詩をデザインする

学生たちが詩(β版)を発表した。予想通り、感受性豊かな詩ばかりだ。
一つ、事例を。
学生の上杉さんの詩だ。


おはようといったら
おはようとかえってきて

こんにちはといったら
こんにちはとかえってきて

こんばんはといったら
こんばんはとかえってくる

いただきます と声がかさなって
ごちそうさま と声がかさなって
おやすみ と声がかさなる

君と一緒にいえたら嬉しいな

そしてまたおはようといったら
おはようとかえってきて
また今日がはじまる

繰り返される日常や当たり前のコミュニケーションに美しさや喜びを感じ取る力は、僕にはもうなくなってしまったのだろうか。

ところで、ここ数年、詩を大切にしている。
昨年は、授業の振り返りを詩にしてもらった。

レポートにすると、自分の心の変化などを記述しにくい。そこで15回の授業を受けて自分がどのように感じたのか詩にしてもらったのだ。

詩とデザインの関係でいえば近代デザインの父、ウィリアムモリスは詩人でもあった。思想や理想を詩として表現し、それを原動力にデザインをする。

詩は自分と社会、自分と世界を深くつなぐ行為だ。
好きとか嫌いとか、ダメとか良いとか、二分するのではなく、その気持ちの奥深さや、曖昧さを自分で気が付いていく。

詩の醍醐味の一つがメタファーだ。
甘酸っぱい恋というように複雑な味覚に見立ててみる。
政治腐敗というように食べ物が腐るように見立ててみる。
人はこうやって目に見えない、手に触れることができない対象を
何かに例えて認識し、誰かに伝達してきたのだ。
芸術もデザインもその営為の一つとも言えるかもしれない。

授業では清水先生から詩についてレクチャーをしていただいた。色々詩の例を見せていただいたが、個人的に好きなのは
茨木のり子さん[1926〜2006]だ。
特に好きな詩はこれだ。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(省略)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?