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2024年4月18日 とみや2(ツー)


・てかガチで地球の平和任せといてほしい












・今日の日記はまじめなことや暗い内容が多いんですが、今日そのものはとっても楽しい日だったので、心配しすぎなくても大丈夫だと思います(注意喚起)。

・楽しかった日は楽しかったことを書けるようになりたいな。まだちょっとその雰囲気にムラがあって、自分でも悲しいんだけど、でもいつか……と思う。しばらくはもう、ほんとうに、リハビリみたいな日記だと思ってください。

・どのくらい楽しかったかと言うと、彼女と会ったしポッポにも行けたしウルトラマンのショップにも行けた。最高。

・そんな感じなので安心してくださいね!!













・今日はこちらの漫画を読みました。無料で読める三話までだけど……。オススメしてたFFのひとに感謝やね(こっちの話はべつに暗い内容ではないので大丈夫です!!!)



・第1話は売れない孤独な人生の中で突然余命宣告され、自暴自棄になった若い小説家の「生前」のようなものが描かれる。で、その主人公が、自分よりも若い女の子のファンと出会い、救われる。そういう導入だ。

・ただ、ここで気になったのが、主人公がまるで「誰にも自分の作品を認めてもらえていない」かのような落ち込み方をしていることだった。

・これは明確に誤った認知で、主人公はモロに認められている……だって、自分の本が出版されているんだから。ということは自分を認めた編集者がいるわけで……というか、実際そういうキャラが出てくる。年上の、どっかズレたおっさんが。

・その人に「俺はお前のファンだ」と言われた時の主人公の反応が、


・これ。

・対して、その初対面の女の子に「ファンです」と言われた時の反応が、


・これである。

・ウルッウルのウル。始まる恋。流れ出すRADWIMPS。菅田将暉みたいな表情だ。

・もちろん実際にはもっと色んなくだりがあるし、そもそも順序があるのだから、「はっきりとした承認を得られたことで、ようやく身の回りのやさしさに気づけるようになった」的な描写だと読み飛ばしてもいいと思う(実際、そういう描かれ方をされているとも感じる)。しかし、これをして「欺瞞だ」と指を指すことも可能ではあるだろう。なんと主人公はこの女の子とえっちなことまでおっぱじめるので、「お前は小説で誰かに認められたいんじゃなくて、結局可愛い女の子に振り向いてもらいたいだけじゃないか」という指摘があっても不思議ではないと思う。

・ただ、そのうえで、むしろ僕は、この反応の差はもしかすると逆にすごく大事な要素なんじゃないかな、と思った。




・というのも、『わたしはあなたの涙になりたい』という小説でも似たような展開があるのだ。そちらには、「未熟な小説家(志望)がとある変人のおっさん編集者に認められても全然うれしくなさそうにしているが、幼なじみの薄幸な美少女に褒められると救われたような顔になってやる気を出す」というくだりがある。かなり同じだ。

・なんだか無視できないような気がして色々考えていたんだけど、個人的には「年下〜同年代くらいの人に褒められる」というのが重要なんじゃないか、と思った。



・と言ってもこの言い方は正しくない。より精密にいうなら、「『自分が今日まで生きてきた中で意識にあった誰かに似てる要素を持つ人』に褒められる」、というのが大事、という説を考えたのだ。

・たとえば16歳の女の子に褒められたとすると、すぐに思い浮かぶのが「自分が16歳の頃に周りにいた女子のクラスメイト」とかだ。当然、16歳の子は16歳のときに一番よく見るから、そこと記憶が結びついている。

・となると次は、「16歳の頃の自分」について思い出す。16歳の頃の自分は「16歳の頃に同じクラスにいた、この子に一番似てる人」と、いったいどういう接点があっただろう?  もしその人が当時なんらかの事情で困っていた人なら、自分は何をしてあげられていただろうか。

・答えはたいてい、「何もしていない」だ。当然、困っている異性(同性でもむずかしいのに……)に手を差し伸べられるような胆力を、一般に、人は持っていない。

・そして、そもそもそういった体験、もとい実感が、創作をする強い動機になっている人が一定数いるんじゃないかと思う。モロバレだろうけれど僕がそうだ。「あのとき何もできなかった」から小説を書いている、という側面が間違いなくある。具体的な事件があろうがなかろうが規模の大小が変わろうが、各々にとっての「あのとき」を持つ人々が、確実にいる。

