one week has passed…2016.4.2

 一週間前から、わたしは“乳がん患者”になったわけだが、いままで過ごしていた日常から突然切り離されて、「わたしって乳がん患者なんだ」と塞ぎ込んでしまうようなタイプでもなく、病気のことをすっかり忘れてヘラヘラとしていた時間のほうが多かったように思える。

 とはいえ、そうやって時間が過ごせているのには理由がある。

 数年前にわたしは、とある製薬会社のオンコロジー情報サイト制作の仕事を請け負い、がん患者さんたちを取材していた。乳がん、肺がん、GISTなど、種類もバラバラ。早期発見で再発なしの患者さんから、腹膜播種をすでに起こしている患者さんまで、状況もバラバラだった。

 正直なところ、この仕事はとてもしんどいものだった。その少し前から携わっていた、加齢黄斑変性(目がどんどん見えなくなっていく病気で、現在の医学では視力を取り戻すことはできない)の患者さんたちを取材する仕事と並行していたということもあって、精神的にかなり参ってしまっていた。

 そんなわたしに対して、患者さんたちは「とみたさんもこういう仕事を任されて、大変だよねえ」と励ましてくれて、思い出すのも、向き合うのもつらい事実を細かく、丁寧に話してくれた。そこで全員口を揃えて言っていたことがあった。

・同じ病気の人のブログや体験談を見ない(あくまで、それぞれの体験だから)
・インターネットで病気のことを、あえて調べるようなことはしない
・情報は、信頼できるドクターと書籍から得る
・命と向き合うようになり、人生についてきちんと考えるきっかけになった

 当時は「なるほど」と思う程度だったこれらのことが、いま、わたしにとって、とても大きな意味を持つようになるとはまるで思わなかった。取材した患者さんのなかには、すでに鬼籍に入られた方もいる。わたしのいまを支えてくれているのは、確実に彼らだ。

 という前提で、いま思っていることがある。

 言葉というものがつくりだす……なんというか、やっかいな虚像について。

 「あなたのその右胸の病変は乳がんです」と言われたその瞬間から、わたしの「右胸」は「乳がんを内包した悪しき存在」となるのかというと、少なくともわたしは、そんな気分にはなれなかった。

 むしろ、40年ちかく自分の身体の一部であったものを、文字通り切り捨てることになるのは無念だなあという想いが強かった。それはべつに女性としてあるべき象徴の胸だから、というわけではない(肝臓を切ったときは、再生するからいいか、というかんじだった)。とてもシンプルに、「不良だから切り捨てるなんて、勝手だな」と思ったというだけだ。

 乳がんだと診断されたことを伝えた身近な人たちの反応は、気遣いに満ちた穏やかなものが多かったが、がんという存在自体にはみな憤りや怒りを抱えているようだった。その感覚に、当事者である自分がいちばん違和感をもっている、という事実が可笑しいなあと思った。

 夫には、離婚を提案してみた。離婚について、真剣に考えてみてほしいと言った。

 2012年にはじめて乳がんを疑われたときも──当時、2年ほど付き合ったのち同棲して3年くらいだったと思う──別れることを提案した。彼は男性だから、ほかの女性と一緒になれば子供だってできる可能性もある。たくさんの可能性をもっている人が、わたしと一緒に狭い可能性のなかで生きることを選ぶのはナンセンスだと思ったからだ。

 今回も同じ理由で離婚を提案した。彼は前回と同じように笑い、「そういう問題じゃない」とだけ言った。

 話が散漫になったが、この一週間はだいたいこんなことを考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?