2017年 05月 26日

1981年のドラマだったんですね。テーマ曲のフルートの音も好きでした。中学生だったのか。柴田恭平に妙にドキドキしたことを思い出します。101回目のプロポーズがストーカーを肯定したようなドラマだったように(?)柴田恭平と小手川祐子の関係はだめんず好きを推奨するようなドラマだったわけです。
Youtubeで全話見てしまいました。今、見ても良かったです。柴田恭平。あれ以上のダメすぎるのに魅力的なイケメンは、その後どのドラマでも見たこと無い気がする。ファンタジーです。あれこそが、あるべき理想の恋愛!!と思ってしまうのは、どういう洗脳なのでしょうか?

そもそも文豪と言われる人たちも、ミュージシャンなんかも、なかなかの確率でダメ人間が多くて、そういう人たちは社会的にはダメだけれど表現が出来る為に、ダメな部分さえも「価値」となって、特定の女性たちから求められるようになる。これは何?
何のための陰謀?
「私がいなければ」「私が変えてみせる」というのは全部幻想や妄想で、絶対変わらないし、苦労したり傷ついたりするのは女性の方ということになり、それでもそういう人がモテるという構造は40年50年全然変わっていないということですね。

社会の中くらいから下のあたりには、ある程度ダメ人間でしかも自己犠牲的な性格を持った人の子孫が大量に必要だということですね。

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