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「今どきの若者は…」

僕が若い頃、「今どきの若者は……」って言う大人が嫌いでした。
そして、もっと嫌いだったのが「今どきの若者」でくくられてしまう周りの若者たち。それは、自分自身も含めてね。

「若者にも、いろいろいるんだかんな!」って、海外旅行すらしたことがないのに、アメリカ留学を決意したのが高三の時。行きついた先は、ネバダの砂漠の街にある州立大学。しかも、最終的に専攻したのは、なぜか「アート」。アート学部 陶芸彫刻学科に所属して、カッサカサの砂漠の街で粘土と炎に向き合うことに。

おかげで、なにやらちょっと変わった面白い体験をいろいろできましたよ。そもそも、大学に入った当初は真面目にHuman Ecologyっていう「人類学」的な学部で学ぶ予定だったのに、アートのクラスを取ってみたらそれが楽しすぎて、アートが好きになりすぎて、大量のアートクラスを受講してたらいつのまにかアート学部に転部することになってた。陶芸をやりつつ、他にも絵を描いたり写真を撮って現像したり、木工石膏鉄工溶接ブロンズなどいろんな素材で彫刻をつくったり。油彩・水彩・デッサン、ラクガキなどなど。プリントメイキングも面白かった。とにかく、ひたすらいろんなタイプのアートのクラスを受講して、学んでた。

ただ、ひとつを除いて。

デジタルアート。これだけは、在学中に受講することができなかった。クラス自体が人気だったのと、当時まだラボが狭くてPCも少なくて、教える教授も1人しかいないので、クラスが取れなかった。

卒業後に、就労ビザを待っている夏の間、ギャラリーインスタレーションの実践的なアートのクラスを受講することに。その時の先生がたまたまデジタルアートの教授だったのですよ。「すみません、デジタルメディアのラボを使わせてください!」って、なかば無理やり頼み込んで、僕のとは比べ物にならないくらいハイスペックなパソコンを使わせてもらうことに。

この時、インスタレーションの作品をつくりながら、デジタルアートのラボを使わせてもらったのが、僕がパソコンを使って写真加工やグラフィックを製作するようになったきっかけ。

そこで、はじめてPhotoshopを触りました。まだバージョンが2とか3とか、そんな時代。大学でみっちり学んだ陶芸よりも、この卒業後2週間くらいで強引に身につけたデジタルのスキルが、卒業後の進路につながる、と。人生って、不思議。

そんなわけで、大学卒業後にアメリカ西海岸を渡り歩いて、ホームレスに片足を突っ込みつつ「就職活動の旅」をした結果、ロサンゼルスで写真の仕事に就くことができました。イスラエル人の社長が経営する宝石デザイン会社で、指輪やピアス、ネックレスなどの宝飾品をひたすら毎日写真にとってデジタル加工するというのが僕の仕事。

そこで仕事をしながら、画像編集やWEB制作のスキルを身につけました。

1999年に帰国してからは、インターネットサービスプロバイダでWEB制作やカスタマーサポート、パソコンインストラクターとして勤務し、その後都内のWEB制作会社で主に外資系企業のWEBサイトづくりをするようになりました。

このころから「日曜アーティスト」を名乗り、趣味の創作活動を行うように。2000年代の前半から中盤にかけて、ガラケーの待ち受け画像をつくるのにハマり、なんだかんだと50個くらいサイトを立ち上げて1万種類の作品を発表していった結果、150冊くらいの雑誌やムック本などに作品を紹介していただきました。シャープ社の公式サイトや、KDDI社にも作品を提供したりなども。

で、「ケータイコンテンツ、面白いぞ」と思い、2007年にモバイルコンテンツプロバイダーに転職。電子書籍や、着せ替えコンテンツの公式サイトや、docomo、au、SoftBankなどキャリアさんのモバイルサイト制作を担当したりも。他にも、ヘルスケアのサイトを立ち上げたり、医療系のクライアントの案件を担当したり。終電が定時の日々。忙しいのは全く苦にならない。けれど、ブログに目覚めて、執筆時間をもっと確保したかったので、北海道の余市でウイスキーを作りながら転職を決意。

で、時代がガラケーからスマートフォンに移り変わるタイミングで、現職の外資系広告&デジタルマーケティングの会社に転職しました。以来ずっと、様々なクライアントのインターネットやデジタルを使ったPRや広告の案件に携わっています。

もう8年目になるのですが、たまにお客様の会社の入館証バッジをもらって、ベンダーという居候社員の形で仕事をしていたりもします。今もまさに、めちゃめちゃ大きなグローバルIT企業で、いろいろ面白い仕事を経験させてもらっています。

