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#12 止まってた時間がゆっくり動きだす。

 2012年5月4日、僕はカメラマンの元田敬三くんと開通したばかりの新東名高速道路を西に走っていた。実に2008年の夏以来となる、久しぶりのガズームラの取材の仕事である。ガズームラについては、以前もちょっと触れたが、「インターネットとクルマがマチとムラを結ぶ」をテーマにトヨタ自動車が提案する新しい体験型ドライブのことである。ブログを活用し、クルマ好きが集まるコミュニティサイトとして2007年に大きくリニューアルしたGAZOO.comの目玉企画の一つであった。僕はリクルート同期の養父くんたちの協力を得て、九州でこのプロジェクトの立ち上げを担当し、14個のガズームラをオープン。そして、広報誌「Gazoo Muraマガジン」を創刊。編集長としてその普及を担ってきた。そして、ガズームラの全国展開を機に、2009年に大政をトヨタに奉還し、長らくこの仕事から離れていた。
 大政奉還は当社の宿命というか、独自のビジネススタイルである。一例を挙げれば、トヨタのGAZOO.com、GAZOO Racing、NTTレゾナントのまちgooなど、多くのプロジェクトの立ち上げ段階で、当社はまず手弁当で参加し、主にコミュニティの開設・運営、フリーペーパーの発行といったコミュニケーションという切り口から立ち上げ支援をおこなってきた。そして、プロジェクトが大きく成長した段階で、請け負っていた業務をクライアントに大政奉還する。なぜなら、従業員0名の当社では請け負えない業務になるからである。

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やっぱり現場は楽しい

 そして、今回、一度は大政奉還していた仕事の現場復帰となったのは、ひとえにトヨタの友山茂樹さんの気遣いだったと思っている。経営が苦しいなんて弱音は死んでも口にしていなかったはずだが、その辺を僕の言動からなんとなく察した友山さんが部下に指示し、逆に向こうが頭を下げる形で、編集長復帰を要請された。口はめちゃくちゃ悪いけど、義理に厚く、本当に心優しい人である。感謝。
 この仕事復帰はもちろん経済的に大きな支えとなったが、それ以上に僕にとってありがたかったのは、仕事のリズムを取り戻せたことだ。あらかじめ、取材対象やインタビュー内容が設定され、応接室のテーブルを挟んでインタビューするような仕事よりも、予備知識もそこそこに、とにかく出かけて人に遭い、その分、いろいろドタバタはあるけど、臨機応変にやっていく、そんな出たとこ勝負の仕事の仕方が僕には性に合っている。というか、それこそが自分の持ち味であり、スタイルだと自負している。だから、いつまでたっても治らない(笑)。
 今回の取材では、カメラマン&パートナーとして、長年、僕の出たとこ勝負の取材に付き合ってくれた元田くんを指名。そして使用するクルマはその前年にGAZOO.comの「キーパーソンインタビュー」で4時間も話し込むくらい意気投合し、その開発スタイルに感銘を受けた小木曽聡チーフエンジニア(現在はトヨタ自動車 執行役員)が開発した新型アクアを迷わずチョイスした。想像した通り、この小さなハイブリッドカーは高速道路でも、山道でもキビキビ走り、燃費も抜群にいい素晴らしいクルマだった。2011年の年末に発売されて以来、何度かマイナーチェンジはあったもののいまだにフルモデルチェンジはされていない。それほど、よくできたクルマなのだ。ちなみに、新しく購入したプリウスPHVはまだ納車になっていなかった(笑)。

https://gazoo.com/article/keyperson/111201_1.html

ムラの人たちにピザ釜作りを学ぶ

 今回の取材は2泊3日の日程で、横浜を出発して、新東名を走り、途中、静岡県の北部にある梅ヶ島に立ち寄って、さらに西に走り、奥三河の豊根村、長野県の千代村、岐阜の郡上明宝、三重の宮川村を回って、横浜に帰ってくるというお馴染みの強行スケジュール。しかも、5つのムラは揃いも揃って山奥の県境に位置する。もちろん、いずれのムラも初訪問だし、ムラのブロガーとも初対面である。まさに出たとこ勝負。しかもトヨタの仕事だから、法定速度遵守は当然である。およそ走破するだけでも大変な距離だが、それだけでなく、取材や撮影もやらなければ意味がない。
 しかし、難しいからこそ、やりがいがある。そして、臨場感あふれる楽しい記事ができる(はず)。「やってやろうじゃないか!」。僕は久しぶりにワクワクしていた。
 実際、ハプニングもたくさんあった。一番大きなハプニングはルート変更。当初は豊根村に1泊し、翌日は豊橋経由で渥美半島の先の伊良湖岬からフェリーで鳥羽に渡り、宮川村、郡上明宝を訪ね、そこで一泊して、最終日に千代村に立ち寄って中央道で帰京する予定だった。しかし、豊根村の清水館の女将・石田三千枝さんからのアドバイスで、GWのど真ん中にそのルートは無謀、むしろ、千代村は山を越え県境を抜けるとすぐと知り、急遽、スケジュールを変更。翌日、鳥羽で合流する予定だったクライアントのガズームラ事務局の中村あかねさんに夜に電話して、合流場所を三重県の鳥羽から長野県の飯田に変更するという、めちゃくちゃな無茶ぶりをやっている。本当に我ながら酷い話だ(笑)。
 そして、郡上明宝では炭焼き職人に地面を掘ってピザ釜を作る方法をめっちゃ時間をかけて聞いたり、宮川村では夕暮れになっているのにも関わらず、手作りのピザ釜でわざわざピザを焼いてもらった。同行したクライアントの中村さんはきっと「なぜ?そこにこだわるの?」と思ったに違いない。実はこの時、僕の頭にはヤンゴンでピザ屋をオープンすることは決まっていたので、ここぞとばかりに、根掘り葉掘り取材していたのである。
 その後、中村さんを伊勢で降ろした後、伊勢在住の友人と食事し、夜の高速を道路をひた走って、翌朝に帰京。この時にはすっかり失いかけていた仕事のリズムを取り戻し、絶好調になっていた。

さあ、もう一度、ヤンゴンに行こう!

 ヤンゴンの二度目の訪問は5月28日出発に決めた。そして、当社の14回目の創業記念日、当社の15周年がスタートする記念すべき日となる6月1日をヤンゴンで迎えることにした。小国のオーリーにも連絡をして、ビザの申請ができてることを何度も確認した。僕はGazoo Muraマガジンの入稿を済ませ、ゲラを持って、羽田空港でオーリーと合流。5月28日の深夜0時発のタイ航空の便に搭乗。バンコク経由でヤンゴンに向かった。
 しかし、この12時間後、僕はヤンゴン国際空港でまさかの強制送還を経験することになる。

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