外宇宙から発生するニャッハハルド電波により、地球はまもなく終焉を迎える!

3月某日、マイラボ渋谷で開催された「その怪文書を読みましたか」という展示イベントに行ってきた。

事前に話題になっていたのか、展示期間中は長い待機列が形成されたようで、途中からインターネットによる整理券システムに変更されたほどの盛況ぶり。

センター街という繁華街の一等地にあるワンルームくらいの小さな展示スペースには、十数点の怪文書が展示されていた。しかし、掲示された怪文書はほとんどがコピーされたものだったので、「原本」が見られずにちょっと残念だった。本当の怪文書には念が残るはずなので、それを見たかった。


私はオカルトファンということもあって、怪文書自体には以前より興味を持っていた。

おそらくそのきっかけは平成3年に三重県で発生した少女失踪事件だと思う。事件発生後に届いた「トミダノ股割レ」などが記載された、書いた人も特定されておらず、内容・意味・意図も不明という有名な怪文書である。

そんな怪文書はなぜ恐いのか考察していきたい。

自分の主張を何らかの媒体に掲載し、誰かに見てもらうこと。この行為はTwitterやnoteなどで表現できる。しかし、読んだ側にとっては強い主張自体の意味が理解できないことで、はじめて怪文書が成立するのではないか。

そして怪文書は手書きによって成り立つ。手紙やファンレターもその時の感情も込めて書くからこそ、想いや念が伝わるのだ。

雑誌・新聞の文字の切り貼りで作る文も怪文書の定番だが、これが蔓延っていた時代はパソコンとプリンターが一般的に普及してない時代のはず。コンビニなどで簡単にプリントアウト出来るようになった現代では、この手の怪文書は少なくなってきているのではないかと推測する。

ちなみに展示では、文字の装飾とフリー素材のイラストを使用した怪文書も展示されていた。一見して、自治体の施設に貼られているような掲示物で、記載内容は怪文書そのもので意図が不明だったものの、おそらくプレゼンテーションソフトでしっかり作られていることから、なんとなく「しっかりとPCが扱える人の仕業だな」と思えて、どうにも恐怖心は薄らいでしまった。

また、SNSやネット掲示板などに投稿された文書をスクリーンショットし、それをプリントアウトしたものも展示されていたが、これもそこまで不気味さや恐怖が伝わらなかった。

ネットはあまりにも不特定多数が対象であり、どうにもメッセージ性は分散しやすい。また、投稿者のなりすまし・いたずらも考えられるし、読んだ側も直接危害が加えられないという安心感もあり、反論やリアクションが容易に出来る。それゆえこちらも対抗手段があることから、不気味さは薄くなるのだ。

やはり、本人の家の壁や窓、無許可で勝手に貼られた町内掲示板、電柱、今ではほとんど見かけなくなったが電話ボックス内などに、ぽつんともしくは大量に貼られている紙の怪文書が一番怖い。

きっと特殊な主張を持つ何者かが自分の近所にいるかもしれない、という潜在的な恐怖が発生しているのだ。

自分が生活している範囲内に、主張の内容・本意はともかく、ほんの少しだけ理解できしまう・読めてしまうという「触り(さわり)」が怖いのだ。すなわち怪文書は「あまり触れてはいけない人のお触れ書き」でもあるのだ。

「デマ」「陰謀論」が記載された怪文書までフォーカスすると今回のイベントとは意味合いが少しだけ異なるので考察はここまでとしたい。


まとめると、デジタルデバイスが普及し、SNSをはじめ自己主張を簡単に表現できるようになった今だからこそ、手書きで書かれた紙の怪文書があらためて見直されるはずだ。

そう、全てはニャッハハルド星から放たれた電波を受信した者たちによる陰謀なのである。

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