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#9 ミャンマー大使館立て籠もり事件:後編

 バンコクのSathonというエリアにあるミャンマー大使館に到着したのは10時前。そこにはビザの申請をする人で長蛇の列ができていた。列は建物の外にはみ出し、大使館の塀沿いに100メートル近く続いている。これはなかなかの壮観である。冒頭の写真がその様子である。絵柄的には難民が大使館に押し寄せてるようにも見える。確か、何枚か携帯電話で写メを撮った覚えがあるが残ってたのはこの1枚だけだった。
 まあ、そもそも撮影なんてしている場合ではない。僕は最後尾に並んだ。列に入ると、周りは外国人だらけ。日本人らしき人は見当たらない。そして、みんな何やら、用紙を記入している。僕は前にいたグループの一人に「それどこでもらえるの?」と聞いてみたら、「建物の中だ」という。
 僕は一旦、列を離れ、行列を遡って、先頭まで行って、大使館の中に入ってみた。中は意外に広く、受付窓口も6つくらいある。椅子に座ってる人もたくさんいて、どうやら付き添いとして家族やグループで来てるようだ。「行列ほどでもないかも?意外と早く終わるかも?」と少し安心した。
 僕は申請用紙を棚からとって、再び列に戻る。先ほど、申請用紙のことを教えてくれたタイ人らしきお兄ちゃんが「ここに入れ!」と手招きしてくれ、僕はロス無しで列に復帰できた。ラッキー。

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ミャンマーまでの往復航空券が必要?聞いてないよ!

 列に戻り、僕はスーツケースをテーブル代わりにして、申請書の記入を始めた。日本語の申請用紙なんてないので、僕が持ってきたのは英語の記入用紙だ。氏名、生年月日に始まり、パスポート番号、肌の色、髪の毛の色、瞳の色と記入する項目がやたら多い。父親の名前なんて記入欄もある。なんでこんなこと聞くんだろう?と不思議に思いながらも、せっせと記入欄を埋めていく。まるで英語のテストを受けてるようだ。
 そして、どうしても意味がわからない単語が1つあった。「occupation」だ。これなんだ? 「Occupy(占拠する)」の名詞形かな? うーん、なんだろう? 悩んだ挙句、さっきの親切なタイ人のお兄ちゃんに聞いてみたが、彼も英語は苦手らしい。タイ語の申請用紙と付き合わせて、「これ何?」と聞こうと思ったら、後ろから欧米人ぽいお姉さんが「What is your job?」って声をかけてくれた。「うん?」。ああ、「職業」ね。「Managing Director」だ。これで申請用紙は全部埋まった。申請に必要なそのほかの書類は優秀なゼミの後輩の指示通り、日本でコピーして持ってきている。顔写真もバッチリだ。そして、ほどなくして僕の順番が回ってきた。
 受付してくれたのは中年のおじさん職員。僕はにっこり笑って「サワデカッープ」とタイ語で挨拶して、書類を差し出す。おじさんは手際よく、それをチェックすると、一言。「ホテルの予約票とエアチケットを見せろ」と言ってきた。僕は日帰りだからホテルは予約していないと伝えると、「じゃあ、エアチケットだけでいい」とのこと。「いや、エアチケットを取るために、ビザを申請するのと違うの?」と返事すると。「とにかく、往復のエアチケットがないと、受付できない。あとは大丈夫だから、エアチケットを持ってきたら申請を受け付ける。はい、次の人!」とピシャリとやられちゃった。
 ありゃまあ。そんなん聞いてないけど、まあ、いいか。ホテルにチェックインして、ホテルでチケットを取ってもらおう。僕は大使館を出て、タクシーを拾い、いつもバンコクで滞在しているコンラッドホテルに向かった。チェックインして、荷物を置いて、身軽になり、コンシェルジェにミャンマーまでのエアチケットを購入したい旨、伝えた。そして、ホテルにある旅行会社へ。少し小太りのおばさんがにっこり笑って応対してくれた。「いつ出発ですか?目的地は?」と聞かれ、「ミャンマーに、28日の水曜日ね。木曜日の朝にはバンコクから日本に帰らないといけないので、日帰りで」とオーダー。「ヤンゴンでいいですね?」と聞かれ、「うん?それどこ? ダウェーでいいよ。近いでしょ」と言うと「ダウェーには飛行機は飛んでいない」とのこと。そうなんだ、まあどこでもいいや。それでお願い。と返事すると、「ビザは?」って聞いてきた。「いや、ビザの申請に今大使館に行ってきたら、エアチケットを持ってこい!」って言われたんだと言うと、「ビザがないと、発券できない」と彼女は言う。まじか!「どう言うこっちゃ!」。僕の英語力が拙かったのか、ちょっとすったもんだあったけど、結局、エアチケットは出ないけど、予約ならできる。それを持って、ビザを申請し、それを持ってくれば発券してくれると言うことで、決着した。
 結構、疲れた。彼女は予約票みたいなのをプリントアウトしてくれて、手渡してくれた。そして、「急いで!早く大使館へ行け!」と盛んに急かす。「はい、はい、ありがとう。コップンカープ」と僕はホテルを後に、タクシーで大使館に向かった。

