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14.石貨

先日、三田のガウディこと岡さんがつくっている、「蟻鱒鳶ル」を見学させていただく機会があった。岡さんは40歳から、17年間この場所で自分の家となるコンクリート造りのビルを建てている。17年間、ひとつのものを作り続けるというその執念と努力。すごいなと思った。

まだ完成していない、最上階のスペースを見せてもらった。そこには、石貨のような形をした大きなコンクリートのオブジェが置かれていた。ビルが建てに伸びるたび、この石の輪も上階へ引き上げてきたとのこと。まだ、このパーツがビルのどの部分になるかは、はっきりとは決まっていないそうだ。

このコンクリートのオブジェの前で、岡さんは南太平洋のとある島の、石貨の話をしてくれた。確かに、その島では石のお金が貨幣として使われている。けれど、それはむしろアート作品のような意味合いがあるようだ。丹精込めて、石のお金をつくる。その価値は、サイズであったり、形であったりする。巨大は石を丁寧に加工して、とことんこだわりぬいて時間をかけて制作した石の貨幣は、価値が生まれる。何かを購入するために使われるよりも、その素晴らしいクオリティの石貨が家に存在するということが誇らしいことなのだ。それは、家宝のような。

自分の記憶の中で多少脚色されていはいるが、石貨がむしろアート作品のように取り扱われるというのが面白いなと思った。そして、石貨の本当の価値が理解できたように感じた。

■日比谷公園の石貨

さて、日比谷公園にも石貨が屋外展示されている。

大正14年(1925年)に南太平洋のヤップ島(現ミクロネシア連邦)の支庁長より寄贈されたものだそうだ。なんとなく、『ルーパ・ロマーナ像』や『古代スカンジナビア碑銘譯』と同様に、ヤップ島と日本との友好の証というようなストーリーがあるのだろうと思っていたら、どうやら違うらしい。

1914年から1945年の間、ヤップ島は日本によって統治されていた。当時は現地で日本語教育が行われており、今でもある年代のヤップ人は日本語が喋れるそうだ。この石貨が寄贈された1925年当時も、南洋庁ヤップ支庁長は日本人であった。調べてみると、その当時の支庁長は、立山茂さんという方であった。なので、この石貨は立山さんが日本に贈ったものということになる。調べてみないと、意外とわからないものだ。

現在は、ヤップ島からの石貨の持ち出しは禁止されている。

参考資料

都立日比谷公園(Hibiya Park, Tokyo) 園長の採れたて情報
https://twitter.com/parkshibiya/status/857476097973211136
南洋庁 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/南洋庁


「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。