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猫森集会2011・Aプロのゲスト・川村竜さんが面白かった話

※この記事は、過去のブログからの転載です。
初出:2011/09/21


イベント名:猫森集会2011 Aプログラム<天才登場!>
ゲスト:川村竜(コントラバス。ウッドベースって言った方がいいのかな?)

というわけで、今年の猫森は、9月17日のA1、翌18日のA2に連続参加してきました。
どちらも同じ曲目で、最初の方は似たようなトークをしてはったのですが、後半になるにつれ、2日目は1日目とちがうトークになってきて面白かったです。
私は1日目が2列目(正面の2列目)、2日目が19列目(AQさんの後ろの2列目)でした。
何気にAQさん側の座席が久々でした。いつも正面側が多いので。

私はライブ中に一切メモをとりません。
だってライブだから。その場を手放しで楽しみたいし。
今から書く感想も、記憶を頼りにした適当なものなので、まちがってる部分もあると思いますが、鵜呑みにせず適当に読んで下さい。
きっと正確な感想は、熱心にメモをとってる古参のファンの人たちが、あっちこっちで書いてくれてることでしょうし!
じゃあ、記憶フィルターを通した適当な感想、いってみよーう。
まずは、ゲストの川村竜さんについての話だけをまとめてみた。


いかにして川村竜さんは最重量ゲストとなりしか

猫森ゲスト史上、最重量(体重105kg)の天才ベーシスト、川村竜さん。
なんと、1982歳生まれ。若い!

17歳でエレキギターを始め、20歳でコントラバスを始めたら、22歳にしてハワイ国際コントラバスフェスの最優秀賞を受賞(しかも日本人初で、おまけに大会最年少)
そんな天才っぷり。でも語り口は割と普通っぽい。普通だけど淡々とノリがよくて面白い感じ。

フェスで受賞した時のいきさつも相当面白かった。
一緒に演奏する相手を連れていかねばならないのを知らず、単身参加してしまい、えぇい!とひとりでステージに上がって即興で弾きまくったら(しかも制限時間15分のところを27分も弾いた)、スタンディングオベーション、そしてジャズ部門の最優秀賞。
しかも、甚平に雪駄だか下駄だかという格好でステージに上がったらしい。

川村さん:「周りはフォーマルな格好をした欧米人ばっかりのところに、突然、甚平を着た東洋人が出てきたので、僕が出てった瞬間、どよめきが起こりましたね。ツカミはばっちりで」

その後、海外で仕事をする機会も増えた川村さん。
中でもスペインには長いこと滞在したらしいのだが…。

「スペイン人って、コーラをすごく飲むんですよ。家にどーんとコカコーラが置いてあって」
「さらにポテトも、日本のポテトチップスとはまたちがった形状の袋入りの奴があって、それが常に食卓にあるんです」
「フリーコーラ、フリーポテトって感じで」
「それに加えて、パエリアとか脂をいっぱい使ったおいしいスペイン料理を食べて」

スペイン滞在中に、食べる楽しみ(特に太りやすそうなもののおいしさ)に目覚めてしまった川村さん、帰国後も食べる食べる。
フェスで受賞した時は体重70kgくらいだったのに(身長は180cmかそれ以上ありそうだった)、ぐんぐん体重を増やしてしまった。

その後、風邪をひいて医者に行ったら、
「体重が1年に8kg以上増えたら、心臓に負担がかかるから体によくないんだよ!風邪の心配してる場合じゃない、なんでもっと早く来なかったんだ!」
みたいなことを言われたそうです。
しかし、その後も川村さんは食べる楽しみを味わい続け、ついに3桁を突破したのでした。


7200円の尾島

子どもの頃、一時期だけピアノを習っていた川村さん。
しかし、まちがえると竹定規で叩いてくる先生だったので、それがトラウマになって、音楽が嫌いになってしまった。
音楽を聞くのは好きだけど、自分がやろうとは思っていなかった。

ところが、浩子さんがプロデュースした、岩男潤子『kimochi』がきっかけで、自分も音楽で人を感動させるようになりたいと思ったらしい。
最初はギターを手にとったものの、耳コピしたものを弾いていたら、「お前、それベースだよ」と。
じゃあベースをやろうかと思っていたところ、同じ学校の尾島(おじま)くんが、ベースをゆずってくれた。
「友達だから、1万円でやるよ」みたいな感じで。

…あとで調べてみると、そのベースは9800円の代物だった。
「200円で友情を引き換えにしたんですよ」と語る川村さん。
さっそく「200円の尾島くん」という妙な呼称をつける浩子さん。

