クラス会って…

先週の、クラス会に着物を着て行ったときに感じたこと。

特に思い入れもないクラスだから屈託なく出席できると書いた。

そもそも高校時代は地味だったから、クラス会に行っても
「私のこと覚えてますか?」という感じじゃないかと思っていた。
「そう言えばこんなヤツいたな」と。
女子はまあ覚えていてくれるかもだけど、男子はきっと女子のことは
綺麗な、とか良く出来る、とかそういうフックがないと覚えていないだろうし。
それに加えて40年くらい間が空いたことでもはや初めましてな感じだろうな~と思ったら気楽に参加出来たし話ができた。

後日、違う集まりでふとクラス会の話をしたら、一度も出席したことがない、と言う人がいた。

「クラス会なんて行きたいと思わないわ、やれお姑さんと合わないだのダンナが甲斐性なしだのって悪口ばっかり話すんでしょ、あとは、どこが痛いのなんの病気だのって健康の話とかでしょ。そんなの時間がもったいないわ」
それを聞いて、まず思ったのは
『え、この前のクラス会では全然そんな話は出なかったなー』ということ。
『ひょっとしてウチのクラスって意識高い系?』と一瞬勘違いしてから気付いた。
「いや、40年の空白を埋めるためにそんな話は出ませんでしたよ~。まずは昔話、文化祭で何をやったとか、サボって雀荘にいたら体育の先生と鉢合わせしたとかそんな話ばっかりしてたらあっという間に時間が過ぎちゃいました」
それは本当だった。
そして、参加人数が12人ほど。一クラス50人近くいたことを考えるとほんの一部の「屈託のない人ばかり」の集まり。
だからこその和気藹々とした雰囲気だったのか~、と。
この先、「楽しかったから2回目3回目」と会を重ねたらだんだん、人の悪口や病気自慢の会に変わっていくのかもしれない。


じつは今回高校のクラス会があったのは私にとっては渡りに船的な、「居場所の確保」だった。
私は小学校と中学校のクラス会に、もう出たくないのだ。

小学校中学校も系列の学校だったりするのだが、高校とは微妙にメンバーが違うので私の中でリセット気分が生まれている。
実際、高校生にもなれば人間が少しだけ大人になっている分、学生時代の思い出を紐といても、あまりお互いに深入りしないような配慮が出来ている気がする。
小中学校ではまだ子どもだったからお互いの思い出に「意地悪された」とか「すき」「きらい」の感情が付随しているような気がするのだ。

15年ほど前だろうか。中学の同窓会の同期会に誘われて行った時、二次会で、昔私にいじめられた、という男子が酔っ払って嬉しそうに(!?)いかに自分が私のことを嫌いだったかというのを延々と語ったことがある。
あまりに楽しそうなので(実際楽しかったのだろう。酔っ払っていたし、本当に終始ご機嫌だった)周りに居た人達もそんなことを話していたとは気付かず、もしかしたら本人も気付かず、傍目からは和気藹々と見えていたらしい。
私もヒドイ話をされてるなーと思いながらもまあ酔っ払っているし、これ以上刺激しても何だなと思って反論するでもなくヘラヘラとのらりくらりとその場の雰囲気を悪くすることなく過ごしていたから。
その時は我ながら『大人の対応だな』と思っていたのだが、家に帰ってから猛然と腹立たしくなった。
なんで数年ぶりにやっと出席した同期会でそんな目に遭わないといけないのだ。ちきしょーもう二度と行かない!
不愉快な思いをしてまでその会に出る義理は全くないと思ったのだ。

高校ではそういうことはなさそうだから出席したらしい、という自分の気持ちに改めて気付いた(遅い)。
そして世の中にはやっぱり、クラス会だからといっていそいそと出掛けるばかりではない事情や人間関係を引きずっているケースも
あるよなあ~ という気付き。

誰も彼もがお友達、ウチ等のクラス仲良くて良かったね、じゃないんだよ、って言うね。

クラス会はたまにやるからいいんだな、やっぱり。
そしてあまり深くえぐり合わないこと。鉄則だね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?