七夕の願い...2016.7.12

 七夕が近いということで、わたしたち入院患者は看護師から短冊を配られていた。病院の外来フロアに大きな笹が2本設置されていて、そこに飾るのだという。

 わたしはその日まさに手術を終えたばかりで、起き上がることも、短冊に文字を書くこともできなかったため、ベッド脇のテーブルに白紙の短冊を置いてもらい、天井を見つめながらぼんやりと同室の患者さんたちの会話を聞いていた。ひとりは入院前に抗がん剤治療を半年間行ない、数日前に手術が終わった50代女性。もうひとりは前日に手術を終えて、順調に回復している70代女性。

「願いごとねえ……健康に、とかかしら」
「入院しちゃってるからねえ(笑)」
「家族の健康とかかしらね、やっぱり」
「そうねえ。それがいいかもしれないわね」

 ああ、そうなんだ。と思った。「病理の結果が悪くありませんように」とか「再発しませんように」とかじゃないんだ。てっきりそういう言葉が出てくると思っていたけれど、少なくとも彼女たちはそうではなかった。それは、微妙に状況が違うお互いへの配慮からなのか、先のことはあえて考えないようにしているからなのか、わたしにはわからなかった。

 その後も願いごとについて話し合っていた彼女たちだったが、70代女性がぽつりと呟いた一言で、話題は別へと移っていった。

「本当に……なにを書いたらいいのかわからないわ」

              —

 手術から数日経ち、右半身の不自由をのぞいてほぼ日常の動作ができるようになったわたしは、ベッド脇のテーブルに置かれている白紙の短冊を何度か手に取るも、「まあ、まだ日にちがあるからいいか」と放ることがしばしばあった。

 外来フロアには21時までやっているコンビニがあり、ほとんど毎晩そこへ行っていた。日中だと外来の患者さんやその家族たちがいるため、パジャマ姿の入院患者がウロウロするのも気持ちがいいものではないだろうと思っていたし、普段は多くの人で混雑しているフロアが、わずかな明かりだけでガランとしているかんじも落ち着いた。そして──。

 フロアの中央に、大きな笹が2本、薄明かりに照らされて、ぼうと立っている。そこには外来患者、入院患者、その家族たちの願いが綴られた短冊がびっしりと吊り下げられている。それを毎晩、少しずつ読むのが日課となった。

 この病院の患者はほぼ100%、がんを患っている。

「お父さんが口から食事をとれますように」
「必ず完治する!」
「緩和病棟にいます。みなさんに本当に良くしていただいています」
「残りの時間を家族と穏やかに過ごせるように」

 夜の病院で、ドレーンバッグが入ったポシェットを斜めがけしたパジャマ姿のわたしが、笹を見上げ、夢中になって短冊をひとつひとつ読んでいる。その光景は他者から見たら、いったいどんなふうに映ったのだろうか。

              —

 わたしは七夕の朝、退院した。荷物をまとめて、忘れ物がないかチェックして、最後に──テーブルの上に置かれた白紙の短冊をゴミ箱に捨て、部屋を出た。

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