わたしはまだ、涙を流していない…2016.4.20

 先日、とあるテーマについて取材を受けているなかで、「喜怒哀楽はありますか?」と聞かれた。理屈っぽいわたしに業を煮やしたインタビュアーが聞いてきた言葉だった。

 わたしは考えた。

 喜は、ある。
 怒は、まだ少しだけある(ほとんどが夫に対して)。
 哀は、ない(自分に向けての哀しみ、という意味で)。
 楽は、たくさんある。

 ほかの感情についても考えてみる。

 自分と他人を比較したときに起こるような感情、たとえば羨望や嫉妬については、もう完全になくなった。自分らしく生きたいと思ったときに邪魔となるような感情、たとえば執着や依存もとっくに捨て去った。

 というのも、20代のなかばから10年くらいかけて、わたしはより自由に、より自分らしく生きるために、邪魔になるようなあらゆる感情を捨てる努力を徹底的に行なったからだ。その作業の大半は、自分を冷酷なまでに客観視することだった。いろんなことを諦め、残ったものを見極めた。その過程で何度も精神的に追い詰められ、死にたいと思ったこともあった。それでも目を背けずに、自分だけが自分を救えると信じて、とにかく前へ進もうとした。そして、何度かの決定的な体験(それらはすべて、身を焼かれるような辛いものだった)を経て、いまの自分が出来上がったのだと思う。

 寂しさは感じない。
 嬉しさは感じる。

 懐かしさはたくさんあって、そのなかに捨て去った感情たちがべったりとくっついているイメージ。その感情に振り回されることはたまにあるけれど、過去の感情だとわかっているので、そんなに長続きはしない。思い出にはたくさんの感情が伴っているけれど、いま起こっていることについては、わずかの(良い方向への)感情しか伴わない。そんなイメージだ。

 だからだろうか。自分が乳がんだと知ってもなお、わたしはいまだに涙を流していない。涙を導く感情が湧かないからだ。

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