・そしてそういう人が、「『あのとき』を経て、自分はどうなりたいと思ったのか?」を探究したり、示したりしたいがために、小説を書く、という現象が起こり得る。正規のルートで普通の(順時間的な)大人になることはせず、小説家になることを目指し始める。そのために努力をする。自分の言葉を「いま苦しんでいる誰か」に伝えられる立場になるために。ある意味では「あのとき」に対する代償行為として。

・だとすれば、そもそも根源的な目標は「あのとき何もできなかった自分」を「あれから頑張って、何かできた自分」に変えることにある。そのために創作の世界に時を止めてまで、苦しみながら小説を書くのだ。そして、それまでは「報われない」ということになる。たとえば16歳の頃からずっと残しておいたままの宿題を、誰にも「それで合ってるよ」と言ってもらえないまま、苦しみ続ける。そんな感覚だと思う。

・つまりこうしたメサイアコンプレックスから動く青春の回収者としての物書きは、本質的に、読み手に対して不平等なのだ。

・だから、職人としてはアンフェアではある。どんなに「ほかのひと」に褒められても、「とても嬉しい」けれど「報われない」ということになってしまうのだから(当然、それらは両立される)。けれども、アーティストとしてはとてもピュアだし、何よりも「書く意味」について考えるなら絶対に嘘をつけない要素なんじゃないかと思った。

・もちろんすべてが現実の代償行為なわけもないけれど(もしそんなことを言われたら、理不尽なことに、怒る。だいたい誰でも、どんな作品も一番目には開かれた読者のために書いていると思う)、でも、そういう要素は自分がこれから書いていく上でも、大事におぼえておきたいな、と思った。そういうサルベージの感覚まで含めて「結局思春期の性欲を引き摺ってるだけじゃない?」と言う人がいたら、それでもいいと思うんだけど。ただ案外、こういう、一見欺瞞に見えるところにこそ、自分が自分ごととして捉えたいなにかが隠れているのかもしれないな、と思った。

・挙げた漫画はなんかこう、創作倫理第一主義みたいな感じじゃなく適度にフィクションとしてのおもしろ要素があって、とはいえこれもまた適度に現実とのリンクがあったりするから、疲れないまま気になりながら読めておもしろいです。




・こないだ書こうとしてたけどうまく書けなかったことを、この際パッと書く。

・彼女が卒業したので、先日始まった大学がほんとうにつまらなかった。こんなに?  と思った。すごくウザいことを書いている自覚はありますがこれについて弁明されることはない。

・それとは別にしばらく気分が沈んで全く連絡を返せていなかったサークルの人たちには、会って、ひたすら謝った。謝っても謝れることじゃなかったし年上の人にしっかりと嫌われているが、後輩の子が優しくて好きになった。

・でも「互いにとても大切に思える人が少なくとも一人はいる空間」ではない大学は、色んな個別の楽しいことこそあっても、基本的には全然おもしろくなかった。どこ見ても、みんな上辺で喋っていて、盛り上げ上手でいいなぁ、と思いながら眺めていた。楽しさを少しおすそわけしてもらったけれど、「それは自分のものじゃないよ」と指摘してくるもう一人の自分がいるように思う。

・だから、もう一度僕の物語を始めなきゃいけないんだと思った。いまの僕はきっぱり言ってとても暗い。根暗だ。戯言遣いに憧れていた大学一年生の頃の気持ちを最も取り戻していると言っていい。が、考えてみれば去年が明るすぎたのだ。僕は元々、こうだった。一年と4ヶ月くらいの周期で深く落ち込む期間が発生するのでそれにも被っているんだと思うんだけど、ともかく、僕はこういう人間だった。思い出した。

・「自分のことを元々好きなわけではない人たちを相手に、がんばる」という実践が、一から必要なんだと思う。インターネットでもそうだし、新人賞でもそうだ。それが僕の物語を始めるということであり、もう一度、自分をキャラクターにするということでもある。僕はキャラクターになりたい。

