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良い写真とは何か・・その4 100年残る写真の要件


宮澤賢治・久遠の宇宙に生きる

写真とは直接関係はないのですが・・・。宮澤賢治の生き方が好きで、特に、かの有名な「雨にも負けず・・・」の詩に励まされますね。同じように励まされた人は多いのではないでしょうか。また、賢治の創った童話もその多くが名作として読み継がれていますね。

そんな賢治の本当の生き方を解説した本に出会ったので紹介します。それが「宮澤賢治・久遠の宇宙に生きる」北川前肇(NHK出版)です。
彼は、仏教の法華経に心酔し、その実践をしていたのです。自分の幸せより他人の幸せを願う・・その根本精神は法華経にあったのです。
雨にも負けずの最後に、
「ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ」
とあるのは、法華経に現れる常不軽菩薩のことであるとのこと。常不軽菩薩を簡単に説明すれば、どんな人でも貴賎を問わず敬って礼拝したことで、どんな人でも軽んずべからずということで常不軽と言われた菩薩です。
賢治は、常不軽菩薩になりたかったのですね。賢治の作品には、この法華経の精神が宿っているというのが、この本の言うところです。

今回は、写真の話なので、この本の内容に深入りするのはやめて、良い写真は何か、という視点からこのことを考えてみみます。

写真家・吉田亮人さんの体験から学ぶ

この本とほぼ同じ時期に、写真家・吉田亮人さんの「しゃにむに写真家」を読んでいたところ、宮沢賢治の話と共通するような話が出てきたのです。

100年残る芸術・・バングラディッシュ、シブさんの話

まず出てきたのは、吉田さんが、バングラディッシュで出会ったシブさんという方の話です。

シブさんは、映画監督、画家、大学教師で、ゴッホが影響を受けた浮世絵をたどって日本に留学、宮崎駿の影響からアニメーションを作るようになる。
「写真は誰でも撮れますね。でも写真は誰でも写せない。『写す』ためには自分の中にある、自分だけの情熱が必要なんです」「絵筆やペンと同じようにカメラが変われば表現が変わってくるでしょう。しかし、その道具を何も考えずに使えるようになったころ、新しい表現が生まれるのです」「最初は広く見るんです。そこから深く潜ることが大切です」p219

「アキヒトさん、バングラディシュで最も尊敬されているタゴールという詩人を知っていますか。彼は多くの詩を遺しました。100年前に作られた詩が今でも多くのバングラディッシュ人に読まれているんです。なぜ、今でも読まれているかわかりますか」
「タゴールの詩は哲学なんですね。彼のあらゆる哲学が彼の詩の中に生きているんです。だから古びないんですね。アキヒトさんが撮っている労働者もアキヒトさんの固く信じる哲学があれば、それは遺っていきます。写真は哲学だと思って、これから写真を撮ることを考えていってみてください」p220

『しゃにむに写真家』 吉田亮人 (亜紀書房)

100年残る作品には「哲学」があるというのです。それは写真も同じ。「写真は哲学だ」

そして、宮澤賢治の作品にも確かに「哲学」が宿っていますね。法華経の哲学。

キュレーター・後藤由美さんの話

「あなたの写真を私たちがみなければならない理由は何なのか。わざわざ他人にあなたの写真を見せる理由は何なのか。」と、以前に由美さんは言ったが、その言葉の意味をもう少しつきつめて考えると、写真を他人に見せるということは、写真を見る者の心に何らかのインパクトを与え、その人自身の中に眠っていた感情や、頭の片隅に仕舞い込んだ記憶や経験に働きかけ、人生や生き方や生活を少しだけ変えたり、精神的な救いになったり、何かを考える小さなきっかけを作るということだ。p278
由美さん・・後藤由美(REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLD のキュレーターで吉田さんが受けた写真集ワークショップの講師)

『しゃにむに写真家』 吉田亮人 (亜紀書房)

ここでは、写真を他人に見せる理由は何?と問われています。
ここで、「写真は哲学」でなければならないことが意味を持ってきます。
世の中、綺麗な写真、素敵な写真は沢山あり、毎日のようにSNSに投稿され、そして消えてゆきますね。
また多くの写真展も開催されていますが、会場で足を止めてじっくり鑑賞するに堪える作品はそれほど多くはありません。
とある写真家が「多くの写真展は自己満足の世界」と言っていました。

吉田亮人さんの体験から学んだ「良い写真」の要件

吉田亮人さんの本はまさに、真の「写真家」になるための修行で、本を読む者はそれを追体験できた感覚になります。
そこで共感し、まさにそうだよな、と思ったこと。

良い写真とは
誰でも撮れる写真ではないこと
哲学を内包していること
が必要である
そして、それらが写真を見ただけで伝わること

哲学=「自分だけの情熱」という示唆をシブさんはしていました。宮澤賢治は他人のために働きたいという信念を法華経から学び、それを「自分だけの情熱」としていました。
宮澤賢治は、その思いを文学という手段で伝えました。
写真も文学と同じで、思いを伝える手段です。ですので、写真以前の問題として、自分が持っている「自分だけの情熱」とは何かを問う必要がありそうですね。

最後に吉田亮人さんの「しゃにむに写真家」にも紹介されている吉田さんの作品「THE ABSENCE OF TWO」について紹介されている記事を見つけたので、ここに紹介しておきます。

吉田さんの哲学を感じてください。


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