#5 ぜったくん 『Bed in Wonderland』(2022) | 巣ごもり系マイルドラッパー


「この曲いいよ!」くらいな軽い気持ちでアルバムを紹介しつつ、どさくさに紛れてエッセイのようなものを書いていこうと思います。


 今回は2022年にリリースされたこの一枚、ぜったくんの『Bed in Wonderland』を紹介します。


ぜったくん ✖ トキチアキ が造り出すワンダーランド

 まずは聴いてみてよ、ということで一曲目はアルバムから『Man Say Bien』 (トキチアキさんのアニメーションがかわいすぎて見てほしいので、全曲MVで紹介です。本当にかわいいから見てほしい!)

 ね? 音楽もアニメーションも最高にかわいくないですか? 「鼻炎」 とスペイン語の 「Bien(大丈夫、良くなる)」をダブルミーニングで使った、別れ際の男女の曲ですね。

 曲は、巣ごもり系マイルドラッパー、ゲーム大好き(本人談)ぜったくん。アニメーションは、チープなイラストやアニメーションを作っているクリエイター(本人談)トキチアキさんです。

 ぜったくんの紹介記事なんですけど、先にトキチアキさんの話をしてもいいですか。トキチアキさんが描くキャラクターが個人的にかなり性癖(絵癖?)に刺さるってだけの話なんですけど。トキチアキさんのオフィシャルサイトがこちら。

 まったく更新されてないですが、noteがこちら。

 ご本人のプロフィールにも書いてありますが「チープ(安っぽい)」って言葉のチョイスが、これまたいいですよね。ユルいでもなく、ラフでもなく、チープ。決してトキチアキさんの絵に価値がないという意味ではなく、印象としてのチープさ、ということですね。

 今って、LINEスタンプや漫画エッセイなど、いたるところでデフォルメされたユルいキャラクターが溢れてますよね。例えばみなさんは、LINEスタンプを買うときに「これは好き」とか「これはなんか違う」とか、絵のニュアンスに対する選考基準みたいなもの、ないですか?

 私はあります。実用性ももちろん大事なんですけど、それ以前に絵に対するトキメキの有無が重要だったりするんですよね。目の離れ具合とか、輪郭の形とか、線の太さとか、なーんか好みがありますよね。

 そして思ったんです。記事でトキチアキさんを激推しするにしても、他のデフォルメされたキャラと何が違うのか、私は何にトキメいているのか、言語化して説明したいなと。デフォルメについて調べて、その歴史に言及しつつかっこいい記事を書こうと。

 はい、調べました。

 いや、無理でした。このデフォルメという世界ですが、遡ればエジプト絵画に始まり、後期ルネサンスのマニエリスム、ピカソらのキュビズム、西洋の風刺画や日本の戯画、ディズニーや手塚治虫以降の漫画・イラスト・アニメと、あまりに膨大すぎました。

 大雑把に言うと、デフォルメとは、対象物を変形させて表現する技法で、デフォルメをする動機は美意識の表出ということですね。あとは、絵が下手で歪むのはデフォルメではないと。(神様の造形はデフォルメとは言わないらしいんですが、裸婦も神様として書けばセーフみたいな文化的な文脈の定義っぽいので今回はスルーします。)

 つまりですね、作り手はデフォルメすることで、いかに美意識を表現できるかが大事になってくる、ということですね。一見簡単に描けそうなので参入者も多いですが、美意識がない、または弱い絵は埋もれていってしまうでしょう。

 「下手くその逃げ」とか「ベビースキーマ(幼い動物が持つ身体的特徴)でかわいいだけ」とか侮られがちなデフォルメ絵(特に近年のアニメっぽいキャラ)ですが、他人に “ウケる” のはそんな簡単な話ではないようです。

 さて、ここで改めてトキチアキさんのアニメーションを見るとどうでしょう。トキチアキ節ともいえる美意識が溢れ出ていると思いませんか。どんな美意識かって? それはやはり、あえて言語化するとすれば「チープなかわいさ」と言わせてください。

