見出し画像

やられたらやりかえす。

幼いころから気が弱く、積極性もないため、
人に強く当たられることが多かった。
虐げられることもボチボチ。
すぐ良いように使われる。


それでも他人からの風当たりには、わりと耐久性があったと思う。

こんなの母親に比べたらマシ。

家庭のほうがキツかったので、友人関係でどんなに傷つこうがニコニコ取り繕ったり、ぼんやりスルーしたフリは簡単だった。
気が弱いぶん、人に反発する勇気がない。

我慢は慣れている。母親のせいで。

そんな風にして、誰かを否定することなく、
反発することなく大人になっていった。
よく言えば平和主義だと思う。

しかし、旦那と出会って1度だけ大喧嘩をした。


出会ってまもなく付き合い、半年もしたら浮気をされ、やっぱそっちの女がいいと言われフラレたのだ。なんなら、付き合う前からずっと片思いをしていた女らしい。何度アタックしても実らず。そして私と付き合うも、実際その女と会うと、やっぱりそちらが好きだという。
※いまだに、その女が現れたら終わりだと自信のない自分がいる。
※実らない恋ほど執着するもんだよね。
※相手の女は自分のオモチャ感覚なんだろう。

しかし、数年後やっぱり後悔したと言われ、
復縁をした。その直後だったと思う。
復縁を了承したのは自分の責任なのに、
かすかなことで、いちいち傷つく自分がいた。


『真面目に信頼して捨てられた事実がある。』
『どうせ今の付き合いも早々終わるだろう。』
『あんな仕打ちもうされたくない。』
『私は浮気なんかしないのに。』


と、トラウマになっていたのだ。
自分を否定されたコンプレックスから、マイナス思考が暴走。

そして、私から喧嘩をふっかけた。



みっちり逃げる場所をなくし、
正論、正論、正論、正論で問い詰める。
男が一番嫌がる、例のやつだ。
過去をほじくりかえし、今の頑張りを否定し、
一番言われたら傷つき、プライドがズタボロになり、怒りがおさまらなくなるような言葉で煽り散らかした。

そして彼がガチ切れした。

持っていた傘をぶん投げて、その場から黙って去ったのだ。
男は口喧嘩が弱く、頭が回らないって本当なんだなと思った。
そして、日頃とにもかくにも温厚で優しい人間が『こうなるんだなぁ。』と、どこか冷静だった。

何より一番びっくりしたのは、自分がこんなにも攻撃的になれるんだということ。

しかも、罪悪感がまるでない。

そう。私は盛大に傷つけられた。
何も怒らず、すんなり復縁することに、どこかチクチクしていたのだ。
なにより復縁をする際、謝られなかったことも、どこかひっかかっていた。
傷を見て見ぬふりが出来ない。

痛い。
痛い。
痛い。痛い。痛い。



昔ならばどれだけ傷ついても、自らかさぶたをひきちぎって血まみれになって笑っていたのに。

同じくらいメンタルやられてしまえばいいのに。

本気でそう思ったのだ。
そんなことをする嫌な女とは、別れを選ぶに決まっているだろう。それでも、私には追い詰めることに爽快感があった。
言葉でボコボコにすることに、快楽があり止まらなかった。

べつに別れてもいいや。
苦しませたい。
私の100倍。

私は、人生で初めて自分の辛さ苦しさを主張した。そして、びっくりするほど相手に攻撃的になった。

あーあ、また別れちゃったw

そう思って、しばらくぼんやりする。
そして、なんとも言えないハイテンション。


スッキリ、スッキリ!!!


