すべてが必然である…2016.5.10

 あらためて考えると、本当に笑ってしまうくらい必然だった。

 昨年からわたしは、自分の力だけではどうにもならない出来事が続き、ほとほと疲れ果てていて、未来へつながるようなことをしておきたいと考えていた。そうしてマンションを探し始めたのが今年の初め。同じように家探しをしている友人たちはみな、2年も3年も探し続けていると言っていたので、一筋縄にはいかないだろうと思っていた。

 ところが、中古マンションを1件内見したのち、「人生経験として見てみるか」と足を運んだ新築マンションのモデルルームで、ひとりの若い営業マンに出会ったことから、すべてが必然へとまわり始めたのだ。

 彼はとても居心地の良い青年だった。営業マンとしての実力はさることながら、地頭の良さとチャーミングな人柄で、わたしたち夫婦は彼と話すことがとても楽しくなってしまった。きっと彼がわたしたちの担当でなければ、この後につづく必然へと導かれなかっただろう。

 そう、すでに始まっていたんだ。

 わたしたちはそのマンションを購入することにした。ペアローンの準備をすすめているときにわたしの身体の話になり、団体信用生命保険に引っかかるかもしれないから早めに事前審査を受けておいたほうがいいと提案され、それならば7月の人間ドックを待たずに胸の検査はしておこうと、クリニックの予約をとったのが2月の末。

 そのときは「まあ、大丈夫だろう」と本気で思っていた。というのも、昨年の夏にも胸に針を刺して細胞診をしていたからだ。結果はシロで、「このシコリが癌化することはない」と断言されていた。その病院は肝臓の手術をしてもらったときからずっと通っていたので、大丈夫だと思っていた。

 でも──なにかが引っかかっていた。

 急に家を買いたい気持ちになったこと。絶妙なタイミングで、数年探しても出てこないような好条件の物件に巡り合ったこと。竣工や入居時期がわたしたちの予定とピッタリはまりすぎていること。普段わたしの身体のことはなにも言わない夫が、胸のシコリについてはずっと心配していたこと──。

 もしかすると、この先に待ち構えているものが本題なのかもしれない。

 そんな想いが一瞬あたまをよぎり、念のために検査する病院を変えてみたところ、今回の乳がん告知へとつながったのだった(じゃあ昨年のは誤診だったのか? という話はまったくもって建設的ではないと思っている)。

 そうか、すべてはここへとつながっていて、むしろここがスタートラインだったんだ。

 そんなわけですぐに件の営業マンに、「悪い結果が出たので、わたしはローンが組めなくなった」と伝えた。彼は大げさに反応するようなことはせず、ちょうど良い距離感で、事務的な連絡事項と見舞いの言葉を送ってくれた。

 次の週末、内装の仕様確認のため、モデルルームを再度訪れた。インテリア担当者と打ち合わせを終えると、「○○(営業マン)からお話があるようなので、少しお待ちください」と言われた。その日は営業マンとのアポイントはなかったのだが、事情が事情なだけに、ローンについての確認かなにかがあるのかと待っていると、その若い営業マンは笑顔でやってきて「桜の写真をお渡ししたくて!」と、数枚のプリントをわたしたちの目の前に広げたのだ。

 そういえば前回の訪問の際に、「あと少ししたら、(建設中の)マンションのまわりが桜でいっぱいになるので、写真に撮ってお送りしますね」と話していたことを思い出した。「お送りしますって言ったんですが、今日いらっしゃると聞いて、直接お渡ししようと思って」と差し出されたプリントは、正直なところ、どれもひどいものだった。

 不器用な彼が、構図や光の調節などもわからずに写真を撮って、事務所のプリンターで普通紙にカラープリントしました、といった体の紙っぺらをみんなで眺める。

「ひどい写真だねー。僕デザインの仕事してるから、ほんとこういうの許せないわ」
「ですよねー、ほんと恥ずかしいんですけど」
「入居したらこのプリントを額に入れて、玄関のいちばん目につくところに 飾りますね(笑)」
「いやほんと、やめてください! すぐ捨ててもらってかまわないんで!」
「えー、せっかくいただいたんだから大事にしますよ」

 笑いながら話す時間があたたかかった。もちろん彼は桜の写真を渡すために来たわけではないということは、夫もわたしもわかっていた。それでも彼の口からは、病気についての話はひとことも出なかった。その心遣いが、うれしかった。

 すべては必然だ。それでも、その必然への道に踏み出すために、わたしの背中をポンと押してくれたのは、まぎれもなくその若い営業マンだったんだろう。

 彼からもらった桜の写真をわたしはたまに見返し、本当にひどい写真だなあと笑ってしまうんだ。

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