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私が私らしくあるために、決めたこと。

この度4年間務めた職場を辞めることにした。
新型コロナウイルスがじわじわ浸食し始めた3月に入社して以降色んな事があったけど、嬉しい出来事より辛い出来事の方が多かったな。

この記事を投稿するか迷ったけど自分の人生に一区切り付いたし、また同じ壁にぶつかった時のためにも記録しておきたい。
さっそく本題へ入ろうか。


まず辞めた理由を端的に言うと社内の人間関係が嫌になったから。

特に同じ部署の先輩(以下:Sさん)と私は、性格や価値観が正反対で本当にびっくりするくらい共通点が無かった。年齢も住んでる場所も違くて、頑張って探しても人間である事・日本人女性である事くらいしかないだろう。

アニメや漫画だと「正反対だからこそお互いを補えるベストパートナーだ!」みたいな展開になりがちだが、あいにく私はただのコミュ障オタク。アウトドア派で流行に敏感かつ、非オタのSさんと良好な関係を築くのは難しかった。今も昔もオタクではない人と何を話していいかわからない。
というか、そもそも私が仕事出来なさ過ぎて呆れられたってのもあると思う。「A校(私の出身校)からはもう採るな」とか言われてしまった。後輩たちよ、ごめんなさい。

Sさんはよく言うとフレンドリー、悪く言うと人の心に土足で踏み込んでくるタイプの人だ。噂話が好きで社員のプライベートやこっそり告げたはずの個人的な話もいつの間にか社内に伝わっていた。さながら人間拡声器。常日頃「恋人はいるの?一度は結婚と出産をすべきよ」「家事は女性が…」と口癖のように言ってた。ちょっと黙りな。


入社2年目を過ぎたある日、雑談中に「休日に家に籠ってばかりで何を楽しみに生きてるの?」と聞かれた事があった。
この時、なんだか自分自身を否定された様な気がして酷く傷ついたのを覚えている。確かにアクティブで社交的な先輩から見たら退屈な人生かもしれない。でもさ。私だってそれなりに誇りとかプライドを持って生きているのよ。貴方が出かけた先での事を誰かに話すのを「楽しい」と思うように、家でゆったり過ごすのが私の楽しみなんだ。だからそんな風に言わないでおくれよ。そんな想いが濁流のように押し寄せてきた。

けど、何も言えなかった。

頭が真っ白になって思うように声が出ない。視線は泳ぎ「あの…えっと…」とうわ言のように呟くことしか出来なかった。なんとか愛想笑いを絞り出してやり過ごし、後で一人泣いた。もっと強く言い返せたら何か変わったんだろうか。今でもときどきその時の夢を見て苦しくなる。


それからというものSさんと私の関係は悪化の一途を辿り、とうとう修復不可能なとこまで来てしまった。
業務上必要な会話はするが、それ以外は全くなし。嫌味を言われて、仲間内でクスクス陰口を言っているのを見る事もあった。いつしか彼女の一挙手一投足全てが怖くなり、「自分がいても迷惑をかけるだけだから居ない方がいい」とか「もし急にいなくなっても誰も探さないし、困らない」とか思うようになった。全ては至らない自分が悪いのに。
ときどき出勤前に泣いてしまう日もあった。明日になるのが嫌で無意味に夜更かしして、やっと寝付けても眠りが浅くて疲れが取れない日もあった。病院の受診も考えたけど、何かと理由を付けて行かなかった。一歩を踏み出すのが不安で「仕事ってこういう物だから」と言い聞かせて出勤してた。


臆病な私に転機が訪れたのは入社4年目を迎えたある日。先述の一件よりも我慢ならない一言が決定打となった。

「あなたこの仕事向いてないね。どんなダメ人間でも適職って必ずあるし、探してみたら?」

言われた瞬間、自分の中で張り詰めていた糸がブツンッと切れて全部どうでも良くなった。当時は不正出血があったり生理周期が異常なほど乱れたり蕁麻疹が出たりと色々限界だった矢先のこれ。そりゃあ心も折れるさ。これは流石に黙っちゃいらんねぇ。
これまでは「ここを辞めたらどこも雇ってくれないかも」「心配かけたくないから辞めない」と縋り付くように過ごしてきたけど、もうおしまい。
きっとここにいる限り私の望む未来や幸せはやってこないだろう

