何かを得れば何かを失うし、書かないほうが平和になった
最近、みつばちまぁやさんの下記のnoteを読んで「あぁ、確かにそうだよな」と思ったことがありまして。
私は小学生の頃から、親にノートを買ってもらってor自分でお小遣いを貯めてノートを買って、そこに自作の物語を書きつづって遊んでました。大人になってからはネットに公開して友達に読んでもらってました。
プロットという概念もなく、書きたいと思ったらうわーっと書いて仕上げる感じでした。だから長編は苦手だったけど。
「物語を書けなくなったらどうしよう」みたいな恐怖は特になかったかな。自分は書かずにいられない人間だと思って疑いもしなかったし、もし失ったら?なんて考えてなかったと思う(自分の将来を真面目に考えず、行き当たりばったりでやってきた計画性のないタイプ)
で、今は全然書かなくなったけど心おだやかです。全然悪くないやん、むしろ前よりえぇやん?って感じてるんですよね。不思議なことに。
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まず、書くのをやめたら夫婦ですごす時間が増えました。「小説を書く」ってのはひとりでやる作業だから、書いてるあいだは家族としゃべったり一緒に映画見たりできないんですよね~!
書かなくなって、空いた時間を人間関係に費やしたら、前より夫と仲良くなった。これは小説に限らずブログとかもそうです。書かないほうが家族団欒の時間は増える。
正直、ひとりで「うおおお楽しいー!」って盛り上がりながら小説を書くよりも、夫婦でゲラゲラ笑ったりツッコミ入れたりしながら映画を見るほうが幸福度は長く続く感覚があります。やっぱり人間は群れで暮らす生き物なんや……。
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もうひとつ、脳内で文章を書いてしまう癖がだいぶマシになりました。執筆の予行練習みたいな癖なんですけど、頭の中で文章を書きながら構成を組み立て始めてしまうこの現象、わりと勝手に起動しちゃうので正直ほとんどメリットがない。
たとえば夫婦でスーパーに行った帰り道、食料が詰まったリュックを背負って歩いてる最中に起動したりするんですよ。さすがの私も脳内で文章生成させながら夫としゃべる芸当はできないので、無言になる。
けど急に黙ったら一緒にいる人は「なんか機嫌悪くなったの?」って思うじゃないですか。そうでなくても、一緒に歩いてた人が心ここにあらずになるのって、いいことじゃないよね。
もっと困るのは寝る前に発動した場合。これが1番多い。脳が活発に動いて眠れなくなる。寝つきが悪くなっちゃってまじで困る!
ライブに行った日の寝つきが悪くなるのは、ライブで興奮してるのもあるけど、その興奮を言語化するために脳内でこれが起動しちゃうから余計に眠れないってのもあります。
自分の感情を言語化できるようになった子は暴力が劇的に減るって話もあるけど、言語化も過剰になるとよくない気がするんですよね。言語化せずにふわーっと流したほうがいい場面だってあるから。
でも今は書く機会がごっそり減ったおかげで、この癖が刺激されにくくなって、勝手に起動する回数も減りました。
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あと、みつばちまぁやさんが書かれている下記について。
鬱の治療云々については存じ上げないのですが、10年くらい前に愛読していた個人の日記ブログで似たようなことが書かれていたのです。「感情をあまり動かさないようにしたい。プラスの感情であっても強い感情はあまりいいものじゃないから」という趣旨の話をされていて。
当時はさっぱり理解できなかったんです。『赤毛のアン』では、アンは感情の波が激しい分、喜びも人一倍感じるからトータルではプラスなんだよ、みたいなこと書かれてるじゃないですか。私はそれを信奉してたんですよね。
でも数年たって、あのブログに書かれてたことは一理あるぞと考えを改めました。プラスの感情だろうがマイナスの感情だろうが、強い負荷であることに変わりはないんだなって。
(だからSNSは本当に害が大きいと感じてます。強い感情を刺激する発信が多いし、さらにそれを目につくところにおいてクリックや滞在時間を増やすアルゴリズムになってるから救いがない)
ただ、負荷が強いからこそ、その強さが中毒になっちゃってやめられない人もいるだろうと思います。
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みつばちまぁやさんは体調の悪化という劇的なイベントのあとで書けなくなったそうですが、私はなんとなーく、少しずーつ、書きたい意欲がじわじわ減って書かなくなっていった感じです。
書きたいと思う気持ちもなくなったのに気づいたとき「自分の中で、書くことを必要とする長い期間が終わったんだな」と受け止めました。
終わるなんて思ってなかったけど、終わったんだなって。今までの自分の枠から離れられるんだなって。少しほっとしました。