その尾島くん、川村さんはベーシストとして仕事をするようになってから、1度だけ再会したことがありました。
お店のステージで弾いていたら、客席に尾島くんを発見した。
尾島くんはこっちを見て、しきりににやにやしてるけど、もちろん演奏中なので、川村さんは何もできない。

ステージが終わってから客席に向かってみると、尾島くんがいなくなっている。
「あれ?どこに行ったんだろう」と探していると、お店の人が近づいてきた。
「あのう、川村さん、ここにいらしたお客様が、川村さんにツケてくれと…」

なんと尾島くんは、7000円も飲み食いして、それを勝手に川村さんにツケて帰ってしまっていた。
「あいつ、ミュージックチャージも払ってなかったんですよ!」

「えぇぇえー!尾島ぁー!」と、とうとう呼び捨てで叫ぶ浩子さん。
200円の尾島くんは、7200円の尾島に昇格(あるいは降格)したのだった。

尾島くん、そのうち同窓会に顔を出しまくっては、人の金で飲んで、自分は払わずトンズラ(さらに同窓会のメンバーに金を無心)する駄目なおっさんになりそうですよね…。


年上の彼女(1806年生まれのコントラバス)

川村さんは、かなり年季の入ったコンバスを使ってはりました。

川村さん:「1806年生まれだそうです。もっとも、伝聞なので、本当かはわかりませんが」

最優秀賞を受賞したフェスでは、まだ新しいコンバスを使っていたそうです。
「50年くらい前につくられたものでした」
新しくても50年前…。

で、そのフェスの審査員をしていた80代のコンバス奏者(名前は忘れた)が、
「俺は、身の回りの世話をしてくれるのは若い女がいい。でもお前はまだ若いから、年上の女の方がいいだろう」
と言って、川村さんと自分のコンバスを交換しようと言ってくれた。
かくして、1806年生まれ(らしい)コンバスが、川村さんの元にやって来ました。

川村さん:「年上すぎて頭上がらないですけどね」
浩子さん:「50年のコンバスって、まだ若いんですね…」
川村さん:「若いですよ。ピチピチです」
浩子さん:「じゃあ、私もまだまだいけますね!」



僕の考えた5分55秒

途中で、川村さんのオリジナル曲「Beijing Duck's Screaming(ベイジン・ダックス・スクリーミング/北京ダックの断末魔)」の演奏がありました。
どれくらいの長さですか?と浩子さんに聞かれた川村さん、
「決まってないんですが。5分から7時間(このへん記憶がおぼろげ)まであるんですが、どれくらいがいいですか」
みたいなこと言って、浩子さんを仰天させる。
間の部分は即興で弾いちゃうから、いくらでも引き伸ばせるわけですね。

「誰かお客さんを指名して、その人が手を挙げたら演奏終了にしよう」
という案が出されるも、
「それ、うちのお客さんは絶対に挙げないと思います。ずっと聞いてると思います」
と浩子さんが断固却下。

「じゃあ、間をとって、5分55秒くらいで…」
間をとって…って、どこの間をとっているのか不明ですが、そんな案が出てくる。
「それ、お客さんの誰かが絶対に計りますよ。正確に5分55秒…」
と浩子さんが予測。

最終的に、浩子さんが、「じゃあ、僕の考えた5分55秒で!」と解決策を提唱。
…実際の演奏は、5分もなかったような気が…。
それとも私の考えた5分55秒が7分くらいだったのでしょうか。


谷山浩子 vs. 川村竜

川村さんが、しれっとした顔で調子に乗るキャラの人だったので、浩子さんは、
「調子に乗るから、あんまり褒めないようにしよう」
なんて言ってましたが、うっかり忘れて褒めちゃって、すかさず川村さんに調子乗ったこと言われて、「あ、しまった」みたいになってました。

あと、浩子さんは川村さんの演奏について、
「なんていうか、音に深みがある」
「これだけ自由にやっていたら、ピアノやシンセと一緒に演奏してる中で突出しちゃいそうなんだけど、ちゃんと曲になじむんですよね。だから、すごくやりやすかったです」
と言ってはりました。

川村さんは川村さんで、
「自分が音楽をやるきっかけになったアルバムのプロデュースをした人と、こうして演奏できるようになるなんて」
と感慨を語ってはりました。

そんな川村さんも、今では自分が音楽をやるきっかけになった岩男潤子さんのプロデューサーとなり…。
人の人生って、面白いよね。