 トキチアキさんにかこつけてデフォルメについて語ってしまった感も否めなせんが、この「デフォルメ」という表現方法「かわいい」という美意識って、ぜったくんとトキチアキさんを繋げるキーワードかなと個人的に思ってるんですよ。もっと言うと、今の時代のキーワードかもって思ったり。

 ちょっと長くなりそうなので一旦ここで区切ります。デフォルメについて調べていて面白かったのが「デフォルメ=盛り」として、日本の女の子の盛りについて工学的に研究されている方がいたことです。以下、東京大学大学院で特任研究員をされている久保友香さんのインタビュー記事です。


 確かになと思わされる部分も多く、とても示唆に富んだすばらしい記事でした。他のインタビュー記事でも「『顔盛り』の時代からシーンを演出する『シーン盛り』の時代へとトレンドが変わっていて…」とすばらしいフィールドワークの成果も話されていたりするので気になる人は調べてみてください。


「デフォルメ」について考えてみた ~チープな僕らの痛み~

  さて、ここでアルバムから2曲目『Midnight Call feat.kojikoji』

 この曲を初めて聞いたとき、「わ、めっちゃイマドキ!」って感動しました。夜はだいたいネトフリ見てて、好きな子とはリモートで繋がれてるだけでFeel Goodで、ネット電話で寝Callしてたい、なんて。

 このアルバム、ぜったくんの1stアルバムなんですけど「普通の人の生活感」がコンセプトだそうです。ぜったくんは、生活を小さく切り取る(デフォルメする)のが本当に上手くて、ホッとするエッセイを読んだ後みたいな気持ちにさせてくれます。

 さて、突然ですが、ここでちょっと私の中に芽生えた仮説を聞いてもらってもいいですか。私たち(のライフスタイル)って、そもそもなんだかデフォルメされてない?って思うんです。誤解を恐れず言うと、私たちの存在って、なんかチープじゃない?って。

 ネットの普及や資本主義の経済原理のおかげで(せいで?)、みんな同じような服を着て、同じようなものを食べ、同じような家に住み、同じようなソースを見て、同じような価値観で、同じような意見を言ったり、同じようなコミュニケーションをしてるよな、と思うわけです。

 もちろん、極論ではありますが、昔のような情報の偏りからくるトンデモ個性って減ったんじゃないかなって。複雑さが削ぎ落とされて記号化されているというか。記号化や希薄化なんて前から言われてますが、デフォルメという視点で考えるといろいろと繋がる気がするんですよ。

 つまり、みんな知識やモノの所有で個性を差別化できなくなってきていて、主観(美意識)や感情でしか自分を証明できないのか、と。そう考えると、やたらと個人的な快不快を主張する時代になったのも頷けるというか、いろいろと辻褄が合うなと。

 「陰キャ」とか「陽キャ」とか「○○男子」とか「○○女子」とか、やたら自他の「キャラ」や「属性」をカテゴライズしたがるのも関係ある気がしてきます。何かの分析のためってよりは、不快なキャラをモブ化したいのかもと思ったり。

 まあ、他人は自分を映す鏡って言葉があるように、そういう思考は跳ね返ってきて、自分までモブ化して自己肯定感爆下がりなんて人も多そうですけどね。負のデフォルメスパイラルが起きていそうです 。気をつけたいところですね。

 とはいえ、個人の記号化の流れは、もうしばらくは止められないのかなとも思います。そして、自分自身のかけがえなさ(代替不可能性)の喪失状態は、時に強い痛みを伴って人を無気力にしたり攻撃的にしたり、異常な精神状態にします。場合によっては自ら命を絶ってしまうほどに。

 では、私たちはどう対処すればいいでしょうか。インスタの映えも、ティックトックで踊るのも、X(旧Twitter)で感情を吐露するのも、なろう小説で俺TUEEEEに現実逃避するのも、文明の進歩で良くも悪くも記号化されてしまった私たちが編み出した、生存戦略なのかもしれません。

