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「写真の創作」って何?(4)・・主観的創作性と客観的創作性

前回の記事で、こんなこと書いてみました。

“写真が単なるメディア(媒体)ではなく、それ以上の作品として写真自体が観賞の対象となるには、何らかの他の要素が必要となるのではないでしょうか・・。”

絵画との比較で言うと、写真は単に被写体を写し取って(これを撮ると言ってますが)、情報として他に伝える媒体である場合が多いですね。デジタル化により、フィルム時代ではプリントされた物として扱われていた写真が、デジタルデータとしてコンピューターの情報処理の対象となった昨今、その意味合いはさらに強調されたように思われます。ありふれた情報は、すぐに忘れ去られ大衆の記憶から消えていきます。

そんな中、単にメディアにとどまらず、さらに能動的に創作された写真と言うのも見受けられると思います。

主観的創作性と客観的創作性

写真撮影には必ずそれを撮ろうと思った動機があるはずです。たとえ無意識だとしても。
かわいい、映える。被写体の美しさ、悲惨さなどに心を動かされた。重要な情報として記録したい。様々な撮影動機があることでしょう。意図的に作品作りに取り組んでいるなら、自分が決めたテーマに沿って被写体を選ぶことになるでしょう。さらに、撮影コンセプトを綿密に決めて撮影する場合もあるでしょう。これら撮影者の意図は、主観的創作性として、作品作りに大いに影響するものと思います。

次に、これら主観的創作性を実現し、その思いを写真に残すために、客観的創作性が要求されます。

判例(注1)で示された写真の創作性についての言葉を参考に言うならば、主観的に撮ろうと選択された被写体につき、その組合せ・配置をも考慮しつつ構図やカメラアングルの設定をし、被写体と光線との関係(順光,逆光,斜光等),陰影の付け方,色彩の配合,部分の強調・省略,背景等の諸要素を決めてシャッターを押す。これら客観的要素により撮影された写真が、主観的要素を反映させられるなら、伝わる写真と言うことになりますね。

客観的創作性の部分は撮影技術に負うところが大きく、確かに素晴らしい撮影技術による写真は感動ものですが、心にいつまでも残る写真は、どちらかと言うと前者の主観的創作性が重要で、それに従って選択された被写体如何が感動を生むように思えます。

写真を見るとき、なぜこの被写体を写したのだろう、この写真で何を伝えたかったのだろう、と常々思うわけですが、写真展で展示された写真の前で問いかけながら、答えの出てこない写真の前からはすぐに立ち去らざるを得ないのは私だけでしょうか。主観的創作性が、客観的創作性を通じて伝わってきた時、その写真に釘付けになるような気がします。

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なお、写真家の中には、被写体自体を創作してしまう場合がありますが、その場合の創作の中心は、創作した被写体であり、たとえ写真にそれを引き立たせる工夫があったとしても、写真は創作結果である被写体を記録したり、他に知らしめるためのツールであって媒体でしかありません。
例えば、森村泰昌氏の作品などはその類いですね。写真を使ったアートで、写真という領域のものではないように感じます。


(注1)ここをご覧下さい。


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