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Q 3. 聖書の中にどのように「三位一体の神」の事実が書かれているのですか?

A.

「三位一体」(Trinity)という言葉は神学用語であります。
まず、この言葉の定義・意味を理解しなければなりません。

A.D.325年に行なわれたニケヤ公会議において採択された定義は

「唯一の神を三位において、三位を一体において礼拝する。
しかも、位格を混同することなく本質を分離することなく…」

であります。
この言葉を主張したアタナシウスは、聖書にある神の存在をそのまま述べたのです。
つまり、神は唯一(統一体)と述べられていると同時に三位(父・子(イエス)・聖霊)の人格・立場として存在(区別がある)し、本質において同じであるというのです。
これは決して神が三人いるということではありません。
なぜなら、「唯一」と書かれているからです。


この三位一体の神を理解する前提として2つのことを覚えておかなければなりません。
その一つは、聖書は神の完全な言葉(間違いがない)であるゆえに、神について書かれている通りに理解しなければならないこと、そして二つ目に、神は霊なる体(霊者)を持たれたお方であるゆえ、肉体(物質)で表わされないということです。
この点を見過ごしているゆえ、エホバの証人は三位一体の神を三つ組みの神(三神論)と理解しており、また、顔が三つある神の画像を持ち出して三位一体の神の起源が異教にあると主張するのです。
つまり、「三位一体」という言葉を正しく理解していません。
では、聖書はどのように三位一体の神を示しているのでしょうか?
聖書を見ると、父と子(イエス・キリスト)と聖霊は常に共に行動し、同じ目的・方向に進んでいるように登場してきているのです。
そのことを示す多くの聖書箇所がありますが、代表的な聖句を示したいと思います。

①創世記1章1節および1章26節
1章1節には「はじめに神が天と地を創造された」とあります。
この「神」という言葉はヘブル語「エロヒーム」で複数形の名詞であります。
そして「創造された」は単数形の動詞であります。
「神」が複数形なのはヘブル語文法において尊厳、あるいは威厳を表わす用法のゆえに「神々」とはならないで「神」となっているのです。
そのようにも理解できるでしょう。
しかし、このことを理解しながら1章26節には「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう…』」と書かれています。
ここでは神が「われわれ」と述べて会話をしているように書かれています。
1章26節から逆算的に考えれば、1章1節の「神」が複数形で、動詞が単数形であるところにも「三位一体」の意味が含まれていると理解するのが一番自然で、正しい見方と言えるのではないでしょうか!
創世記1章2節には、「神の霊がその水の上の面を動いていた」と書かれています。
創造主なる神(エロヒーム)が創造のみわざを行なっている時、すでに神の霊(聖霊)が動いていたのです。
「動いていた」は文語訳では「水の面を覆えり」となっています。
「覆う」とは、雌鶏がヒナを羽の下に集めて羽で覆うという意味を表わします。
ここに三位一体の神の美しい協力関係が表わされているのです。
詩篇104篇30節には「あなたが御霊を送られると彼らは創造されます」とあります。
これは創世記1章2節のことを述べています。
この霊とは聖霊のことです。
創造の御業を行なうことができるのは神だけです。
父も子も聖霊もみな、創造の御業を行なっているのです。
(子【イエス・キリスト】が創造の御業を行なったことはヨハネ1章3節に述べられています。)

②申命記6章4節
この聖句はエホバの証人がよく使う聖句です。
「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一(ただひとり)である。」と書かれています。
ここに出てくる「唯一」という言葉をもって三位一体を攻撃してくるのです。
しかしこの「唯一」(ただひとり)という言葉は、ヘブル語でエッハード( אחד )が用いられています。
この語は単一個体ではなく、複合的統一体を意味する「唯一」(ひとり)なのです。

聖書には、この同じ言葉が数多く使われています。3つの例を挙げます。

(1)創世記2章24節には「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」と書かれています。
この聖句はアダムとエバの二人が結婚することにより一つ(一体)となったのです。
実際は二人ですが、一つとなったと言っています。
この「一体」は、ヘブル語エッハードが使われているのです。

(2)出エジプト記24章3節には「モーセは来て、主のすべてのことばと、すべての定めを…民はみな声を一つにして答えた。」と書かれています。
ここでは、民の声が「一つとなった」と述べています。
複数の民の声が一つになり、統一され、一致したものとなったのです。
ここでもヘブル語エッハードが使われています。

(3)民数記13章23節では「彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一房ついた枝を切り取り…」と書かれています。
ぶどうの「一房」には複数の実がなっていますが、統一体として一房となっているのです。
ここでもヘブル語エッハードが使われています。

このように、ヘブル語エッハードは複数の統一体としての意味の「一つ」なのです。
この語が申命記6章4節の「イスラエルの神は唯一(ただひとり)に使われているのです。
ですから複合的統一体の神、つまり三位一体の神として理解することができるでしょう。

③マタイの28章19節
この聖句は、有名なイエス・キリストの最後の大宣教命令です。
「ですから、あなたがたは行って、…父と子と聖霊の名においてバプテスマを授けよ」と書かれているのです。
この父と子と聖霊のいずれの原語では男性定冠詞がついており、この三つの名詞に対して「名において」の「名」は単数、「バプテスマを授けよ」の動詞も単数なのです。
英語では、“Baptizing them into the name of the Father of the Son and of the Holy spirit“となっています。
ここに見られるように、父・子・聖霊の複数に対して、「名」は「The name」であって「The names」ではないのです。
「名」と言うのは、普通、その人自身を表わすものです。
ここにも、神は父・子・聖霊という区別がありながら一人の神(御名)、三位一体として表わされているのです。

今回は聖書の中にある三位一体の事実を表わす聖書箇所を3つほど挙げました。
実際はもっとたくさんの箇所があります。
エホバの証人の方々は聖書を神の言葉として信じていると思います。
であるなら聖書に書かれている通りに信じなければなりません。
聖書には、三位一体という言葉は出てきませんが、その事実は書かれていました。
ですから、父・子・聖霊なる神(三位一体)として理解し、信じるべきではないでしょうか?

次回は、イエス・キリストと聖霊が神として呼ばれ、書かれていることについて述べていきたいと思います。

最後までお読みいただき感謝いたします。


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