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野鳥撮影について

ここではまったく初めて野鳥を撮りはじめてから現在までの紆余曲折と野鳥観察・撮影に関する考え方をダラダラと書いてみようと思う。


鳥を撮りたくなった


野鳥を撮り始めて10年程になる。
一眼レフを使う様になって20数年なので、鳥がメインの被写体になってからは全体の半分程の期間になる。
それまでは風景や草花、昆虫がメインだった。特に昆虫の中でも蝶が好きで、草花と一緒に撮影していた。
2000年代はフィルム撮影が基本で、予備でα100は持っていたが、使うのはミノルタα-7がメインだった。
ある時、九州へ親戚の結婚式で行く事になりα-7を持って行った。
しかしその途中でα-7が故障してしまった。
これをきっかけに、もうフィルムは終わりだと思い、2009年にα900を購入した。
デジタルになりフィルムの足かせが無くなったので昆虫を撮るのも気兼ねなく連写できる様になった。
α900はいまだにファインダーの良さで話題になることがあるが、その時は別に何とも思わなかった。
それ以降のα55からの高速連写機の方がソニーらしくて、液晶もぐるぐる動くし使いやすいと思う。

それはともかく、今居る北海道は秋になると飛んでいる蝶は消え、翌年の4月過ぎまではおあずけになる。期間で言うと半年だ。
その間はカメラを持つ気力もなくなり、防湿庫に入れっぱなしと言うことが続いていた。

今でも鳥の少ない時期には野鳥は双眼鏡での観察のみで、撮影は風景や花を同時に行うこともある。
当時は鳥にも興味はあったが、撮影に必要なレンズの敷居が高く、手を出せないでいた。
そこで転機が訪れる。

引っ越しだ。
たまたま引っ越し先の近所に規模の大きな都市公園があり、先ずはそこで風景や花を撮影した。

この公園は様々な樹木が植えられているが、草花は少なかった。しかしよく見ると小鳥の姿が多く、たまたま近くの木に止まっていた鳥を望遠マクロで撮影してみた。

ヒヨドリだった。
それまでにも鳥を撮影したことはあったが、どれもブレていてまともに写っていたことはなかった。
しかしその時の写真はヒヨドリがじっとしていてくれたせいか、もしくは180mmの望遠マクロの描写力か、α900で撮ったヒヨドリは驚くほど精細な画像だった。

本格的に野鳥を撮り始めるきっかけになったヒヨドリ

グレーの体色で鳴き声のうるさいヒヨドリだったが、鳥ってこんなに綺麗だったのかと再認識するきっかけになった。

子供の頃から図鑑が好きで、学研から出ていた自動車、電車、船、昆虫、クモ、花、魚など20冊ほど持っていた。
その中に鳥もあり、その図鑑でシメやイスカの名前を覚えた。
しかし当時は自分の周りにいる野鳥を気にすることもなく、あくまで図鑑に描かれているイラストや写真を見るだけで満足していた。

話は戻るが、実際にヒヨドリを撮影してからは、公園にいる他の鳥も気になってきた。
そこで180mmだと短いので300mm F4のレンズに換え、ボディも既に持っていたAPS-Cセンサーのα350を使ってカラ類やアオジなど身近な野鳥を撮りはじめた。

最初はおなじみのシジュウカラばかりだと思っていたが、良く見ると違う。
そこで本格的な図鑑を購入して調べてみた。
シジュウカラに似ているがちょっと違う(今となっては全然違う)ヤマガラやハシブトガラ、ヒガラなどを知った。

そのうちに黄色と黒の綺麗な小鳥を撮影することができた。
キビタキだった。

ぼやぼや、ざらざらだけど思い出の一枚になった

こんなに綺麗な鳥が自宅近くの公園で見られることに驚いた。綺麗な鳥は山奥にでも行かないと居ないものだという先入観を見事に砕いてくれたのがキビタキだった。その後『北海道野鳥観察地ガイド』を購入し、意外と近い(車で10分程)の観察地も紹介されているのを知り、色んな鳥を見たいと心が逸った。

綺麗に鳥を撮りたい

しかし、写真の方はなかなかうまく撮れなかった。
ここから暫くは、何度撮ってもボヤッとした写真しか撮れず、鳥との距離感も掴めず、ヒヨドリを撮った時の目を見張る様な写真はなかなか残せなかった。
今思えば、無闇に鳥に近づき、結果として鳥を飛ばしてしまっていたのだが、その失敗に気付くのはもう少し先の事になる。

そして風景や花を撮る延長でカメラを使っていたので、薄暗い林の中で花を撮る感覚でシャッターを切っても鳥はブレブレ、露出も不安定で一向に思った様な写真を撮れなかった。

色々と調べるうち、野鳥撮影に向いているカメラやレンズというものがわかって来た。
野鳥はなかなか近づけないので、レンズは400mm以上は欲しい。
カメラの方は高感度に強いものが望ましい。

