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第42話 友人の話-峠道

ヒロヤマさんは長距離トラックの運転手をしている。

仕事柄、深夜に車を走らせることも多い。

「高速が大半やけど、しかたないときは山道とかもいくで」

そのときは事故で高速が通行止めになっていたため、やむなく峠を越えることにしたのだという。

数年前に奥さんと死別した彼は、男手で小学生の娘を育てていた。
早く帰ってやらねば。
そう思い、夜の峠道を越えることにした。

真冬のことだった。
他に通る車もない山中の道は真っ暗で、ヘッドライトがなければなにも見えない。

幸い、雪は残っていないが、凍っているところはあるかもしれないので、焦る気持ちを抑えて、なるべくゆっくり走った。

「それでも、もちろん人が追いつける速度やないで」

とあるカーブを曲がるとき、ヒロヤマさんは人影を見つけた。
一瞬、ライトに照らし出されたのは、赤っぽい服を着た女性だった。
それがユラユラと手を振っている。

「あかん」
反射的にそう思ったのだという。

極寒の山中だ。
人家からも遠い。
女性が1人でいることなどありえない。

車の事故なら、近くにそれらしい車体が見えるはずだが、女性の周りにはクマザサの茂みが広がるだけだった。

それまでにも、ヒロヤマさんは夜道で何度か、同様のものを見たことがあった。
ただ、それらはみんな、ただそこにいるだけ。
手を振られたのは初めてだった。

背筋にゾッと冷たいものが走った。
山中をできるだけ早く抜け、人がいる街に出なければ。
そう思い、アクセルを踏んだ。

しばらく走ると、カーブを曲がった先に、またそれがいた。

同じ女性だった。
また手を振っている。
先ほどより少し、車道側に出てきており、とっさにハンドルを切らなければ、車の側面で引っかけてしまいそうだった。

無理なハンドル操作に蛇行する車をなんとか抑えて、ヒロヤマさんは道を急いだ。

「ほんまにヤバイ、と思て」

だが次のカーブを抜けようとしたとき、今度は道の真ん中にそれがいた。
ヒロヤマさんのトラックは、真正面から轢いた。

バンッという衝撃音が響いたが、不思議と車体が揺れることはなかったという。
「大きな風船かなんかを潰したみたいやった」

あわてて、ヒロヤマさんはトラックを止め、下をのぞき込んだ。
違うとは思っていたが、万が一人間だったら、と考えたのだ。

トラックの下にも、路上にも、なにも見当たらなかった。

「もうパニックやったけど、娘が待ってる、と思て」

ヒロヤマさんはトラックに戻り、エンジンをかけた。
少し走ったところで、異臭がするのに気づいた。

「ドブみたいな、腐った水の臭いというか」

鮮魚を運んでいるときに大渋滞にはまってしまい、荷物をダメにしたことがあった。
そのときの臭いに似ていたという。

さらに少しして、おかしな音が聞こえ始めた。

「シューシューいうような……」

急ブレーキをかけたりしたので、駆動系に異常が出たのか。
そうも思ったが、音はエンジンルームではなく、後ろから聞こえてくる。

ふと、バックミラーをのぞくと、座席のすぐ後ろにある仮眠スペースにあの女がいた。

歯をむき出して、シューシューと音を立てていた。
「笑とったんかな」

ミラー越しに目が合った。
あまりの恐怖に、身体が硬直しそうになった。

とっさにヒロヤマさんは、ミラーに吊ってあったお守りをつかみ、ちぎり取った。
娘が生まれるときに買い、亡妻が持っていたもの。

「せやから、安産のお守りやったんやけど」

背後に投げつけたのは、ほとんど無意識の行動だった。
気がつくと、後部座席にいたそれは、消えていた。

以来、ヒロヤマさんは、車に大量のお守りをつけるようになった。
仕事柄、山道を走らないわけにはいかないからだという。

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