 それでも、不快感を快感で上塗りするだけで、応急的な処置のような気はします。じゃあ、チープで瘦せ細ってしまった私たちの存在ってどうしたら回復するのって?それは、ぜったくんを聴くことで治ります。治ります、は言い過ぎましたが、半分冗談で半分本気です。

 結局は平凡な日常を愛しんで、自分のコミュニティを大切にするしかないというのが、現時点での私の答えです。日常なんて、嫌なことがたくさん起きて全然かわいくないですし、コミュニティもそれぞれに自治の意識がないと崩壊しますし、簡単じゃないですけどね。

 ぜったくんの音楽は、何かと心がマイナスに振り切れてしまう私たちを素の状態に戻してくれて、そっと背中を押してくれるような、そんな音楽だなと感じます。少しだけデフォルメして、普通な人の生活って良くない?と提案してくれる、平凡な日常を愛するアイデアが詰まってるアルバムです。

 ファンク/ソウルのレジェンドであるジェームスブラウンが、氏のドキュメンタリー映画『Mr.Dynamaite:The Rise of James Brown』の中で「ソウルってのは、サバイブするってことさ」的なことを言ってましたが、ぜったくんはまさに現代を生き延びるためのソウルミュージックと言ってもいいかもしれません。

「かわいい」について考えてみた ~チープさを受け入れた先に~

 さて、ここでアルバムから3曲目『ビュンビュン逃飛行✈️』

 概念的な話ばかりしちゃって申し訳ないんですが、もう少しだけお付き合いください。能書きに疲れちゃった方は最後の曲だけでも聴いてってください。激激激推しです。なにとぞ。ぺこ。

 もうひとつのキーワード「かわいい」についての話をちょっとだけ。現代人のデフォルメ化現象が進むなかで、爆発的に花開いた(と、個人的に思っている)美意識があります。そう、「かわいい」です。

 みなさんは「かわいい」の意味をちゃんと説明できますか? 感覚的にはわかっていても言葉で説明しようとすると難しいんですよ。「cute」や「pretty」や「lovely」など広範囲の属性を形容するうえに、様々な感情や感覚を含みます。すなわち属性形容詞(大きい、重い、冷たい)でもあり、感情形容詞(嬉しい、悲しい、寂しい、痛い、眠い)でもありますよね。

 さらに面白いのが、その使われ方です。その使われ方を観察していると、単に形容することだけが目的ではなく「かわいい」という言葉を使った時に得られる “何か” を目的にしているように思えます。そう、「かわいい」には明らかに使うことによる効用・効能があるんですよ。

 そのような趣旨の研究も多くされているようです。褒め合うことで相互承認の機能があるだとか、近接動機付け機能がある(かわいいものに対して集中力が増しより近づきたくなる)だとか。各分野の専門家や企業、一般人に至るまで「かわいい」を解明すべく様々な切り口で論じられています。

 しかし、私が個人的に関心があるのはもう少し尊厳に関わる効用です。仮に、この「かわいい」から得られる効用を目的として「かわいい」と積極的に思ったり、言葉にしたり、自分自身もかわいくあろうとする行動全般を「かわいい行動主義」とでも名付けてみましょう。

 この「かわいい行動主義」は様々な効用を含むものと考えます。例えばマズローの欲求5段階説を流用して考えてみると、高次元の欲求はもとより低次元の欲求にも働きかける効用があるのではないだろうか、というのが私のイメージであり仮説です。

 生理的欲求って食事や睡眠や排泄とかの生命維持に最低限必要な欲求でしょ、大げさじゃない? と思われる方もいるでしょう。ですが、前述した通り、自分自身のかけがえなさ(代替不可能性)の喪失状態は人を無気力にしたり異常な精神状態にして最悪の場合は自死に至らせます。