そんなこんなで取り敢えずソニーα77と70-400mmのセットに落ち着いた。
もともとミノルタαで写真を撮っていたので、互換性を考えてソニーAマウントを選んだ。
思い切ってキヤノンEOSの選択でも良かったのではないかと思うが、結果的にこれにより現在のソニーEマウントへの道筋が決まってしまった。
しかし、それは正解だったのかもしれない。
動きの速い野鳥撮影では、露出が大きく変化する。
電子ファインダーだと撮影状態の露出がファインダーに反映されるので、感覚的に露出補正ができる。
一眼レフだと一度撮影して背面の液晶で露出状態を確認しなくてはならないのだが、この手間を省くことができる。
そして今はミラーレスなので操作性はまったく変わっておらず、戸惑うことなく使えている。
当時に電子ファインダーは「チラつきや表示の遅延が」云々という声も聞いたが、全く気にならなかった。
きっと現在の最新ミラーレスのEVFと比べると劣っているのかもしれないが、はっきりいってそんな差異は鳥の撮影には関係なかった。

それはともかく、この組み合わせで撮った写真は今までよりも鮮明で、ピントが合った部分は精細で2400万画素なので解像度も問題なし。

α77と70-400mmで撮影したショウドウツバメ


これで夏の草原のコヨシキリやノビタキなどを撮ってはその美しさ、可愛らしさに癒されていた。

コヨシキリ
地味な色だけどとても好きな鳥

その頃になると野鳥に近づくにも最短距離で迫るのはダメで、迂回したり木に身を隠したり、しゃがみながら近づいたりなど少しずつ学習して行った。

しかし人間は一度満たされてしまうとそれ以上のものを求めてしまう。
大抵の野鳥撮影者が辿る道だと思うが、「もっと大きく、もっと綺麗に」。

それを機材に求めるのは簡単だが、お金がかかる。
そこでアプローチを変え、どうすれば鳥に近づけるか、紆余曲折が始まった。
まずは鳥を見つけること。
そして近づくこと。
言葉にすると簡単だが、やってみると難しい。
ちなみに野鳥図鑑などは持っていたが、野鳥観察や撮影の参考書などはみないで、独自の考えで行動していた。

双眼鏡を使ってみると見方が変わる

そこで一つ重要なアイテムが登場する。
双眼鏡である。
野鳥の種類や生息場所などはこれまでの経験と図鑑からの情報で知ってはいたが、双眼鏡で見る野鳥は、撮影した写真よりもいきいきとして、当たり前だが野鳥の様々な仕草や表情、そして行動は写真より遥かに多くの生きた知識となり、撮れる写真の質が一気に上がって行った。

それまでは肉眼で鳥を見つけたらカメラを向けて撮影。
その行程に双眼鏡が入ると、見ているだけで鳥が逃げて撮影出来ないと考えていた。

しかしそれが大きな間違いだった事に気づいた。

  • まず肉眼で鳥を発見。

  • 次に双眼鏡で鳥を確認。

  • そこで鳥の種類がわかる。

  • 続けてその鳥が何をしているのかを観察する。

  • 餌を探しているのか? 

  • 羽繕いしているのか? 

  • 巣作りをしているのか?

  • その行動から次に何をするのか、どこへ行くのかを観察する。

撮影はそこからで十分。
とにかく双眼鏡は軽くて、ピント合わせも早いので「野鳥を見る」という行為に関しては望遠レンズ付きのカメラと比べると非常に手軽である。
そこから鳥の綺麗さ、可愛さがカメラで見るより2倍、3倍にも感じられる。

鳥の種類によっては、もう少し近づけるもの、それ以上近づくと逃げてしまうもの。これは種類だけでなく、個体差もあるので難しいが、経験あるのみである。
これを続ける事で、鳥が次に何をするかがなんとなく予測出来るようになってくる。
双眼鏡を使う事で離れた場所からこれらの情報が入って来るので、きっと肉眼とカメラのみで撮影している人に比べると得ている情報量の差は全然違っていると思う。
両目で見えるので立体感もあり、写真の平面の画像とは全然違う。
実際、写真で撮るよりもずっと双眼鏡で見ていたくなるくらいである。
10倍の双眼鏡ならフルサイズのカメラに500〜600mmレンズをつけたくらいの大きさで鳥が見えるのだが、双眼鏡の方がピント合わせも速く、視野も広く明るく野鳥も生き生きして見える。
これまで500mm F4や600mm F4などの単焦点レンズを使ってきたが、両目で見れる双眼鏡には敵わない。
さらに最近はミラーレスカメラの電子ファインダーで映像を見ている状態なので、レンズを通した生の状態で見える双眼鏡は貴重だ。
もっとも私の場合はミラーレス機移行前から電子ビューファインダーのα77を使っていたので、なおさら光学レンズのみの双眼鏡で見る野鳥は美しく感じるのかもしれない。
カメラの方はホワイトバランスをオートにしているが、突然の明るさや光源の変化でバランスが崩れてしまうことがあるが、双眼鏡はそんな心配はいらない。
旧来の一眼レフカメラなら電源を入れなくてもファインダーで見ることが出来るが、ミラーレスでは電源を入れないといけない。
要するに鳥を見るのにバッテリーを消費する事になるので、そんな状態で長時間鳥を見ることにどれほど意味があるのだろう。
さらに双眼鏡で鳥を観察している状態は基本的に静止しているので、野鳥も安心するのか向こうから近づいてくれることも多い。

