上野千鶴子 東大祝辞
上野千鶴子祝辞url(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)
私は基本的に男女に限らず機会(チャンス)平等な社会を目指すべきだと考える。上野千鶴子さんの主張を読んで思うところが沢山あった。男と女それぞれに社会的役割を求めることは悪なのか、格差をどのようにしてなくすのかについて考えたい。
祝辞の内容の女性はかわいいを小さな頃から求められるという問題で、私の意見は女性にかわいいを求めることは悪いことでもないし差別でもない。しかし、かわいいを判断基準にして不当に物事が決められてしまうことには反対の考えだ。例えば企業の採用時、能力はなさそうだけどかわいいから採用することはどうなのだろうか。かわいいも判断基準になっていいじゃないかと、それは採用側に決める権利があるという意見がある。これに関して私は判断基準の1つになることは仕方がないことだと考える。顔も個性だからあくまで要素の1つだと考えるべきである。個人的にはジェンダーは個性、社会的な役割を個人に与えるものでもあるとも考えているので是々非々で議論していくべき問題だと考える。
さらに大枠の問題として日本に女性の政治家、管理職、指導的な地位の職業の人の割合が低い、男女に格差があるという問題があり、解決していかなければなりません。これは国民の人権を考慮しつつ積極的に格差を是正する必要があると言われています。例えば企業の役員数にクォータ制を導入するという考えもある。では日本の女性議員の割合を増やすためにクォータ制を導入することは良いことだろうか。私は良くないと考える。これを許してしまうと格差是正の名のもとにlgbtqや各業種ごとの平等を担保するために議席を用意しなくてはいけなくなる。だから女性議員を男性議員と同じ数にしたほうが良いと考える人の数を増やし、選挙で女性を勝たせるしかこの格差を解消する方法はないと考える。
最終的な男女平等とは何だろうか。男性、女性という言葉の概念を消すことなのだろうか。男子トイレと女子トイレの区別をなくすことなのか。結果的にすべてを平等になるようにしたいのか。ジェンダーという問題を大きくしすぎて最終的に何がしたいのか分からなくなってきている。もちろん問題はたくさんあるしかしそれらをジェンダーという単語で括ってしまうのではなく1つ1つ是々非々で議論することが大切だと考える。一番大切なことは機会が平等に与えられて、問題が解決される環境を作ることである。機会が平等に与えられているが解決していない問題は国民がそこまで問題視していない、気づけていない問題であるとも考えられる。
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