 リファレンスが気になる方はデュルケームのアノミーや、エリクトンのアイデンティティクライシス辺りを参照してみてください。自殺率、引きこもり率なんかを見てもそうですし、それ以外の人たちもどうもイライラしてるというか、社会がギスギスしてる原因もそこにあるよなと思うわけです。

 つまり、みんな知らず知らずの内にかけがえなさを喪失して不安定な精神状態であることが、今の様々な社会問題の根底にあるんだろうなと、わりと真剣に考えてます。社会的欲求・承認欲求・自己実現欲求の文脈で捉えられがちなかけがえなさ(代替不可能性)ですが、それを失ってしまうと健康や生命が脅かされるといった意味では準生理的欲求・準安全欲求といえるのではないでしょか。

 そして、高次元の自己実現欲求を満たせるからではなく、低次元の生理的欲求もしくは安全欲求に働きかけてくれるからこそ、「かわいい行動主義」は爆発的に広がったのではないでしょうか。とにかく、私たちの記号化って切実な問題で、大げさに言えば「かわいい」に命を救われてる人もいるよねってことです。

 何言ってるかよくわからないって?わかりました、いいですか。モノでもヒトでも何でもいいんですが、キュンとして「かわいい」と口に出して呟けば、そこはもう自分と「かわいい」だけの宇宙なんですよ。癒されるし、安らぐし、楽しいし、儚いし、自己肯定感があがる感覚!渇いた心が潤い、明日への活力が溢れ出す!まさにワンダーランド!ハクナマタタどころじゃない魔法の言葉、それが「かわいい」なわけですよ!!

 取り乱しました。

 モノや情報が溢れ、簡単に他人の生活が覗けるようになり、個人が記号化していく強制デフォルメ時代に突入した私たちにとって、自分という存在を証明するための「かわいい行動主義」なのかもしれません。

 デカルトっぽく言えば「我かわいいと思う、故に我あり」といったところでしょうか。それとも「我思わなくても我あり、だが、かわいいと思えるから生きられる」と言った方が正しいでしょうか。イデオロギーなき実存主義というか、キリスト教の予定説のような下支えなき構造主義を生き延びる知恵というか、アドラーの目的論っぽいというか。  

 落語家の立川談志は「快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である」なんてことを言っていましたが、「かわいい」ってまさに文化として根付いてますよね。現代を生きる私たちの心のSOSが「かわいい」なのかもしれません。

 そしてそんな切実な時代に、チープって逆にかわいくない?と言ってくれてるかのようなぜったくんやトキチアキさんに、救われた気持ちになる人は少なくないのではないでしょうか。というお話でした。


 以下、「かわいい」を文化論的な切り口で考察されているサイトです。本文ではかわいいの文化史についての紹介は省きましたので、参考まで。個人的には、2000年代のSNSの普及とともに「かわいい」の使われ方が無制限になり、圧倒的な市民権を獲得したと考えてますが、それはまた別の機会に。

 余談ですが、ネットでKawaiiについて調べると、いたる所で「21世紀に入って世界に最も広まった日本語と言われている」って紹介されてるんですけどソースがないんですよ。で、一応ファクトチェックをしたら、アニメ文化外交の研究者であり有識者として活躍された櫻井孝昌さんが著書『世界カワイイ革命 (PHP新書)』の中で、肌感覚で感じた個人の見解として述べられたもののようです。いつか誰かのためになるかもしれないので書き残しておきます。


「街」について考えてみた ~街を奪われた僕らの反撃~(仮)

 さて、ここでアルバムから4曲目『味噌つけてキュウリ食べたい』

 季節外れの夏の歌の紹介です。Carlton & The Shoesの『Give Me Little More』をサラッとサンプリングしているのが憎いですね。

 さてさて、これまで力説してきた「かわいい」という美意識ですが、音楽の世界にも侵攻してきています。Kawaii Future Bass(もしくは単にKawaii Bass)なんていう「Kawaii」を冠したジャンルまで生まれています。