だから撮影はその後でも十分可能だし、その後の鳥の動きも予想しながら撮影することも出来る。
一羽の鳥を見続けていると、止まる枝がだいたい同じ所であるのに気づく。
そこが鳥にとって落ち着く場所であるらしい。
それが分かったら刺激しない様に移動して、あらかじめ枝に止まるのを予測して、背景の良い場所で待機する。
後は鳥が来た時に撮影する。

しかし実際には来てくれない事が多い。そんな時は焦らずその場で双眼鏡で他の鳥も観察する。
近くの茂みに何か動く影があればすかさず確認してみる。
すると思いがけない鳥を発見し、今度はその鳥をじっくり観察して次の撮影チャンスを探す。
そんな感じで鳥の方が近づいて来てくれるのを待つ撮影方法へ変化して行った。

この様な撮影方法はこの公園で出会った野鳥観察の上級者の方たちと知り合いになれたのも大きかった。
単に何処そこに鳥がいるというだけでなく、きちんと双眼鏡で鳥の様子を確認し、野鳥に対して無理な接近をせず、鳥の動きを先読みするというのはバードウォッチングの基本だが、それを直接見て学べたのはとてもためになった。

探鳥会というものには参加したことはないが、参加者は皆同じ様に振る舞っているのだと思う。
もしくは指導的な人が初心者に教えているのではないだろうか。

この様な観察を続けるうち、自然と鳥の声は覚えてしまう。
例えば今オオルリの声を頭で再現しようとしても出てこないが、実際に森で声が聞こえるとオオルリが居るとわかる。
図鑑で囀りがカタカナで記載されているが、アレはなかなか覚えられないと思う。録音するか、その場で図鑑を手に確認しないと難しい。それよりも実際の囀りを聞きながら声の主を双眼鏡で確認していけば、そのうち身についてくると思う。

色々書いたが言いたいことは、双眼鏡で見る鳥のいきいきした姿を知らずに、ただカメラで鳥を撮っていることが勿体無いということだ。

双眼鏡はちょっと良いものを

これまで使って来た双眼鏡は7台。
最初はオリンパスの8×25の小さいものを使っていた。これは子供に貸したら砂浜に落として隙間に砂が入ってダメにしてしまった。
その後、標準価格で3万くらいの10×32の少し大きいものを選んだ。
あとは見づらくなるたびに同じタイプのアウトレット品を5千円から1万円ほどで購入し1〜1.5年毎に買い換えていた。
雨や雪の中でも防水だからと構わず持ち出し、ケースに入れずに車に入れっぱなしのため、特に接眼レンズのコーティングの劣化が酷く、その度に買い換えていた。

考えてみると、双眼鏡を首からかけたままだと接眼レンズが上を向いているので、誰かと会話をしていると自分の唾液がかかったり、雨が降ればレンズに水滴がついてしまう。
それを無造作にティッシュで拭いていたので、コーティングもすぐに剥がれて見えづらくなってしまうのは当然である。
あとカメラに比べても圧倒的に安いので、扱いも雑になってしまうのも原因だと思う。
たぶんスワロフスキーの30万くらいの高級品だと超丁寧な扱いになるかと思うが、今はそこまで上級品が欲しいとは思わない。

今は極力接眼レンズにキャップをして、拭く時もレンズクロスやシルボン紙を使い、傷をつけない様に気を使っている。

ここ2年は少し高級(実際は5万円程度の中級機)な機種を購入して、長く使おうと思っている。

愛用のニコンの10×42
本当は8倍の方が良かったと思っているが、
見やすくて気に入っている
サイズは大きく重い方だが、
カメラに比べれば大したことはない

野鳥観察の重要性

写真趣味から野鳥を撮るようになった人たちは、被写体が野鳥というだけで観察をしていない方が多い様だ。
周囲の人やネットの情報を頼りに鳥を探している。
現在、多くの野鳥撮影者は双眼鏡を持っておらず、目の前に鳥がいればそれを撮影するだけに見える。

鳥を見るのに肉眼かカメラしかない状態では、例えば鳥が嘴に何を咥えているかも分からないのではないかと思う。
雑食性の野鳥なら春は木の芽や昆虫、秋冬は木の実など季節によって変化してくるが、冬から春の季節の変わり目に何を食べているか観察するのも面白いし、食べ物の変化と繁殖の時期なども関連があると思う。
また咥えるのは食べ物だけではない。春なら巣材を咥えているだろうし、その巣材も鳥によって違うのでそれを観察するのも面白い。
エナガなどは作りはじめは苔などの地衣類や蜘蛛の糸などを持っていくが、そのうちに枯れ草や木の皮などが多くなり、完成間近では羽毛を持っていくのが見られる。
そこから巣の建設の進み具合がわかってくる。

しかしカメラしか持っていない人は確認するには撮影した画像を再生する必要があるが、そんなことをしているうちに鳥は次の行動に移っている。
例えば食料を咥えているとしたら、
咥えたものを自分で食べるのか?
樹洞などに貯めておくのか?
雛に持っていくのか?
求愛のためにメスに持っていくのか?

