「分からない事」は好き放題言える
私は哲学的な事を割としょっちゅう考える人間である。また、スピリチュアル方面の知識もある。かと思えば投資関係の勉強をしていたこともある。
要するに「分からない領域」に関する事に色々と触れてきた経験がある。
その流れの中で学んだことの一つに正しい正しくないは別として「分からない事に対しては好き放題言える」と言うものがある。
例えば、屁理屈は置いておいて「1+1=2」というのは周知の事実であり、これに対しては「1+1=5」とか「1+1=mc²」とか好き放題いうことはできない訳である。
が、これが「分からない領域」になるとその様相が変わってくる。
死後の世界など最もたるものだ。天国があるか、無か、常か、輪廻転生するのか、チカエ・バルドで光を見るのか、あるいはライフストリームに帰るのか・・・
もしかしたら正解があるのかもしれないが、ぶっちゃけ誰も分からんはずである。臨死体験者といえども本格的に死んだわけではない。分からないから好き放題言えるのである。
スピリチュアルも同様である。チャネリングと妄想の違いは何か?スターシードの証拠はあるのか?なぜプレアデス出身だと分かる?ワンネスとツインレイは矛盾しないか?アルファケンタウリに銀河人形があるのか?ヒマラヤを掘削したらサナト・クマラが鎮座しているのか?
勘違いしてほしくないのは別に上記のことが嘘だとかハッタリだとか言っているわけではない。ただ、「ぶっちゃけ分からないでしょ」と言っているのである。どこまで行っても50:50、グレーなのである。
投資に関しても言うまでもない。1時間先の相場でさえ全く分からない。逆にもっと長期の方がより見通せるかもしれないが、どこまで行っても確実は無い。
歴史に関してもこれは言える。私は歴史にそれほど明るくないが、現存している資料で判断するしかないということくらいは分かる。古い時代になる程資料の数は減り、まるで洞窟の様に最初は明るくどんどん暗くなるのは想像に難くない。歴史もぶっちゃけ分からないのである。
何が言いたいかと言うと「正しいか否かは別として、分からないことは好き放題言えるため、そういう領域については鵜呑みは避けた方が良い」という話である。
なお、分からない領域=存在しないとか、あり得ないとか、役に立たないとは言っていないという事には注意して頂きたい。極めて玉石混交なので気を付けなければいけないと言っているのである。
例えば哲学やスピリチュアルの話にしても鵜呑みを避け、一息置くことで「間違いかもしれないが、面白いし人生楽しくなるので仮に信用してみるか」といったように半分取り入れるという姿勢も取れる。
「間違いかもしれないが、ひとまず役には立ちそうなので仮に信用してみるか」、「間違いかもしれないけど一度自分で試してみるか」という姿勢も有効であろう。
投資に関しては投入資金量をセーブすることでリスクを減らして様子を見ることもできる。
また、こういう分からない、どこまで行ってもグレーなはずのことをまるで純白の様に自信満々に語る人物についても、片足を突っ込むくらいにしておいた方が無難だと思う。
情報は適度な距離感を保って上手に取り入れていくのがよかろう。
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