 ぜったくんも、この Kawaii Future Bass のエッセンスを曲に流用したりと、大きく影響を受けているとインタビューで話しています。Kawaii Future Bass ってなんぞって思われた方のために、良くまとめられているリンクを貼っておきます。


 少しだけ補足しておくと、かわいい印象を受ける曲は昔からありました。ただ、それが一つの川のように合流してまとまりだしたのは、やはり2000年代といえるでしょう。SoundCloudやニコニコ動画などに有名無名のアーティストたちががDTMなんかをアップし始めた時期とも重なります。

 2000年代になると、ゲーム等の8bit音で構成されたチップチューンが、ジャンルとして確立されました。時を前後して、中田ヤスタカ擁するcapsuleがデビューしネオ渋谷系としてエレクトロシーンを牽引していきます。この頃は「かわいい」でなく「ピコピコテクノポップ」とか「キラキラエレクトロポップ」とかそんな呼ばれ方をしていました。

 そして中田ヤスタカさんときゃりーぱみゅぱみゅさんが「Kawaii」の看板を背負って海外に殴りこんでいったのが2011年です。そんな流れの中で、2014年にUjico*/Snail’s Houseさんが Kawaii Future Bass というジャンルを提唱し確立した。というのが大きな流れかと思われます。


 とまあ、ここからはぜったくんの音楽性の話をしたかったんですが、だいぶ長くなってしまったので省略します(笑)本末転倒でごめんなさい。てへぺろ。

 本当は、ナード系HIPHOP/ラップミュージックを舐めんなよって話や、HIPHOPとブロックパーティーの話、コロナ禍で街を奪われたミュージシャンの話なんかをしたかったんですけど、書く体力ゼロです。

 ぶっちゃけ、音楽なんて聴いてナンボ、キュンとしてナンボですからね。ぜったくんの音楽でしか得られない心象風景があると思うので、知らなかったって方にはぜひ好きになってもらって、ライブなんかで一緒に騒げれば嬉しいです。

 アルバム紹介にかこつけて変な自論を展開してしまって、ぜったくんやトキチアキさんのご迷惑になってないか気が気じゃありません。反省。


どんな時代でもクリスマスはやってくる! ~あの名曲も最初はみんな新曲だった~

 さて、最後の曲紹介です。アルバムから『Gaming Party Xmas』

 さあさあ、ここまで読んでくださった方、長い時間お付き合いいただき本当にありがとうございました。この曲は2020年にデジタルシングルとしてリリースされました。生まれたてほやほやの令和のクリスマスソングです。

 みなさんは好きなクリスマスソングはありますか? 国内外問わず名曲揃いですよね。海外のチャートだとナットキングコールやビンスガラルディトリオなどレジェンド達の楽曲が、この時期になると毎年必ずチャートインしてくるなど、本当に不思議な魅力があるのがクリスマスソングです。

 ただね、山下達郎の『クリスマスイブ』だって、マライアキャリーの『All I Want for Christmas Is You』だって、ワムの『Last Christmas』だって、この世に存在するすべての名曲たちは、最初は馴染みのないただの新譜としてリリースされたわけですよ。当たり前ですけど。

 つまり何が言いたいかって言いますと……

 令和を代表するであろう(して欲しい)クリスマスの名曲、リリースされてますよ!!!ってことです。ええ。この投稿はこの曲を紹介したいがためだけに書いたと言っても過言ではありません。是非、聴いてみてくださいね。


おまけ

 おまけとして、10月14日(土)に行われた代官山UNITのライブに行って来たんでライブレポでも書こうかなと思ったんですが、長くなっちゃったのでやめときます。気になる方はこちらのライブレポをどうぞ。

 ライブが苦手というわりに最高のライブでした。早く次のライブに行きたいです。(ぜったくんもっとライブしてくれー!)


 それではみなさん良いクリスマスを!また次回!

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