それらを瞬時に見分け、雛に持って行くなら巣立ち前なのか、巣立ち後なのかも分かることがある。
仮に巣立った雛に持っていくのだとしたら、とりあえず双眼鏡を使って成り行きを観察する。この時点ではまだ慌てて撮影する必要はない。
雛の居場所が特定できれば、親鳥を見失ってもしばらくすると必ず雛の元に餌を持って戻ってくるはずだ。
それを待って撮影すれば良いのである。
これらはカメラだけだとすぐに見失う可能性が高く、その後の決定的シーンを逃す恐れもある。
自宅に帰ってでPCで拡大して、「ああ、こんなだったんだ」と気づくより、その場で状況を理解して、次に備えることができるかどうかの差が写真の出来の差になってくると考えている。

私も写真撮影をしているが、鳥を何で見ているかとなると、双眼鏡が圧倒的に多い。
多分ファインダーで鳥を見ている(撮影している)時間の数十倍から数百倍は双眼鏡を通して見ていると思う。
場合によっては肩から下げたカメラは一度も構えることはなく、双眼鏡だけの観察で引き上げる日もある。

そもそもカメラだけの人と双眼鏡を使っている人の差は鳥を見ている総時間の差だと思っている。
カメラで双眼鏡の様に鳥を見続けるのは難しい。
きっと鳥を求めて活動する時間はたいして変わりはないかもしれないが、トータルで鳥を見ている時間は大きな差になっていると思う。
どれだけ鳥を見ているか?
この差が、鳥の行動を見て次に何をするか、どこに行くのかを予測できるかどうかの差になっているのではないかと思う。
もっとも鳥が好きなら、カメラを使わず双眼鏡でじっくり動いている様子を見るのが贅沢な楽しみ方だと思う。
写真はあとで見返すためのものだ。

観察と撮影

どうしても野鳥との距離がある時は600mm単焦点レンズにテレコンをつけて撮影することがあるが、その場合は三脚を使用している。
そもそも私の使う単焦点レンズはミノルタの古いものでカメラと合わせると6〜7キロになる。
当然手持ちで使える重さではない。
この場合はカメラは三脚につけてほったらかし状態である。
基本双眼鏡で観察し、決定的瞬間のみカメラを触る。

今持っているもので一番焦点距離が長いレンズ
600mmに2倍テレコンで1200mm
APS-C機だと1800mm相当になる
でも最近はもっと軽い手持ちのレンズを使うことが多い

野鳥撮影に一脚を使う人も多いが、これだと双眼鏡が非常に使いづらい。片手で一脚を支え、片手で双眼鏡を使えないこともないが、長時間は無理である。何度か実際に試したが、早々に一脚は手放した。私のカメラマン観察では一脚を使用しながら双眼鏡を使っている人は見たことがない。

カメラを構えて撮影するのは条件が良い時だけだ。敢えて証拠写真的に枝被りの鳥を撮影することはここ数年はほとんど無い。
まして最新のミラーレスカメラでも暗い藪の枝被りの鳥を追い続けるのは難しいと思うし、撮影したところでプリントする気にはならないだろう。
それよりも双眼鏡で鳥の種類を確認し、それがルリビタキなどであれば時間をかけて撮影に臨めば良いし、いつも居るカラ類ならそっとその場を離れるだけである。
カメラだけで藪中の鳥が見分けられるのかは経験によると思うが、たいていはピントを合わす間に見失うだろう。
この時点で撮影者の目的の鳥がルリビタキだとしたら、その確認すら出来ずに撮影機会を逸している事になる。
ただ当人は逸した事にすら気付いていないので、「公園を一周したけど何もいなかった」という感想しか出ないのである。
もしくは藪中のルリビタキを観察している先行者がいればそのおこぼれにあずかろうと後方で待機する人もいるが、だからいつまでたっても自分で鳥を見つけられないのである。
ちなみに私は先行者が観察、撮影している時は邪魔にならない様に素通りし、深入りしない事にしている。
そもそも人の多いところへは極力行かない。

こんな感じで双眼鏡を持っていない人は、大きな損失をしているのではないかと思っているが、他人事なのであまり深く考えないでおく。
ただ野鳥は種類も多く、美しく、仕草も可愛いので、ポケモンGOの様に種類をたくさん撮影して満足しているのかもしれない。

