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Twisted times

去年の冬に映画のカナルタを出町座で見た後、映画館を出て商店街を歩きながら、はるか南米大陸で暮らしを営む人たちと同じ世界の中に生きているという事実がとても不思議に思えたことを覚えている。

ここ半年(そして特に最近)時差というものを意識しながら生活することが増えた。それは主に国外に住む人ととの仕事や、やりとりを通してだが、特にEU圏との時差を計算する能力はかなり上達したと思う。

日本が朝を迎える頃、ヨーロッパの人々は眠りについている。さながら小学校の国語の授業で習った「朝のリレー」である。一方でヨーロッパの朝は日本の午後なので朝のリレーというより、少し遅い時間に起きてきた友人ぐらいの感覚になる。

こうやって交代しながら朝を迎えていると、一日という単位が途切れたものじゃなくて続いている時間なんだなと気づく。時差を意識しない世界では夜が来て眠ると一日がそこで途切れて、次目覚めた時が新しいスタートに感じる(RPGみたいに)。けど時差を考えると自分が寝ている時間は誰かが起きている時間であり、眠りについても途切れるわけでなく一日という単位が続いていると思えるのだろう。

ただ言葉とは裏腹に、僕の感覚としては朝のリレーよりも時間が捻れている感覚が近い。二つの時間軸が波のように軌跡を描きながら、ある点では交差し、ある点では離れる。

そしてその周期はおおよそ太陽と地球の動きに準じている。無限に思えるほど続いていく運動の中で、その周期が繰り返され続けている。僕が人間のスケールで一日だと思っているものは、地球が自身を一回りさせる間でしかない。そう思えば時差とは、社会でなく地球に生きているという実感を持てる装置なのかもしれない。

在宅ワークでスケジュールみちみちの日常が続いていると、朝とは太陽が昇ってきたときで夜はそれが沈んで月が見えたり見えなかったりするとき、という至極当然なことすら忘れかけてしまうので危ない。

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