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一周年

五月の末、パートナーと付き合って一年になった。
もう一年も経ったのかと素直に驚く。
一周年記念の夜は、ケーキを買って家でささやかに祝った。

私にとっては、誰かと一周年をちゃんとお祝いしたのは、それが初めてだった。
これまで付き合ってきた人たちとは、体裁上は一年半以上付き合っていたけれど、一年が経つ頃にはもう関係は終わっているに等しい状態になっていた。

だから、パートナーと、ちゃんと一年をお祝いできたことが、嬉しかった。
記念日のその日、パートナーから、
”Happy anniversary! We did it! :)”
とメッセージが来ていて(彼はアメリカ人なので英語)、そうだな、”わたしたち”で手にした一周年だな、と、満ちた気持ちになった。

一周年記念で行った、箱根のポーラ美術館での写真を添えて

木々の中のオブジェ

最初の方は、よくすれ違った。少なくとも一か月に一度はどちらかが泣くような話し合いに発展していた。(大抵泣くのは私だったけど)

今でも、まったくすれ違わなくなったとは言えない。
現に、先月も、私の仕事が忙しくて少し一人にさせてほしくて、その旨断ったうえで連絡を控えていたら、週の終わりに彼が深刻な顔で家にやってきた。やってきた彼は「別れるつもりなのかと思った」と言って、まったくその気がなかった私を驚かせた。私の説明不足だった。

でも、一年経って、私たちは、私たちなりのコミュニケーションをとる術を学んできた。すれ違いはだいぶ減ったし、嫌なことは嫌と、嬉しいことは嬉しいと、きちんと伝えられるようになった。なって、きた。

モネコーナー

彼の前での私は、かなり、素だ。
特に英語で喋ってるときは、日本語で誰かと話しているときは常に浮かべている愛想笑いすら殆どしない。すっぴんが一番かわいいよとか言ってくれるので、もう、メイクの手抜きぶりも散々である。
ありのままで居させてくれることに、それと、彼もありのままで居てくれていることに、とっても感謝している。

魚が浮いていた

一方で、これは私の問題だけど、ここ一年ずっと感じていることがあった。
私は、なんとなく、自分で自分に歯止めをかけているような、気がしている。彼を好きになり過ぎないように、と。

関係はいつでも終わりうると身をもって知っている。彼を私と不可分な存在にしたくはない。失ったときに、酷く辛い思いをするから。
だからか、彼との日々のことを思い返すと、何故かいつもちょっとだけ、現実味がない。私は喪失に怯えて、無意識に、うっすらと薄い膜を心のまわりにまとっている。

館内のカフェ コーヒーが美味しかった

でも、一方で、関係を終わりにしない努力は、きっと惜しまずにいたい。
付き合った当日の日記には、「自然体であろう。素直で、誠実であろう。」と、書いていた。
私は彼と、出来る限り長い時間を一緒に過ごしたい。一緒に、いろんな時間を過ごしたい。いろんなところに、一緒に行きたい。そのために、出来ることは、きちんとしていたい。

次の一年が、始まっている。
どこにいけるかな、どんな時間を過ごせるかな、と、楽しみにしている私がいる。
大変な時もあるけど、支え合えたらいい。なんてことない日々だって、大切にしていたい。

失くすことに怯えてるとかいう癖、私はちゃっかりと未来を見据えている。
これからも、よろしくね。

thanks for always :)

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