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恥ずかしながら、生きております。

恥ずかしながら、生きております。

18歳で東京に出てきて、大学を何年か留年し、就職せずに何年かアルバイトで糊口をしのいで、割合にしんどい職場に就職して何年か働き、さらにしんどい職場で何ヶ月か働いて、心療内科でうつ病と診断されることになり、転職を余儀なくされることになりましたが、幸い、現在は、なんとか。まっとうな職場で働けているのかな、と、思います。

ぼくは、小さいころから、不思議と、勉強はできて、大学まで、苦労せず、進学しましたが、一方で、いまひとつ、人間の社会というか、生活というか、そういったものには、なじめないようで、なんだか、いつも、夢を見ながら生きているようなところが、あった様子でした(これはぼくの実の母からも、とある機会にふらふらと飛び立っていきそうな、という表現で言われたことがありました)。

最近になって、ようやく、人間らしい人間の姿、というか、現代の社会でかくあるべしと定義されているような人間の姿、に、近づけてきているような気がしますし、また、心から、そうなるべきだと、考えるようになっています。

とはいえ、ぼくは、人間のあり方とは、実際には、どこまでも広がりをもつものであり、現代、ぼくが生きている社会は、ある意味では醜く歪んだ、ある意味では美しく矯正された、大変狭隘な人間像を押し付けてきているな、と感じることが、非常に多いです。この、醜く美しい人間像の流布に対して、最近では、主にインターネットの普及によって、一部で、数多くの反駁が生まれているような気はします。(ぼくはこれらの反撃に似た反骨意識を幼少期からおぼろに感じていたような気がするのですが、それを言葉にできるようになったのは大学での教育やインターネット上での様々な議論、というか一方的な意見の無数の発露に身をさらしてからのことです。そして今となってはそういった機会を得ることができなかった自分というのを想像できないほどに自分の思考は侵され、あるいは、訓育されきってしまったようです)。

だからといって、ぼくは、この社会の主流派と争うつもりは、毛頭ありません。いま、ぼくは、家庭生活を組み上げなかればならないのです。必死です。

「…では、なぜこんなところに、おじさんのクソリプにも劣るような駄文を書いているのか?そんな暇はないのではないか?稼ぎは十分なのか?スキルアップのために勉強でもしたらどうか?もしくは、副業でウーバーイーツでもしては?」

そういったお考えを抱かれた皆さまは、圧倒的に、正しい。

ぼくだって、24時間すべてを、労働と、明るく暖かい家庭の構築と、人口の再生産とのために、使ってみたい。もしもそれが、可能なれば、の話であるけれど。

ぼくには、なんだか、もったいない精神のようなものが、あります。

なぜかしら、自分の経験やらなにやらを、書き起こし、この世に居場所を与えてあげなければ、すまないような、気がしています。

それで、まぁ、いっぱしの人間のような面をして、「書きたいと思った」と、言うのです。

「ふむ。そういった欲求があることは、簡単に、想像できるよ。表現欲求とか、承認欲求とか、そういった言葉もあって、広く使われているほどじゃないか。君が、書きたいというのは、わかった。だがしかし、俺が言いたいのは、そんなことに君の貴重な時間を使っている暇があるのか?ということなのだが。」

そうですよね。わかります。ごめんなさい。ぼくは、このように、質問にストレートに回答をせず、自分の話したいことをいきなりさしこんでしまうことがよくあるようなのです。許してください(もっとも、ぼくだけではなく、相当に多くの人間にそういう傾向があるし、ある種の人々にいたっては、その傾向がはなはだ激しい、と、ぼくは、思いますがね)。

「時間がもったいない!」「その時間で金でも稼いでみろ!」「自己研鑽しろ!」そういったお声に対して、ぼくはこう答えます。

「ぼくは、有料noteを通じて、自分の経験、そして時間で、皆さまの貴重なお金をいただけないか、試してみるのです。」と。

ここまでが、今、ぼくにできる精一杯の答えです。

noteでお金がもらえるのかなんか、はっきり言って、わからんです。一銭にもならないことだって、十分にありえる話です。

でも、やってみようと、思った。好き勝手に、やらせてくれれば、いいじゃないですか。お気に障るのであれば、無視していただいて、結構ですし。

なお、ほくは、ぼくのツイッターアカウントで、このnoteについて言及を、いたします。そして、ぼくの嫁は、ぼくのツイッターのアカウントを、知っています(それのみならず、彼女はぼくのアカウントにログインすることすら、可能なのです)。

なにを言いたいのかと、嫁は、ツイッター、及び、noteで、ぼくが貴重な時間を使って駄文を生成していることを、知っているのです。

ぼくがnoteを書いたところでぜんぜんお金を得られなかったら、ぼくは、それを辞めざるをえないでしょう。さすがに、そんなに無駄なことに、時間を使うなんて、いっぱしのアラフォーの社会人、家庭人として、失格。嫁が激怒し、生活は崩壊すると思われます。

次の日にも終わるかもしれないというスリルを感じながら、自分自身のことについて、書いていきたいと、思います。

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