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第66話 友人の話-顔

サノハラくんは食品会社の営業マンをしている。
営業一筋12年というベテランで、成績もいい。

地域の営業所では、ほぼ毎年トップの成績を収めてきた。

ある年、その風向きが変わった。
ライバル会社からやってきたタムラくんのせいだった。

6歳年下の好青年で、社内の女性陣からもウケがいい。
親父ギャグでどうにかコミュニケーションを図っているサノハラくんとは大違いだ。

さわやかなルックスのおかげか、新規開拓のペースも速い。
サノハラくんが日参してやっと担当者の面会をとりつけているのに対して、タムラくんは飛び込みで訪れたその日に、スイスイと話が進むことも少なくない。

「嫉妬しました」

サノハラくんの成績だって悪くはなかった。
ただ、ライバルを意識するようになってからは、強引に商談を進めようとすることが増え、クライアントから敬遠されるようになった。

暗に「担当を変えてくれ」といってくる会社も出始め、営業所長はそういったクライアントを好感度が高いタムラくんに任せた。

「当然といえば、当然の判断なんですけどね」

サノハラくんは怒り、恨みに思った。
だが恥ずかしいことと思う気持ちもあり、誰かに話すこともできない。

そんな鬱屈がたまりにたまったある夜、サノハラくんはひとりでしたたかに痛飲した。

気がつくと、見知らぬ川の畔に寝転んでいて、これまた未知の男に肩を揺すられていた。

「あんた、なあ、あんた」
男からは動物園の臭いがした。
ボロボロの服をまとったホームレスだった。

男の体臭から逃れるように身体を起こすと、ひどい頭痛で目が回った。

思わず倒れ込みそうになるサノハラくんをホームレスが支える。
抱きかかえられて、悪臭にえずき、吐いてしまった。

ようやくしゃべれるようになると、そこがどこなのかホームレスに訊ねた。
サノハラくんはどうやら、自宅とは全く正反対の方角に向かう電車に乗ってしまったようだった。

「タムラが憎いのか?」
ポツリとホームレスがいった。

もうろうとする中、恨み言でも漏らしたのだろう。
どうせなら、ということで、サノハラくんはそれまでの経緯を見知らぬホームレスに語った。

「そいつは憎かろう」
ホームレスはうなずいてくれた。

それからボロボロの服をまくり上げ、腹をさらけだした。
腕や顔は垢じみて黒ずんでいたが、腹は青白くブヨッとふくらんでいた。

「噛め」
そういってホームレスが指さしたのは、脇腹にある大きなできものだった。

手のひらほどもあるだろうか。
赤黒くまだらになっていて、よく見ると、人の顔にも似ている。
ホームレス曰く、それは「じゅはん」と呼ぶものだという。

「たぶん『呪斑』とでも書くんでしょうね」

恨みに思う人の姿を念じながら、それに害を与えると、呪いをかけることができるというのだ。

アルコールが残っていたせいだろうか。
サノハラくんには、まだらのできものが憎いタムラさんの顔に見えた。

「それで、噛んだんです」

力いっぱい噛むと、ホームレスが獣のように吠えた。
口の中には、血とも膿ともしれない液体が流れ込んでくる。
ドロリと臭いそれをあごにしたたらせながら、サノハラくんはガシガシと歯をたて、しまいには皮膚を噛みちぎってしまった。

「そこまでの記憶はあるんです」

気がつくと、自分のベッドにいた。
夢を見たのか、とも思った。
だが着たきりのスーツは草や泥で汚れ、あごから首にかけてはひどい臭いのする液体がべったりとこびりついていた。

タムラくんが事故に遭ったのは、その数日後だった。
駅のエスカレーターで将棋倒しが起き、下敷きになったのだ。
ステップの隙間に顔面の皮膚と肉をもっていかれる、という悲惨な事故だった。

3か月ほどで復帰し、営業所に戻ってきたが、長続きはしなかった。
どれほどきれい事をいおうと、顔の肉がそげた営業マンの来訪を喜ぶクライアントはいない。
それが現実だった。

サノハラくんはトップに返り咲いた。


「あなたにとっては、よかったやないですか」

ぼくがいうと、彼は暗い顔でため息をついた。
話を聞いたのは国道沿いのファミレスだった。
友人の紹介で会ったのだが、そのときが初対面だった。

サイズの大きいトレーナーを着ていた。
店員の目を気にしながらそれをまくり、露出した腹には、赤黒いでできものがあった。

「顔です」

サノハラくんがいうので、しげしげと観察してみたが、凸凹や発疹はランダムで、とうてい顔には見えなかった。
たとえていうなら月面に似ている。

それが彼には、顔にしか見えないらしい。

ある種の精神病を病むと、そういった幻覚や妄想に取り憑かれる。
以前ぼくは、そういった病気を扱う医療者に取材して、本を書いたことがあった。
そのことを知る友人が、話を聞いてやってほしい、と連れてきたのだ。

「誰の顔に見えるんですか?」

訊ねてみたが、サノハラくんは答えなかった。

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