最近は無理に写真は撮らずに、双眼鏡で見ているだけでも楽しいので、時間のない時はカメラを持たずに公園をぶらつくことも多い。
そちらの方が大きく撮ろうとして野鳥を脅かすことも少ないし、そのぶん生き生きした鳥の姿を見ることが出来る。

野鳥がそこに居る理由

感覚的だが、双眼鏡を使っていない人と鳥の話をしていると、どこそこでアレがいた程度の話が多く、鳥の行動や習性への言及が少なく感じる。
ただの被写体として鳥を撮っているのならそれで良いのかもしれないが、私からするともったいないと思う。実際に並んで同じ鳥を見ている時でも目で鳥を追えていず、見失っては私が指摘して場所を教えることが多い。
また同じ繁みにこの公園ではちょっとレアなコマドリとかが居てもその存在に気づかずにいることが多い様に思う。

例えば渡って来たばかりのキビタキが囀って居るのを見たとする。
その場合、綺麗だなーと写真を撮るだけで終わるのか、じっくり観察してつがいのメスが居ないかを見たり、近くに同じオスが居れば喧嘩したりもするか知れない。
また、そこに居るということは、そこで餌を調達しているはずで、何を食べているのかを見たりするのも面白い。
そして次の日も同じ場所で観察し、同じ個体が滞在していれば、その近くで繁殖行動をする可能性が高まってくる。
あとは定点観測をしていつ頃まで囀りをつづけるのかを観察したりもする。
近くの公園ではキビタキの囀りは毎年7月上旬頃までは聞くことが出来る。
おそらくはその頃までは雛が巣にいるのだと思っている。
上手くすれば7月中旬から下旬にかけて巣立ち雛を見ることができるが、その頃にはオスの囀りは無くなっている。
毎年こんな感じで写真には撮れなくとも観察を続けているが、キビタキに関しては巣を見つけることが出来ていない。
鳥がそこにいるのには何か理由があるはずなのだ。それを考えながら観察するのがここ数年の私のやり方である。
写真の成果がすべての人には難しいかもしれないが、こんな楽しみ方もあるし、そのうちに思いもしないシーンにで会えることもある。
しかも他のカメラマンもいないので独り占めである。

私の感じだと野鳥を撮るのに何が重要かの割合は、観察力6・テクニック2・機材2といったところだ。
300mmのレンズとフルサイズでも観察すれば良いものは撮れると思っている。

野鳥に関してはしっかりと観察してこそ撮れる瞬間があり、そこから鳥類全般に興味を持ち、ただ美しく、可愛いだけではないその生態を見ていないのはとても勿体無い事だと思う。

好きな鳥

野鳥はオオルリやコマドリ、キビタキなど色鮮やかな鳥が人気がある。
もちろん私もこれらの鳥が好きで、撮影もしているが、一番好きな鳥は何かと聞かれたら真っ先にウグイスと答える。
体色は鶯色だが、一般に鶯色といって思い浮かべるのは緑色がかった鶯餅の色だろう。

梅の木にとまるウグイス

実際は上の写真のような地味な色なのだが、その奥ゆかしさと鳴き声がとても良い。
じつは野鳥を10年ほど撮ってきて、ウグイスがホーホケキョと鳴くシーンを撮ったことがないのである。
枝被りのない抜けたところでノドを膨らませて鳴く瞬間を撮りたい。
双眼鏡での観察は何度もあるのだが、いかんせん近所の森林公園はウグイス好みの深い林があり、そこに入られると厳しいのだ。
ウグイスは好きなのだが、この時期は近所の公園の探鳥を優先している。そのため撮影対象がオオルリやキビタキなどに偏ってしまっている。
来年はウグイスの囀りが観察できそうなところへ行って、是非とも撮影したいと考えている。

2番目に好きな鳥はと聞かれたら、これも真っ先に出てくるのがモズである。
小さい頃から「モズのはやにえ」というものは知っていて、その刷り込みもあるのかもしれない。
あのギチギチと鳴く声や、長い尾羽をくるくる動かす様は可愛い。

モズのオス

しかし、モズのはやにえはまだ見たことがない。
北海道なので秋にはいなくなってしまうからなのか、これまで観察したことがない。これもそのうちに見てみたいと思っている。
その他好きな鳥はセッカノジコであるが、これは北海道にはいないし、見たことがない。図鑑やネットの画像で見るばかりである。
機会があれば観察したい鳥である。
どれも地味目の鳥ばかりだが、ウグイスの親類のムシクイ類やなかなか撮る機会のないセンニュウ類、ヤブサメ、ヨシキリなども大好きだ。

野鳥撮影とマナー問題

近年、野鳥撮影でもマナーが問われているが、最も問題になっているのはネット上での珍鳥情報によるカメラマンの集中である。
私の場合は珍鳥の情報をいただいても、ほとんど足を向けたことは無い。
厳密には10年間で3回あるが、それだけだ。
しかも情報をもらってから数週間後に訪れた。
これだけあけば最初の騒ぎは鎮静化しているのではないかという考えである。
もしその間に珍鳥が去ってしまえば縁が無かったということで、なるべく時間をあけてポイントを訪れる様にしている。
が、それも今後はそれもなるべくしない様にと考えている。