辞めようと決意してから、ひとまず自分の現状を洗い出した。
現在のスペック、現職場の長所短所、次の職場に望むこと、今後1年の予定などなど。
なお長所短所は全部書き出した後に我慢できる事を青字で、出来ない事を赤字にして仕訳けると何が不満なのか可視化しやすいとネットで見た。ありがとうインターネット。結果的に我慢できないことの方が多かったので決心がより強固なものとなった。

後日、恋人や友人達に相談したところ「新卒からずっと同じ勤め先の人はなかなか居ないから辞めても問題ないさ」「みんな後先考えず転職したけど割となんとかなったよ」と言ってくれた。全員転職済みなので言葉の重みと説得力が違う。温かな言葉を胸に決意の一歩を踏み出したのだった。


…と散々偉そうな事を言ったが、根っこは変わらずメンタルよわよわ意気地なしの為、家族や職場関係者に退職を伝え終わるまでに4日かかった。ダメダメじゃあねえか。貧弱!貧弱ゥ!!
7月某日、まず始めに直属の上司へ報告。
私が所属する部署は人事部も兼ねているため早めに伝えた。上司は今後の手続きや決めるべきことを淡々と事務的に述べ、後日改めて話し合う事になった。弊社は何故かよく退職者が出るので慣れた感じだった。(働いてる人の質も給料も悪いからだろうね)

その次に諸悪の根源・Sさんにも退職を伝えた。すると彼女は非常にあっさりとした態度で了解し、なんならこれまでの罵詈雑言や「向いてない」と言ったことすら覚えてなかった。
私はあんなに傷ついたのに覚えてないだと!?この野郎生かしちゃおけねえ…!!と、はらわたの煮えくり返る思いだったが言葉は曖昧な存在なので仕方がない。親しい間柄でも言った・言わないで揉めるし、無意識の一言で傷つけてしまうのもよくある事だ。
だが辞めると言ったとたん優しくなり、よく話しかけてくるので多少思う事があるんだろう。最後くらいは穏便に過ごしたい…けどアンタにされた事は忘れないけどね!!悪いね、私はコケにされると結構根に持つタイプでな。

次いで彼氏・友人達への報告。前々から相談していたのもあってすんなり言えて、労いの言葉もかけてもらい心が安らいだ。本当にありがたい存在である。彼らがいなかったら今も悩んでいたと思う。

最後は最大の難関・家族への報告だ。我が家は”働かざる者食うべからず”を家訓としているので、猛反対は免れない。そう思うと言い出せなかった。
正直「辞めたいって言ってやった!ざまあみろ!!」という爽快感より「いよいよ後戻り出来なくなった。これからどうしよう」と不安な気持ちの方が強い。でもうじうじ悩んでても変わらないしやるしかない。勇気を出して伝えたが、母親の圧が凄くて少し泣いた。まさしく蛇に睨まれた蛙状態。しかし私の言葉を急かすこと無く黙って聞いてくれて、家事手伝いと職探しをする事を条件に二か月間の猶予をもらえた。これから無職になるのに追い出さないでくれてありがたいね…。もう感謝しかない。


以上がことの顛末だ。
きっと世間から見たら私は非常識で甘ったれの弱虫だろうが、これが今の精一杯なのでどうか大目に見てほしい。踏み出さなければ何も始まらないけど、その一歩が何よりも怖いんだよ。
Sさんとの関係だってもう少し我慢と改善が出来たかもしれない。けどつらい気持ちに蓋をしてやり過ごしているうちに、自分にとっての大丈夫が何なのか分からなくなってしまった。だからそれが見つかるまで暫し休憩。
これからも悩み多き日々が続くだろうが、今より少しでも自分らしく生きられるように過ごしたいものだ。

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