そんなことを思っていると

猛ダッシュで彼が戻ってきた。

たぶん、10分後くらいだったと思う。

『こんなことくらいで別れないから!話そう?』


私は何のドラマなんだと思った。
出演者、どっちともブスじゃねーか。
と、どうでもいいツッコミを心でしながら。
さらにどうでもいいが、ぶん投げられた傘は骨がすごい角度に曲がっていた。

そして、彼はちゃんと付き合っていきたいことや、過去を簡単に謝る勇気がないことを伝えてきた。

『しでかしたことは大きい。だからこそ、どのくちが謝るんだと思ってしまうし、ならば態度で示して信頼してもらうしかないって思っている。』

そんな風に言われるとは思わず、ちょっとだけ痛みがなくなった。
そして、仲直りも出来て、長らく付き合い、今にいたる。

当時、この話を友人にすればするほど

『トミーが100%悪くて草』

と、言われていた。

、、、、

私は不快にならなきゃ人を不快にさせたりはしないが?


そう。
私は気が弱い、平和主義だ。
自分から他人を傷つけるのは、極力避けたい。
申し訳ないし、傷つけられる気持ちがわかるから絶対したくない。

でも、やられたらやりかえすよ?

いつのまにか、子供のときの我慢が出来ない自分になっていた。
こんなにも想ってくれる彼氏にも、普通に罪悪感がない。周りがドン引きしていた。


普通は仕返しをするようなことは

『相手と同等になるから止めなさい。』

とか、道徳心ゴリゴリで育つのであろう。

私はそれをずっとやってきたが?

なんなら、道徳心を教えるであろう

親に対してずっとやってきたが?

いろんな気持ちが高まり、仕返しすることへの罪悪感は皆無になっていた。
私の気持ちとは関係ないが、その時代は半沢直樹が流行っていた気がする。

あれから8年くらいがたっただろうか。
相も変わらず、平和主義ではある。
自ら、誰かを傷つけることには心苦しい。
極力穏やかに、優しく、気持ちを汲み取りたい。


それでも、仕返しすることは当たり前だという価値観がある。

そして、先日母親に仕返しをした。

彼女の声自体がストレスになるので、メールにて淡々と暴言を送りつけた。

暴言?
そうではない。

彼女が一番言われたくないことだ。

もう、約40年間も彼女を観察してきている。
どれだけ顔色を伺っただろうか。
何で怒り、何でプライドが傷つき、何で心が傷むかなど、こちとらお見通しだ。

言葉の刃を振りかざし、長文のメールを送ったあと

とてつもなくスッキリした。

『今まで傷つけられたぶんの仕返しです。心病んだようであれば私は満足です。どうぞ、味方になる人がいないなか頑張ってください。』

一部抜粋すると、そんなことを書いた気がする。

こんな親不孝をするなんて、ほのぼの愛情に満ちた家族しか知らないかたには、衝撃、嫌悪、苛立ちがものすごいだろうと思う。

しかし、それをなんの感情もなくやってのけてしまうのが私だ。

これで母親が自殺でもしたら?

最近の報道が、一瞬心をよぎったのは事実。
それでもなお、そうなるなら 

『それを選択したのは母親だ。』

という想いしか出てこないのだ。
愛されない人って、なんて可哀想なのだろう。

ちなみに、母親が私の旦那に対して罵倒したので、この流れになったのだ。

絶対、許さない。


私は愛情とか優しさは、先行投資するものだと思っている。
自ら、率先して思いやれば、自分が困ったときに周りから沢山助けてもらえる。

打算的に聞こえるかもしれないが、無意識で
人を自ら傷つけないようにしよう。』が、
定着して役に立ったのだ。

ちょっとくらいは我慢して。
空気や顔色を読んで。
楽しい空気を作って。
怒らない優しい平和主義のトミーでいる。

それで味方になってくれる人が沢山出来た実績が、きちんと積みあがった。

優しさや愛情はキャッチボール。

ずっとそう思っている。
しかし、それをカツアゲする人間はいくらでもいる。一方的に得をすれば良いという人間。
反発しないのを良いことに、全力で不快にしてくる人間。そんなやつ、

やられたらやりかえすよ?

私の0か100の振り幅は、道徳心とはずれている。

それでも、別にいいやと思っている。
世の中、綺麗事ばかりじゃない。 
大切な人だけを全力で想い、守る。
ただ、それだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?