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「足し算の時間」を生きる

『たかがハーモニカ、されどハーモニカ 』
第8回 困難な時代だからこそ

若き美学者の伊藤亜紗さんが、刊行されたばかりの『ひび割れた日常』という人類学者や作家とのリレーエッセイ集の中で、「引き算の時間」と「足し算の時間」という興味深い話を書いている。

「引き算の時間」とは、未来のある地点から逆算して現在の意味やなすべきことを決めるような時間のあり方で、社会生活を営む上では合理的な時間観念と言っていい。これに対して「足し算の時間」とはある意味では生理的で、いまという時間を積み上げてゆく時間観念と言っていい。

私たちの社会は、いまコロナ禍のなかで「引き算の不能」に陥っているのではないかと彼女は言う。例えば「東京オリンピック」という一年前には逆算の起点となっていた未来は不確かなものに感じられ、様々な計画も実現できるかどうかわからない。あらゆる約束が反故になるかも知れない不確かさの中に投げ出されている。

そんな引き算が不能となった社会にあって、合理の時間よりは「足し算の時間」を生きている植物の生きざまがいまの私たちにはお手本というか、何かヒントを与えてくれるような気がする。

来年の○月にコンサートを企画するから、そこに向けて日々の練習を組み立てようという考えはいまや成り立ちがたい。いつコロナが収束するのか全くわからない。それなら先の見通しなど考えず、いまこの瞬間をよく生きる方が賢明なのではないか。

それは何も植物だけに限ったことでなく、我が家の愛犬モモだってそうした「足し算の時間」を生きている。未来のことなど念頭になく、その都度のいまを生きて自足する。ある意味うらやましく、魅力的な生き方と言えないだろうか。

私たち人間も先の見通せない未来を嘆くのではなく、日々をハーモニカと共に精一杯楽しく生きる。その積み重ねにこそ人生の充実があると考える方がよほど建設的かも知れない。気持ちだって随分と楽で健康的になる。
もはや「引き算の時間」の観念のなかで思い煩うより「足し算の時間」を生きるポジティブな発想が必要なのかも知れない。

(2021.1ハーモニカライフ91号に掲載)


岡本吉生
-Profile-

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日本唯一のハーモニカ専門店「コアアートスクエア」の代表。教室を主宰するほか、1996年にはカルテット「The Who-hooo」を結成。全国各地に招かれて演奏活動を続ける。
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