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なぜ人は神に祈りながら殺し合うの?宗教って何?人って何?

私が聖書を手に取ったのは2019年のこと。
世界的大大大ベストセラーの聖書。
お寺へお墓参り、クリスマスにはケーキでお祝い、初詣は神社へ行く一般的な家で育った私。
別にキリスト教じゃないけど一回読んでみたいな〜と思っているところに、あるママ友が導いてくれた(後に過去世修道女時代の親友だと思い出す)。

読むの初めてのはずなのに、納得の連続、とても懐かしくとにかく触れていたくて。
コロナ自粛期間は庭のパラソルの下で鳥の声と音楽をききながらずっと聖書を読んでいた。
これは本当に本当に幸せな神との時間だった。(エデンの園におこもり😂)

アザーンという、イスラム教のお祈りの時間を知らせる歌が大好きでさ。めっちゃ落ち着くのん。
ある日、銃撃戦しながらのアザーンをYouTubeでみて本当に衝撃を受けてね…

神って何?祈りって何?なんで神に祈りながら人はころしあうの?まじ宗教って何?人って何?なんで?なんで?なんで?って。
ずっと考えてきた。

神の名のもとに異教徒の土地を奪うとか、異教徒は隣人ではなく他人だとか、それはちがう。絶対にちがう。
神がつくった素晴らしい人間をどうして人間がどうにかしていいの?
右の頬を打たれたら左の頬…全く差し出してないやん!

とはいえ宗教を否定したいわけではない。
それはその土地で生き抜くための人間の知恵。
過酷な環境の大陸で、民族間で土地や資源を争うのに、人を、その思想と行動を結束する宗教が必要だった。
ただそれは人がつくった枠(わく)にすぎず、みな向かう真理はひとつなんやと思う。

そんな、真理を都合よく解釈し争いをやめない人間たちを、イエスは「それでも愛しているよ」と赦し、ブッダは穏やかな微笑みでただ宇宙から見つめる。神は法則で保護する。

…ちがうって否定することも争いなのか…。私にできることはなんだろう。使ってください。私を使ってください。と祈りながら勇気を出して気づいたことを発信するぐらいしかできぬが。
こうして枠にとらわれない「カジュアル(普段着)な信仰」を推してます♡

キリスト教が伝来した時、日本人は神を「大日」愛を「ご大切」と訳し受け入れた。
この神のご大切を私なりにお伝えしていけたらなあ〜と思っております。

お気軽に絡んでくださいー🦧❤️
いつもありがとうございます🫶

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