始める。そうなってまで、「似たり寄ったりの有象無象なんて僕は嫌だ」なんて言えないしな。単純に持ってる苦労の量の差なんだなってことがいまではわかるし、そうでなくても、立派に働いていればそれだけで重畳だ。自分には小説という、腹の足しにもならなければ誰かの安全を守れもしない、誰も救えない文章を書くことしかできない。周りの人はその人なりにたくさん色んなことを考えているはずなのに、忙しさや疲れでやりたかったはずのことを行動に起こせなくなって、結果的に周りと同じ道を辿る省カロリーの選択をするようになる。でもそういう人たちがかつての自分をギブアップするときの心の動きだって、尊重されて然るべきもののはずで。少なくともたぶんずっと小説を書き続けるであろう自分の立場から、ちゃんと社会に出てる人たちに「みんなと同じじゃん」なんて失礼なことは言えないし、そもそも思わんわけで。でも実際問題僕自身はそんなに社会に出たくなくて。やっぱり掘ってみると、たぶんそこには、みんなと同じは嫌だっていう気持ちがあるっぽくて。

・所属する共同体がみんなと同じになったら、その中で個性を出すチャンスだ。押し寄せてくる全体性の波に呑まれないよう、面白さを主張するチャンスである。そう考えると、いまはいまで、もう1ミリも社会の構成員でもなんでもない生活をしているので、個性を出す必要がなくなっちゃってるのかもしれない。「Skebを70件納品している物書きの大学生」だけでじゅうぶんキャラ立っちゃってるもん。こんなこと自分で言うのどうかと思うけど。「1時間で小説を4500字書ける大学生」だけでだいぶ、だいぶで。でもそんな自分の『定義』そのものが、今度は「自分ってこうだったはずだよな、じゃあこうしないと」っていう、新しい『縛り』になってきてる感じもあって。自分しかわかんない話、しちゃってるのかな?

・小説を書く。これからもずっと。そのためになら面白くなくなってしまったとしても全然いい。でもしかし、やっぱり自分を面白いと思えているときのほうが、書いていて楽しいのだ。全能感がある。だからやっぱり自分を面白い人間だと思いたい。そう思ってnoteを久々に書いた。毎日日記を書こうとすると分量的にも内容的にも出しづらくて、ブルースカイにあげる絵日記くらいがちょうどいい。たまにこういう駄文の随筆をあげることがあるかもしれない。インターネットにいるよっていうのを言うためにも。

・「毎回何かに怒る」っていうのを恒例にしようかと思ったけど、それやり出したらいよいよヤバいだろ。判断能力が眠気で失われかけてるのか?

・でも「とみやってもうインターネットやめてつまらなくなったんでしょ?」と思ってるやつに対しては全然「おい」と思ってるからな。お前が!!!!!お前がブルースカイをやらないだけ!!!!!!!!いる!!!!いるから!!!!!!!!!

・そんなやつも本当は存在しないのに脳内で勝手に作り上げて被害妄想で落ち込んでるんだから、いまもずっとこうだな。

・最近はそういう意味での寂しさがずっとある。人としては、全然寂しくない。友達もいないでもないし、大好きな恋人もいるし。でも創作人としてはやっぱり寂しくて。周りに同じような仕事をしている人がいないのって思った以上に不安みたいで。だから最近は「この人おもしろい小説書きそうだよな〜」って人に片っ端から小説を書きましょうって言ってる。こんな勝手な期待、押し付けられること、人生でそうないだろ。

・僕が言うのもグロいけど創作って結局環境や才能ゲーなところもかなりあると思う。だからそれをしない人のことを僕は絶対に否定できない。でも一方で、個人的な好みとしては、周りも書かないかな〜って思ってしまってて。最近はその辺で考え方も変わってきて、昔はプロでもないのに創作論とか語り出したら僕もいよいよ終わりだなと思ってたんだけど、いまはけっこう気になる人にノウハウを押し付けてたくさん小説の話ができたら……みたいなことを妄想したりしてしまう。気色悪ぃな。

・みんなもっと自分に自信を持つべきだと思う。そして侍となれ。創作を好きな人、創作を好きであるがゆえに「すごい人のそばで、すごい人のすごさを観察していたい」的な欲に落ち着きがちなところがあって、ある意味もったいないと思ってしまう。きみがなるんだよ。すごい人に。なれる。

・でも僕がそれを言うのもまたさ……。その、めちゃくちゃ傲慢な話なんですけど、周りのちょっと創作をやる人と話してると、僕がめちゃくちゃ創作をしているがゆえに、その……言葉を選ばずに言えば、劣等感を抱かせてしまうらしいことが、どうやらあるっぽくて。そんな辛いことあります?  僕って、だって、プロでもなんでもないんだぜ。誰と話せば救われるんだ?  僕の心の、その部分は。一方でしかし、はじめて短編を完結させてから小説5年目とかになるわけだけど、その5年間で100作以上の小説を確実に書いていて、それを一切努力とも思わない。そのペースを誰かに強要することも、たしかに、グロくて……。そ、そうかぁ……と思って。