仮に撮影者同士のネットワークが可視化できるとしたら、私はそこに入っていないか、破線で1、2本の線がかろうじて繋がっている程度である。

そもそも他人と同じ場所で同じ被写体を撮って、何が楽しいのだろう。
まして、野鳥の観察など頭にない集団の中には入りたいと思わない。
人数が多ければ多いほど野鳥は警戒するし、撮影する方もトラブルが多くなる。
探せば野鳥はどこにでもいるし、他のカメラマンが居なければ気ままに観察や撮影が出来るのに、人が集まって鳥を撮る事がどれ程価値がある事なのか理解できない。それがもの凄い珍鳥であるにしても。
そして一つの被写体に群がる集団は、写真を撮らない人の目にはどう映っているのだろうか?
さらに珍鳥に限らず鳥の出現場所は様々だが、周囲を顧みず路上駐車をしてまで撮影しようとは思わない。
私の観察場所は前提として駐車場が完備されている公園に限るようにしている。

従って普段は常に自宅近くの公園を探鳥ゾーンとし、さらにほとんどのカメラマンが来ない早朝の時間を使って撮影している。

渡りの時期はルリビタキ、コマドリ、キビタキ、オオルリなど鮮やかな鳥たちが来るが、大抵誰もいない朝の観察でその日の園内の様子がわかる。
そろそろこの場所にコマドリが来るはずだと目的の場所へ近づいてみるまでもなく綺麗な囀りが聞こえてくる。
撮れるかどうかは別として、ほぼ毎年コマドリは確認している。撮影できたのは4、5回しかないが、どのコマドリも自分で探している。他の人に教えてもらって撮影したことはない。

カメラマンに人気のコマドリ
遊歩道のすぐ横に現れた
ひっきりなしに人が通るが、コマドリに気付く人はいない
朝はきれいな声で囀るが、それ以降はあまり鳴かなくなる
鳴けば他のカメラマンは気づくのだが、静かなおかげで一人で撮影できた
この日は午前5時から少なくとも午後4時までは雌雄2羽がこの場所に滞在した
翌日には移動して姿はない

自分が一番乗りなので、大抵の渡り鳥は誰よりも先に確認して、人が来る前に撮影も終えている。
野鳥撮影の人の大多数は朝食後に公園に来るので、その人たちとは入れ違いである。それもあって、本当に親しくしている数人を除いて、私の情報は拡散する事もあまり無い。

オジロビタキ
北海道では観察例が少ない旅鳥だが、観察、撮影をしたのは自分だけだった
撮り放題だったが翌日には姿がなかった

これまでそこそこの珍鳥、迷鳥を一番に発見した事があるが、いずれも親しい人止まりで僅かな人数で観察する程度で、騒ぎになったことはない。また大抵の渡りの野鳥は、翌日には去っていくので文字通り一期一会である。

白いツグミ
迷鳥とは違うが、珍しいのではないだろうか
これが数日間公園に居着いて他のカメラマンに見つかるとたちまち集団ができそうだが、
撮影したのは自分だけ
翌日には姿はなかった
チョウセンメジロ
あまり北海道で観察記録のない鳥で、私と息子の二人しか見ていないし撮影していない
小雨が降っていたせいか、撮影者も少なく、他の目撃例もなかったようだ
この写真は某野鳥図鑑に採用された

身近にいる鳥たち

他に野鳥を観察、撮影するのに自分に課していることは身近な鳥を極めること。
身近とは物理的に身近な場所にいる野鳥を指す。
具体的には自宅から車で数分から20分程度の場所にいる野鳥を継続して観察し、撮影すること。
例えばカワラヒワが巣材を運んでいるのはみたことがあるが、具体的にはどんな場所でどんな形の巣を作るのかを見たことがない。
営巣中に近づくのはアウトだが、場所が分かれば巣立ち後に観察できるはずだ。
しかし現実は巣の場所すら特定するのが難しい。

育雛写真は賛否あるかもしれないが、
これは園路から撮影した
撮影の2週間前から大体の巣の位置を確認し、
餌やりの状況を見ながら巣立つのを待った
背景が明るいので昼間のように見えるかもしれないが、
午前6時の撮影である
日中は光が高く、
強過ぎるので朝の柔らかい光が望ましいと思う

ネットで検索するのは簡単だが、趣味、遊びの一環としてやるならそういう苦労も含めて楽しいと思う。それでもこれまでアカゲラ、ヤマガラ、エナガ、ハシブトガラ、コゲラ、ベニマシコなどは巣作りや巣立ち後の巣の観察はした事がある。これらは自分で見つけたもので、人に教えてもらった巣はあまり熱心に観察していないし、そういう場所は多数の人に知られている可能性もあるのであまり近づかない様にしている。

