見出し画像

なんてことない記事のこと(キナリ杯感想)

キナリ杯参加者の皆様お疲れ様でしたー。
私も参加してみたので、ちょっとだけ感想を書いてみる!
……おっと、その前に、受賞作品が面白すぎて、最オブ高だった。ありがてぇ。ありがてぇ。これから私も4000越えは無理だけれど可能な限り目を通す旅に出たいと思っている。Shall we?したい。ぜひとも。

 ところで、私にとってこのキナリ杯の意味は「なんてことない記事」を書く、ということだった。これがもう死ぬほど難しい。
 仕事ならばいい。テキストは一応かいてきている。曲がりなりに名刺の肩書きがライターだった時期もあるし、現在なおクリエイティブ寄りだ。
 ただ私の場合、趣味に至るまで、「自分のこと」というと書いてこなかった経緯がある。書くと詰まらなくなる――脚色してしまい、疲れる。嘘をつく(その方が楽しいかなと演出してしまう)。誰かのテキストに似せてしまう――これは最初の仕事がゴーストライターで、シナリオの足りない部分を埋めていたせいだ。悪癖は残り、自分の文体が分からなくなり、問答するうちに開き直りになった――「売れる」がベースなのだ、必要な文体は選ぶ。おかげでコピーライターになった。そうしているうちに、自分の文体を忘れた。

 私が岸田奈美さん(https://t.co/BfQPxDOyUZ?amp=1)を見つけたのは「赤べこ」の記事だ。素直な人だなぁと思った。面白いなぁと思った。好きになった。
 エッセイというか、飾らない自分を書くことは非常に怖い。だからこそ彼女の言葉に動かされた。嘘ばかりついて、誰かをまねていた自分にはできないことに圧倒された。

 勘違いされたくないから書くと、私自身、これまでの経験を恥じてはいない。時間内でやりくりする力・調べる力・ターゲットから逆算して書くテキストのノウハウはあるし、「最低線」を抑えられるという自負もある。ただ、仕事と好きなことを書くことが離れすぎてどこか辛くなっていたのも事実だ。創作を愉しんでいたはずの私は、筆をおき、映像を始めた。「元は映像にしたくて書き始めたシナリオだから」といいながらも、どこか悲しい気持ちでいる自分もいた。テキストはテキストで書くのが好きだった。でも自分の「好き」が迷子になった。

そんな中、キナリ杯のTwitterに応募したのは、泣きそうな文があったからだ。岸田さんは「『私を支えてくれるもの』と『私が応援したいもの』に(給付金を)使いたい。それは「文章」です』と言った。
 私も学生時代、書くことに救われていた。寝るとき以外全部書いてた時期だって長い。仕事もそうだけれど、それ以前に書くことが楽しくて楽しくて、きちんと伝えるための文体や一人称・三人称のことが知りたくて研究に走った。暗号論の先生には、「お前のは論文じゃない」と怒られた。でもそんな論文を書くことですら楽しかったのだ。

岸田さんの一声に、封印してたツボを叩き割られた感じがした。魔人が目覚めるやつだ。

私は十年以上ぶりに、「なんてことない記事」を書こうと思いたった。
 ルールは一つで、「徹底的に素で書く」こと。
 受賞を変に狙わない――攻略とか、アレコレ考えない。書きたいことを書く。楽しいことを書く。なるべく自然に書く。結果、後々みると「あれ?ちょっと岸田さんの文体に影響されてる?」という部分があってひやっとしたけど、ジブリに例えるのは許せと言い訳のNoteも追加し、なおさなかった。修正をなるべくしないことにしたのである。脚色を加えすぎないために。はっきりいって、リハビリの感があった。

大昔サイトの日記に好き勝手書いて、炎上したこともある――誰かの代わりに書いて喜ばれた後に大泣きしたこともある。今回はそんな過去すべての おたきあげ だ。

 一発どりならぬ一発書きでいく。
 書き始めたのは最終日であった――審査員の岸田さんからしたらいい迷惑である。書き上げてまず思ったのは「あ、やれる」だった。うれしかった。わりと素直に書き上げられたことも、楽しくタイピングできたことも。それから誰にも教えていないNoteにいいねを付けてくれる人がいたことも。ありがたい・ありがたいと思った。

また書くぞという気持ちになった。
誰かには届く――という原点を想い出した。

私は今日もプロモーションのテキストを考える。演出をする。それは相手がいるからだ。商品や作品・サービスがニッチであればあるほど燃える。近場には少ないかもしれないけれど、ネットによって日本中、世界中にそのにっちなファンはいる。余談だが、これを私は鮫映画理論と名付けている。今はメジャーになったが、昔B級すぎて、鮫映画の話はよっぽど好きな人のあいだでもないと盛り上がらなかったけれど、今は異常なハイテンションで盛り上がってさえいれば同じ趣向の人にわりと会える――という意味である。

自分自身、割とマニアックな自覚があるので、このニッチでとがっているタイプの商品プロモーションは好きだ。楽しい。届けたい。仲間を作りたい。味わってほしい……書けば届くの原点は形を変えて生きている。

もう一度思い知った。

そこで、ちょっとまた日記的に、自分の好き、を、ダイレクトに書く練習もしようと思った。要するに来年もキナリ杯でるぞおおおおおおおお。

それまでにつらつら好き勝手を何本かやれるといいなぁと思っている。作りこむ誰かの宣伝や何かの作品でなく、ふらっとな日常をのせて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?