10代の頃に、ちょこっと人とは違う道を進む決心をした。留学して、アートを学ぶ、と。おかげで、途中でちょっとホームレスになりかけたこともあったけど、写真の仕事からWEB制作業界に飛び込むことができた。

がっつり仕事をしつつ、プライベートでは「日曜アーティスト」を名乗って趣味の創作活動。遊びのWEBサイトをつくったり、待受け画像をつくったり、写真を撮ってブログを書いたり。時々、なにかしらアートの企画をやりたくなって。日本橋でオフィスを借りて「会社ごっこ」っていうプロジェクトをやったり。元中学校の教室を6人でシェアしてアトリエとして使い、そこで作品展をやったり。最近やったのは、友達と都電をまるごと貸切にして、その中で旅をテーマにした手づくりの写真展を開催しました。

ブロガーとして旅をしたのがきっかけで、チェコ親善アンバサダーになったり。
英語学習の出版社アルクさんとのタイアップ企画で生まれてはじめてTOEICを受験して965点取ったり。
ヤマハ発動機さんのマリンアクティビティイベントが楽しすぎて、船舶免許をとったり。
今年の夏は、鎌倉の海岸で金属探知機で宝探しをして、石巻市雄勝で山からでかい木を切ってきて薪割りをしたり、訪日外国人向けの英語ガイドに登録して、オンライン英会話のモニター体験に参加して、渋谷のミュシャ展の内覧会、オルタナティブな未来についてのインタビュー取材、焚き火をする会、ホヤを食べる会、デジタルとものづくりのイベントにいくつか参加して、中銀カプセルタワービルを見学してマンスリーマンションに応募し、渋谷でヨガを見学して、フランス在住の高校時代の同級生がうちの近所で写真展を開くというので歩いて観に行ったり。あ、そういえば100km歩いたね。小田原城から築地まで。25時間半かけて。11月には、上越市で利き酒マラソンに参加する。

つい2か月前、20年ぶりにサンディエゴに訪れた。IT系のイベントを取材するために。卒業してすぐ、ホームレスに片足を突っ込みながら、アメリカ西海岸を放浪していた頃、サンディエゴでも職探しをしたのですよ。あれから、20年経つんだな。

そう。いきなり留学を決意した時から、ちょっとだけ人とは違う道を進んできた。試行錯誤を繰り返しながら、時には失敗もしつつ、いろんなところに飛び込んだりしつつ、今まで45年生きてきた。

中学時代の美術の先生が、「チャンスは雲のようにやってくる」って言ってたのを聞いて、当時の僕は「雲だったら、掴めないじゃん」って心無いツッコミを入れてたんだけど。今ならわかる。

山を登り続けていれば、いつの間にか自分が雲の中にいることを感じられる瞬間が来る。その雲は、山の麓から見る雲とはちょっと違うかもしれない。でも、雲に到達することは可能なんだよね。その山に、登れば良い。下から見上げているだけでは分からない、雲の姿を見ることができるよ。

今のところ、退屈しない人生を過ごすことができてる。仲間に恵まれ、また尊敬する先輩たちにも導かれ、面白い若者たちに会ったりもする。

「今の若者たちは……」なんて、僕は言わない。いろんな若者がいるのを知ってるからね。探せば、面白い人たちはたくさんいる。それは、特定の年代に限らず、若者でも、おじさん・おばさんでも。年をとっても、個性的で魅力にあふれてる人はたくさんいる。

共通しているのは、自分で道を探すことができる人。待っているだけでなく、自分で進むことができる人。そして、失敗を恐れずチャレンジを続けている人。あとは、目の前のことに真剣に本気で取り組める人。

迷ったら、とりあえず全部やってみたら良い。大事なのは、「言い訳しない」っていうこと。そう、これだけは覚えておいた方がよい。時間が無いとか、お金が無いとか、助けてくれないとか、そんなのは言い訳。課題が見えているなら、それをどうやって解決するか自分で試行錯誤をしてみればよい。もちろん、誰かにアドバイスをもらっても良い。とにかくひたすら問題解決にチャレンジし続ければいい。

文句や愚痴を言ってる時間がもったいない。言い訳せずに、とりあえずぶつかってみればよい。コツコツじっくりと、取り組んでいれば、意外なところで道が開けたりする。

例えダメだったとしても、退屈しない人生は送れるんじゃないかな。
とりあえず僕は、「今どきの若者」から飛び出した瞬間から、退屈しない人生を送ることができて、楽しいよ。


「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。