ハシブトガラの巣
雛の糞出し
糞は野鳥の本にあるように、ちゃんと離れた所に捨てていた
巣は樹洞を利用する
この数日後巣立ちしたが、その場面は見ていない
ちなみにハシブトガラにそっくりのコガラは自分で巣穴を掘る
営巣中のコゲラ
巣作りの1日目から観察を開始した
写真は抱卵の交代
これを見てコゲラは雌雄ともに抱卵することを知った
あまり近づくわけにはいかないので、頻繁な観察は行わなかった
結果、巣立ちの見込みを誤り、気づいた時には巣は空だった
モズの親子
これも親子が並んでくれるまで10日間ほど様子をみていた
巣立ってから少し飛ぶのが上手くなって、この枝が気に入ったようだったので待機して撮影した
朝6時
モズは人気がないのか、カメラマンは他にいない

ネットを見ればクマゲラが営巣していたり、フクロウの雛が出て来たりと情報が転がっているが、そういう場所へは一度も行ったことはない。それよりも身近にいるヤマガラやシジュウカラの観察をすることで思いがけないシーンや迷鳥に出会うことがある。

思い描く瞬間を求めて

ここ4、5年は鳥を図鑑的に鮮明に大きく撮ることに対してはあまり興味がなくなった。
それよりも季節感のある写真、風景の一部としての野鳥写真へと好みが変化している。
なかでも雪は写真に写りやすく、季節感も出しやすいので、あえて天気の悪い日に撮影することも多い。

吹雪の中のツグミ
雪は抒情的な写真にしてくれるチャンス
ズームレンズで少し広角寄りにして撮影した
雪が降った時にシマエナガを撮影したもの
シマエナガは動きが速いので先読みして、
あらかじめバックが松になる場所へ移動し、枝に止まるのを待った

雨の日もおすすめ。
なんといっても雨で撮影に来る人もほぼいない。
カメラもレインコートを被せれば何とでもなる。
雨はバックが明るいとあまり効果がないが、人と違った表現をするなら手っ取り早い。

雨の降る中、アカゲラが近くに来た
下の方に紅葉を入れた
ノビタキのメス
土砂降りの雨の中で撮影した

画質的には単焦点レンズが良いのは確かだが、咄嗟に画角の調整ができるズームレンズを使うことが多くなった。
ソニーの200-600mmは、どの焦点距離でも安定した画質で、どうしても距離が足りない時はテレコンも使えるので重宝している。
テレコンをつけてもズームの広角端で撮ることもできるし(280mm)、薄曇りの草原なら日の出の時間からテレコン付きでも問題なく使えている。

その他、鳥が羽ばたく瞬間など動きのある写真も撮るようになって来た。

シジュウカラの飛び出し
シャッタースピードは基本1/4000秒にしている
したがって明るい時にしか撮れない
白いツグミの羽ばたき
ヒヨドリが羽を広げると可愛く見える

動く瞬間などは最近のミラーレスカメラのおかげで、今までは撮れそうもなかったものも撮れる時代になった。

羽ばたきながら赤い実を咥えて持ち去るツグミ
ファインダーに入ってくれれば飛ぶ瞬間もわりと楽に撮影できる様になった

ソニーのカメラで惜しい部分は、他社にあるプリ連写機能が無いことだ。
以前、ソニーストアで野鳥写真家の嶋田忠氏の講演を聴きに行ったが、嶋田氏もプリ連写が欲しいと語っていた。
ちなみに私が意識して飛翔写真を撮るようになったのは、この時の嶋田氏の講演を聴いてからである。
今までの撮影方法とは設定も違うが、飛翔写真を撮ることで新たな野鳥写真の魅力を知ることができた。

野鳥の動く瞬間写真といえばカワセミだが、私はまったく興味がない。
この10年間でちゃんとカワセミを撮ったのは1度だけである。しかもカワセミを撮りに行ったのではなく、別の鳥の観察中にたまたま近くにとまった所を撮ったのみである。
カワセミは多くの先人達によって撮られつくしているので、自分の入る余地はないと思っている。

それよりも馴染みの場所ならではの、満開の花と一緒に撮影できたりと、まったく他の撮影者がいない中で自分なりの思い描く画を撮影している方が楽しく充実感がある。

ノビタキと背景にムラサキツメクサを配した
これを狙って数日前からこの場所へ毎日訪れたが、
撮れたのはこの日だけ
翌日には公園の草刈りが入り、跡形もなくなった
ルピナスにとまるノビタキ
これを撮ろうと思ってから6年後にようやく撮れた
でもルピナスが盛りを過ぎてしまったのでまた翌年の課題

花の満開の時期はほぼ毎年同じなので、今年は花の近くでアオジが営巣していれば雛が巣立つと近くにある花に来てくれる可能性があり、それを毎日観察して機会を待つなどしている。もちろんうまく行かない事の方が多いのだが、ダメならまた来年へ持ち越しである。それを繰り返す事で、おそらく色々な場所へハシゴしている野鳥撮影者では出来ないシーンを撮ろうという考えである。

