わたしはスキをあきらめない

【このテキストノートは投げ銭方式です】

New Ambienter=tominagayukiです。

今後、noteでは、アンビエントを中心に活動していくつもりでいます。

アンビエント普及活動の一環として、エッセイでアンビエントについて、書いていきたいと思います。


アンビエントというのは、一般的に、アンビエントミュージックを指します。

アンビエントミュージックは、ブライアン・イーノさんという音楽家が始めた音楽で、一言で言うと、バックグラウンドミュージック。

音楽が主役ではなく、音楽が流れている場所があって、人が居て、そこに音楽が共存している、という感じでしょうか。

ちなみに、ブライアン・イーノさんは、プロデューサーでもありまして、例えば、コールドプレイのプロデュースなどをしております。


noteでも、アンビエントミュージックを制作されているnoterがいます。

私が、自分の曲たちに、New Ambient Musicと名付けたのは、彼らの曲の多くが、アンビエントテクノ寄りだと感じたからでした。

多分、彼らの曲の多くは、DTMで制作されていて、ループトラックを繰り返すことで作曲されているのではないでしょうか?

私は、アンビエントテクノも、テクノも作っていますし、好きなのですけど、現在、私が制作したいアンビエントは、主にキーボードの手弾きで作られた、偶発的な、即興的な音楽なのです。

(と、偉そうに書いていますが、私も作りたくなったら、アンビエントテクノを作って、noteにアップしています)


アンビエントとは、環境です。

アンビエントミュージックとは、環境音楽です。

環境音楽が、ヒーリングミュージックとは限りません。


New Ambienterと(勝手に)名乗り始めた私は、アンビエントの定義を拡大し、独自の解釈をしているかも知れません。

いわゆる、アンビエントミュージックではなく。

なので、アンビエントミュージックを制作している他のnoterとは一線を画しておいた方がいいかもなぁ、という考えはあります。

「あなたの音楽や主張はアンビエントミュージックとは違う!」というクレームに対して、「私はNew Ambienterなので、違って当たり前です」と。

こういうのは、言ったもの勝ちみたいなところがあるので、先取りして言っています。


前置きはこれぐらいにして、私にとってのアンビエントとは、「環境」です。

この「環境」とは、「現実」のことであり、「世界」のことであり、「存在」のことです。

リアルと世界と存在。

そこに、「もののあわれ」が加わります。

なので、私は、ヒーリングを目指しているわけでも、スピリチュアルを目指しているわけでもありません。

私の言っているリアルとは、あなたが生きている世界、であり、私が生きている世界、でもあります。

世界には存在があって、それをどのように認識するのか、ということが、現実感であり、世界を認識することだと思うのですけど、私は、アンビエントで、受け手側にとっての「下地」、もしくは「舞台」を用意したいと思っています。

これは、私がnoteにアップしている空や花の写真も同様です。

私が撮影している空や花の写真も、私からしたらアンビエントで、だから、私の言っているアンビエントは、音楽に限りません。


私の写真に、主張はありません。

ただ、空がある。ただ、花がある。

それを見て、不快になる人は少ないでしょう。

私は、特別、ロケをしません。

普段、歩いている道です。

なので、私にとって、いつもの空であり、いつもの花です。

いつもの空で、いつもの花だけども、いつも同じではなく、季節や天候によって、空も変わるし、花も咲いたり枯れたりします。

この変化を楽しんでおります。

見慣れているけれど、変化し続けている世界、そして、存在。

それが、リアルなのではないか、と感じているのです。

ただ、それがリアル、でもいいじゃないか、と。

だから、ヒーリングでもないし、スピリチュアルでもないのです。

リアルなのです。


あなたは生きている。


ネットなどで写真を見てみると、多くの写真は、主観的で、撮り手の眼差し、時に思惑や主張や思想が前に出ています。

それは、多分、人間社会、人間世界のことです。

人間がいて、私がいて、世界がある。

私は、人間はどうでもよくて、私もどうでもよくて、世界があればいい、と思っています。

つまり、「下地」であり、「舞台」です。

バックグラウンドを目指しております。

ここでは、写真を見る人が主役で、あなたがどのように感じても、どのように思っても、どのように評価しても構いません。

私の作品の多くは、自己主張ではなく、自己でもありません。

ありのままの世界を表出させること。


ありのまま、というのは、言うほどに簡単なものではないはずです。

ありのまま、という言葉の含みには、ありのままではいられない環境、というのがセットになっているからです。

人間は、そんなに、ありのままで居続けられるほど、自由な存在ではないはずです。

ありのままで~♪ というのは、ありのままの自分でいいんだ、と開き直ることでしょう。

これ、ジェンダー論になっていくので、省略しますけど、ありのままで~♪ と歌うのは、若い男性ではなく、若い女性なのです。

女性は、自分と女性という性の二つを内包させて、この社会(世間)で生きています。

男性よりも多重(多層)的なのです。


写真でも、音楽でも、トリミングしたり、ミックスしたりして、調整しています。

空の写真、電線が写らないように、アップにしたり。

もし、空の写真に、不用意にビルや電線が写っていたら、興ざめしてしまうでしょう。

ありのままで~♪ と歌いたいのに、ありのままで居させてくれない何かがチラついたら、ありのままでは居づらい。

ありのままで~♪ とは、孤独であって、孤独だからこそ、開き直ることが出来るのではないでしょうか?


もののあわれ、とは、孤独に対応する心の動きで、感じ入っている人は、きっと、孤独です。

感動とは、そういうものでしょう。

でも、やっぱり、孤独であろうとも、世界はあります。

私は、孤独を扱っているわけでも、扱いたいわけでもなく、世界を再現させたいだけです。

あなたがどうであろうとも、空はあるし、花は咲いている。

それだけでいい、と思っています。



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