義手のバイオリニスト
義手のバイオリニスト伊藤真波(まなみ)さんの演奏を観た。
彼女には右腕がない。大事故に遭い切断を余儀なくされたのだ。
演奏するのは中島みゆき「糸」。心を打たれた。泣きそうになった。
私はなぜ泣きそうになったのだろう。
いや、私だけではない。
動画のコメント欄には「泣いた」とあるし、客席で目頭を押さえている人も複数映っている。
伊藤さんはサイボーグだ。
サイボーグとは身体機能を補填・拡張するために身体の一部を機械化したヒトのことだ。
彼女の場合は、ハーネスを使い肩に取り付ける能動義手がその機械にあたる。肩甲骨を大きく動かして操作するのだという。バイオリン演奏に特化してあるのだろう。
彼女はその義手を使ってバイオリンを弾く。
とても美しい音色だ。
美しい音色がゆえに泣ける。
伊藤さんが演奏している姿を見ていると、右手がないとわかる。だから、そのままではとうてい演奏などできないことが伝わる。彼女の「できない」という失意が伝わる。その時、その失意は私の失意となる。ところが彼女は演奏している。私は「できない」と「できる」を同時に目撃する。「できない」と「できる」が交錯し、やがて彼女の「できる」という喜びが伝わる。その時、その喜びは私の喜びとなる。彼女の達成を実感した時、私はその達成にうれし泣きしたのだ。
伊藤さんは右手を失った失意のままで終わらなかった。それでもバイオリンを弾こうと決意し、そのための義手を作った。そこには彼女の強い祈りの貫徹があった。その貫徹に感動して泣いたのだ。
さらに伊藤さんの義手を作った技術者がいる。その技術は過去からの膨大な蓄積に基盤がある。基盤とは不可能を可能にしたいというヒトの祈りの歴史だ。その祈りはヒト自らのサイボーグ化を厭わないできた。彼女の祈りはヒト全体の祈りなのだ。彼女の祈りの成就は、連綿と続くヒトという種全体の祈りの成就だったから泣いたのだ。
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