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値踏みするのもされるのもお断りです【参考図書:いくつになっても恥をかける人になる】

「アサイン」という単語を知って8年、実際に「アサイン」をするようになって4年が経つ。チームメンバーの得意不得意を理解して、適正な配置をするのは当たり前だけど簡単じゃない。

で、これは本当に怖い話なんだけど…「アサイン」する側になると次第に、大事な仲間を値踏みするようになってしまう。一人ひとりに顔と名前と人生があるのに、まるで駒のように思えてきて、パズルをしているような気持になる。なりやがる。なってしまったんだ…まさかこの自分が…。

値踏みするのは自分に自信がない証拠

私が実際にやってしまった値踏みは、言葉はオブラートに包みながらも、まさに「つかえる奴/つかえない奴」そのものだった。

猛省しつつ、なぜ値踏みしてしまったのか自分を内省すると、そこには相手を貶めることで自分の存在価値を守りたかったんだろうな…と振り返る。正直言うとこの傾向は今も懲りずに続いていて、例えばSNSの見も知らずの他人の投稿を見ては「アホだな」とか「クソリプ」だとか、そんなことを毎日続けてる。人は…いや私は成長できない奴だ。

今日の参考図書は昨日に引き続きこれ
いくつになっても恥をかける人になる/中川諒 (著)

値踏みされたその価値は、シンプルのその人の価値感。それ以上でもそれ以下でもない。

値踏みされたとしても、その価値観はアナタのでもなく私のでもないく、ましてや世の中の価値観でもない。ただシンプルにその人の価値観であることを、勘違いしちゃいけない。

「つかえる」なんて言われたら褒められたかのように錯覚するし、「使えない」はダメ烙印を押されて「ああ自分はダメな奴なんだ」なんて思っちゃう。

他人の評価に一喜一憂してしまうとジェットコースターの落差激しくへとへとになってしまうから、他人の評価と自己評価に、分かりやすい境界線ができると平和だ。

だけど、その境界線を持つのは難しいね。今日自分が値踏みされて、難しさを感じた。

突然ですが、サンボマスターを聴いてたら値踏みされたこともあほくさくなってきた

今日、自分が値踏みされたことをきっかけに、自分の行動を振り返り人を値踏みする自分を分解したら、そこには相手の評価に右往左往してしまう自分と、自己の存在価値を認められない自分がいた。これは根が深いぞ、奥深い課題だ。

なんだけど…サンボマスターを聴いていたら、どうでも良くなってきちゃった。

あれこれ考察するのもいいけど、サンボマスターで結論を吹っ飛ばす夜があってもいいよね。

今夜の結論は、サンボマスター最高。
とりあえず、サンボマスター聞いとけ。
それでだめなら、カラオケでサンボマスター歌っとけ。


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