第48話 友人の話-灰色の男
「私も人殺しを見たことがある」
過日、別の方からも47話によく似た話を聞いた。
「学生のころ、電車の中でした」
大好きなアーティストの新作が出た日、ヤマグチさんは梅田のレコード店に向かうべく、阪急電車に乗っていた。
ふと、向かいの席に座る若い男性に目を引かれた。
「グレーに見えたんです」
肌も服も灰色の人影……一瞬、そんな異様なものが目の前に見えた気がしたのだ。
だが目をこらしてみると、男にグレーの部分などまったくない。
真っ白なTシャツに、ベージュのチノパンをはいている。
黒い髪は濡れているせいで、さらに黒く見えた。
なんなのか?
不思議だが、注視するのをやめると、また男はグレーに塗りつぶされたかのように見えてしまう。
異様なのはそれだけではなかった。
膝の上で組んだ両手はプルプルと大きく震えている。
ガクリと頭をたれ、床を見つめながら、ときおりなにごとか早口で呟く。
「薬物中毒かなにかだと思いました」
だがそのうち、ヤマグチさんは気づいた。
全身がグレーに見える男だが、手だけは違うのだ。
色がまとわりついている、とでもいうべきだろうか。
赤紫、あるいは赤みがかった茶色……微妙に色合いが揺らぐ陽炎めいたものが男の手から立ち上っている。
それがあまりに禍々しく、見ていると鳥肌が立ってくる。
「見ちゃダメ、って思うんですけど」
凝視していることに気づかれたら、なにをされるか。
それどころか、もし目が合えば、「異様な色が見えていること」を察知されそうで怖かった。
にもかかわらず、席を立てない。
周りの人は、男の異常性にまったく気づいていないようだからだ。
自分だけが席を立ち、移動すれば、男の注意を引いてしまう。
結局、うつむいたまま目だけを動かして男をチラチラ見る、という不自然な姿勢で、数駅をやり過ごした。
やがて、ある駅に着くと、男はのっそりと立ち上り、電車を降りていった。
家に帰ってから、ヤマグチさんは確信した。
あれは、人を殺した気配だったのだ、と。
直後だったのだろう。
髪が濡れていたのは、汚れを落とそうとシャワーを浴びたせいだ。
思い返してみると、あのとき、男にはもう一つの気配があった。
「子ども……たぶん女の子」
なんの根拠もない話だから。
勘違いであってほしい……。
ヤマグチさんはいう。
そうでないと怖すぎる。
そんな人間が身近にいることも。
それが見えてしまうことも。
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