これを撮ろうと思ってから4年くらいかかった
葉がこの赤さなのは3、4日の間で、
それを過ぎると急激に色褪せる
そして太陽があたると光で反射して赤味が薄れるので、
日の出直後にメジロが来るのを待った
この時間には他の撮影者はいない

北海道なので冬は雪景色になる。野鳥は木の実を食べに来るが、常にではない。毎日雪面に木の実を食べた跡がないかと観察して、食べ散らかした痕跡を発見すれば、翌日からは重点的にその周囲を探索したりする。それを毎年同じ場所で続けていくと、だいたい鳥が来る時期が予想できる。しかし冬鳥は夏鳥よりも年による変動が大きく、レンジャクが多い年、ツグミが多い年、マヒワ、ベニヒワが多い年などその時になってみないと分からない事も多い。

シラカバの種を食べるベニヒワ
目線の高さにある枝に群れが来た
毎年この枝をチェックしているが、
撮影できたのはこの時のみ
バックは松の木で黒いので鳥がひき立つ
この写真は某バードウォッチング専門誌に掲載された

他にも鳥が止まれば絵になりそうな場所の見当をつけて、渡りの鳥が来るのをまったり、良く知る場所だからこそ、たまに来る人には見出す事の出来ないポジションで撮影を楽しんでいる。
季節や天候、時間によっても同じ場所でも光の当たり方でまったく違う印象になるので、数年越しで撮影できた写真もある。
それが「良い」写真かはわからないが、自分以外はおそらく撮影していないだろうという写真も幾つもある。

シマエナガ大人気だけど…

ちなみに北海道で人気のシマエナガ。
私も見つければ撮影はしているが、集団の中に混じって追いかけたことはない。
近所の公園に1年以上現れないことがあったが、その間は私は一度も撮影していない。

今人気のシマエナガ
この木の実を食べに来ることがわかっていたので、
三脚を置いて待ち続けた
コリンゴの木に来たシマエナガ
この時はひとりで撮影に没頭できた

あえて情報を探してシマエナガがいる場所へ行くこともしない。
いないなら仕方がないのだ。
もともと近所の公園はシマエナガに関しては目撃頻度が高くないので、その辺は諦めている。
それよりも自分の身近にいる野鳥を観察・撮影し、もっと鳥の事を知りたいと思う。

数羽のシマエナガを10〜20人が追いかけているなどと人伝に聞くが、あれは野鳥撮影とは違うと思う。
パパラッチ的な何かに思えるし、野生生物をアイドル視しているようで、ただ可愛さを求めて執拗に追いかけるのはシマエナガが可哀想に思えてしまう。
シマエナガばかりを撮影するカメラマンが昨今急増してきたと実感する。
一つのテーマで良い作品を残したいという気持ちが先走って、相手が野生生物であるということが忘れがちになっていないだろうか?
執拗に追いかけ回しながら、仲間に電話やSNSで呼びかけるのは見ていて悲しくなる。
正直、ああいう人たちと同じ野鳥撮影者と思われたくないし、彼らとは生き物や写真を通じてわかり合えるとは思えない。
良い場面に出会えたのはそこにいる人の特権で、そこで「良いシーンが撮れたね」で終われば良いと思うのだが、そうはいかない事情がある様だ。
それは野鳥に限らずキツネやリスなどの野生動物も同じで、一匹の生き物にカメラマン集団がぐるりと取り囲んでいることがあるが、どんなに魅力的な状況だとしてもその集団には加わらないでいようと決めている。

おわりに

ライファーという言葉があるが、実際に使ったことはない。最初のうちは図鑑を見て実際に見た鳥の数を数えたことがあったが、今は数えようとも思わない。
そもそも独力で見つけた鳥はカウントしても良い気がするが、教えてもらって見に行ったものはノーカウントにしたいくらいである。

ここに載せた写真のほとんどは1人で撮影したものである。
もともと風景を撮っていたが、他人と同じ写真を撮ることに意味を見出せず、有名スポットでの写真撮影はほとんどしたことがない。
もう既に誰かが撮っているのであれば、私が撮る必要はないのだ。
それは野鳥でも同様で、他人と同じシチュエーションで撮っても仕方がない。
まして、他のカメラマンと並んで撮っている時点で写真の価値は半減以下になると考えている。

どうすれば作品に独自性が出せるのかと考えると、「誰もいない所で撮る」というのが最も近道ではないだろうか?
それには自分で野鳥を探して観察する目を持つことが必要で、誰かに頼っては駄目なのだ。
そして頻繁に通うこと。
時間や季節による変化を見て、野鳥が入るシーンを想像することが必要だと思う。
先にも書いたが鳥はどこにでもいる。
その辺の木にもいるし、庭にも来るだろう。
他人に邪魔されずに撮れるところは無数にある。

ネットにある野鳥の写真をみていると目移りしそうになるが、そこはぐっとこらえ、身近な場所でできるだけ深く鳥を観察して行きたいと思っている。


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