・その辺、僕は昔からずっとどっちつかずだ。小学生の頃は二つのグループから遊びに誘われて、どっちも断れなくて困ったり。高校生の頃は頭がいいと思われるのが嫌すぎてわざとちゃらんぽらんに過ごしてみせたりで。そしたらマジのちゃらんぽらんになっちゃったけど、昔からずっとそうなんだよな。一芸特化になる覚悟がどうしても持てない。寂しくなること、孤高であること、頂点を目指すことにひどく臆病で……、はじめ小説に対してだけは完璧にその心を持てていたはずなんだけど、最近揺らいできてるのかもしれない。王様になること。

・こういうことは誰にも相談できない。「小説を書く友達がほしい」なんて。そんな失礼なこと、こんな自分の周りにいてくれてる人たちに言えない。言ったら寂しがらせる。こんな偽善的な言い方してるけどつい漏れ出して前科何犯かやってる。しかもただ小説を書いてるってだけじゃダメで、僕は「自分と全く同じポジションの人間」が、昔からずっとほしいのだ。完全な普通でもなくて、突出した逸脱でもない、そんな自分と同じ場所にいてくれる人。

・でもそんな、「どちらにも行けない人間の寂しさ」みたいなものが、自分の小説を面白くしてくれている気もしている。思えば最初のほうからずっとそうだった。だからこれでいいと言えばいいのかもしれない。

・明るい人間じゃないけどリスカは怖い。幸せだけど自慢は嫌い。小説書くけどプロじゃない。そんな自分は最高にどちらでもなく、生きづらいけどいますぐ死ぬほどじゃない。わざわざスコップするほどでもない人生苦痛を、生きているだけでキャッチしていて、それが自然とどこかに、書いている文章に現れている。誰かがそれを好いてくれているんだとしたら、嬉しい。『小柴ミラクルマルチバース』、もっとペース上げてく。絶対よめ。

・バンドもののアニメ見るといつも羨ましくなる。同じ思いを抱えて、信頼しあって、生涯を共にしようと思える友だちがいるって。僕もほしいよ。でもひとりだからこそできるものってあるとも思って、やっぱり小説ってのは究極一人で書かなくちゃいけないもので。なんか最近のエヴァにアンサー出そうとしてる作品って最初の立て付けはまともなのに作ってる間になんかチーム制作に満足して成仏していく感じがあるんだけど、僕なんかはそれで置いてけぼりにされる心地に、よくなってしまう。「大人になれ」みたいな話を周りが強制したらダメだと思うんですよね。チームのみんなを困らせないために余計な部分を削ぎ落としていくのが正解ってことになったら、それはもうエヴァの話でもなんでもないじゃないですか。「成長」を描いてちゃんと文芸的に成功してるのってシンエヴァだけですよ。やっぱりその問題は、そもそもアニメとかゲームとかがある程度立場のあるちゃんとした人たちがチーム制作で作るものだから、っていうのに由来してると思ってて、だからその文脈でいいものを出すには「若者が」「小説で」アンサーを出すっていうのが大事になってくると思ってる。『アリスとテレスのまぼろし工場』はその意味でもめちゃくちゃよかったんだけど、やっぱりベテランなだけに現行世代に直接活きる感性には届き切ってないというか、あくまで「精算」に終始してる感じがある(だからこそ名作だったけど)。自分は未来に向かうこと、それをやりたい。これからがどうあるべきかを論じたい。明確にその一歩として、波立たない水面に石を投げるつもりで、『小柴ミラクルマルチバース』があります。これから。うおー。

・有史以来、言葉が人を救ったことなどない。もし僕の文章で誰かが心の辛いのを少しでも軽減してくれたのなら、そのときすごいのは僕じゃなくて、誰かの言葉をきっかけに何かを変えようとしたあなたなのだ。あなたがすごくて、あなたが偉いのである。その意味じゃ、小説家が人より偉くなるなんてことは、未来永劫絶対にありえない。西尾維新先生はその辺りというか、小説が直接誰かの命を救うことがないってことに異様に自覚的で(人は一人で勝手に助かるだけ)、だからこそ、「大丈夫だ」「がんばれ」「諦めるな」程度のことをずっと言い続けている。そこが一番好きなところです。



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・ごめんなさい文フリで売ったのを「電子版も出すよ〜^_^‎」って言ってから、サボり続けて半年経ったんです!!!!なのでいつかはやりますが、いまのところハゲていただく感じにはなってます!!!!嬉しいのでいつかは出します!!

・ヒプマイとカゲプロ指南は嬉しい。なんかサブスクでもボイスドラマ聴けるようになったっぽい話は聞いたことあるような気がするので、余裕あるときに試してみようと思ってます。ありがとうございます!


・カスの散らかりようなのでいったんこれで!!!  『物語論〜』のやつは個人じゃなく、大学の授業で買ったやつです。

・西尾作品はなるべくひとかたまりにしたいけどサイズの差異で色々動いてて、あとはこの見えてる部分の2〜3倍くらい、別の場所に色々あるかなって感じです。雑か?  本棚上段に写ってるので一番好きなのは『翼ある闇』で、下段なら『クビシメロマンチスト』。自分の本も割とこだわりなく入れちゃってますね。本棚が分厚いと気持ち防音できてるような気がしてくるのでオススメです。


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