・僕はいま生きていて幸せなので、どうやってもFAKEでしかない。みなさんには申し訳ないが彼女との生活の中に文学的な停滞というのは一切なく、あったとしてもそれはがんばってなんとかしたいものでしかないので、やはり僕が何を言ってもREALではないだろうと思う。ある機会に幸せにふざけられる人間がどんなに落ち込んでいても、それは全霊じゃなさそうに見える。が、そのダブスタさえ、やっぱり受け入れたい。そこから始まる自分の話が、できるように、がんばる。無理しない程度に。つまり、もうしばらくはがんばらないが……。

・でも今日の考えたこと色々もあって、やっぱり小説家になりたいなと思った。じつはこの名義はいくつかの企業に開示したまま就活をしていますが、なりふり構いません。知ったこっちゃない。もう将来めちゃくちゃになりたいんだ。僕を助けてくれるところにしか行きたくありません。いまは……。

・障害者手帳の申請を明日やりに行こうと思ったんだけど、にじさんじライバーのチャット欄で荒らしをしていた人物が障害年金を受け取っていた手帳持ちだったというニュースを見てしまい、いま、げんなりしてしまっている。なんでよりによってこんな日に見ちゃったんだろう。自分でもわからないけど、とにかく、つい反応を覗いては「障害者だから許されるの?  障害者手帳って免罪符なの?」という投稿を見つけてしまった。あ〜あ!    でも明日いかないとずっと行けないだろうなって感覚もある。土日挟むし。けれど少し、辛い。ほんとうは少しどころじゃないに決まってるけれど。

・あ〜あ。もういいから誰か早くブッ殺してくださいよ。どうせ僕が死んだって、楽しいときの僕が死ぬわけじゃないんでしょう? 社会で悲しいことがあってネットで荒らし行為してる障害者も、それに憤慨する健常者も、社会の事実をありのまま伝えるニュース記者も、ほんとうに誰も悪くないんだから、平等に僕もそれも誰も彼も死んでしまえばいいだろうさ。確実に悪い人だけが生き残ればじゅうぶんすぎるほどに世界はじゅうぶんだろ。僕には関係ないね。

・ごめん。でも、いまは、誰か助けてって言うより、暴言と強がりで不貞腐れて武装してみたい、かもしれない。それと荒らし行為はだめだと思う……。



・明日は絶対に無理しない範囲で、役所に手帳の手続きについて聞きに行こうと思います。それと、就活でどこにも引っかからないのが不安なので、IT系の資格の勉強を始めました。むずかしいのでやらないかもしれませんが、「やってる感」に救われつつある。あと、いくつかの企業に応募して、今度から面接の初級版みたいな面談をしていきます。できれば自分に合った楽しい場所で働きたいと思って色々出してみていますが、最悪の場合数年働いてから作業所に入ることを(一つの心の持ちようとして)前提にする予定です。

・授業。初週は二日間どちらも遅刻したけど、なんとかでられています。卒業出来るかは不明。

・Skebの収入は着実に増えていて、とてもありがたく思っています。こんなところまで読みに来る人はそんなに大勢いないのではないかなと思って、最近はnoteに好き勝手書いてますが、それでもたまにちょっと申し訳ないです。もっと余裕のあるクリーンな人間になりたいというのが本心ではあります。自分自身が率直な読み物になろうとすると、どうしてもエラーが発生することがありますね。収入が増えているとはいえこのままだと来月下旬までに必要なお金が7万円ほど足りなくなるんですが、そこはもうどうにかしてがんばりたいなという所存です(マッチョ)。

・順張りでちゃんと頑張ろうと思ってる。自分の中にある何か新しいものの種を、無理に取り繕わず「答え」にせず率直に、先ほどの言葉を使うならばピュアに見守っていきたいので、しばらくはnoteにも落ち着いて見られない内容が唐突に出てくることがあるかもしれません。だけど必ず僕はもう一度とみやになります。

・誰かに信じてもらい、誰かに応援してもらう。「すでにあるなにか」じゃなく「自分がやったことへの純粋対価」としての未来。そういう世界をもう一度信じてやってみたい、という気がします。やっぱりどうしても、先に進まなければ宿題の答え合わせができないんです。応援してくれてる人にはごめんなさい。でも、もしそういうことをやれたなら、たぶん自動的にではありますが、僕はもっとおもしろくなって帰ってきます。

・えー、その第一歩として、まずは改名をします。

・次の名前、発表……………………。





















・会社にしか友達がいない。



(*^^*)


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