まさかの閉館。重い鉄のドアでシャットアウト!

 大使館に戻ると、すでに長蛇の列は消えていた。そして、なんと入口が閉まってる!まじか。鉄製のグリーンのドアががっちり閉まっていて、中に入れない。あー、旅行会社のおばさんが急げ!って行ってた意味がようやくわかった。大使館のビザ申請受付は午前中で終了するんだった!再び、目の前が真っ暗になった。どーしよう。明日は朝からモーターショーの関係者とプレス専用の公開日でずっと取材だし、タイトヨタの50周年記念セレモニーと友山さんのプレゼンもある。そのためにバンコクに来たのだ。そして、水曜日の1日だけがフリーで、木曜日の朝には帰国しなければいけない。だから、今日、ビザを申請して受け取れないと、僕はミャンマーにいけない。せっかく、ここまでなんとかなってたのに。痛恨であった。まじか!
 何か方法はないのか?とドアの前で立ちすくんでいると、ちょっとだけ鉄のドアが開いて、中から人が出てきた。「なんだ、開いてるじゃん」。僕はとっさに、出てきた人と入れ違うように、中に侵入した。
 室内は最初に来た時の賑やかさはなく、シーンとしている。ツーリスト向けの窓口は全部閉まっているが、タイ人向けの窓口が一つ、まだオープンしていて、まだ数人の人が受付待ちをしていた。僕はそこに、一か八かで、並んでみた。しかし、結果はNG。「明日の朝に出直してこい」の一点張りだった。これはどうしたら、いいんだろう。僕は外務省に勤めるゼミの後輩の貴島嬢に電話して、事情を説明して指示を仰ぐ。

とにかく粘るしか他に方法はない

  彼女曰く「公務だったら、日本の大使館から電話して、出してくれ!と要請できるんですが、宮崎さんの場合は無理ですね。ここはもう、粘るしかないです。ひたすら粘ってください」。なるほど、粘るんだ。ゴネるんじゃなくて、粘るのね。まあ、それが外交の奥義っちゃ、奥義かもね?
 僕が電話している間にも、僕と同じく、受付時間に遅れて申請に来た、多分イギリス人だと思う若者が流暢かつ聞き取りやすい英語で、「とにかく、今日必要なんだ!」と受付のミャンマー人のお姉さんに訴えている。しかし、お姉さんも負けじと流暢な英語で応戦。イギリス人のお兄ちゃんもあの手この手で攻め続けていたが、この英緬戦争の最後はイギリスの一方的な敗戦で決着。がっくり肩を落として、彼は去っていった。
 このやり取りを聞いていて、「これはいくら説得しても、無理だ!」と悟った。理屈では勝てない。かくなる上は、英語がよくわからないと言う設定で、粘るしかない。作戦は決まった。「VISA--I need VISA」僕はうめき声みたいな小さな声で彼女に攻め寄った。しかし、彼女はこれを完全に無視。せっせと申請書類の整理を始めた。もはや、もうダメか!と思った時、目の前をあのおじさん、午前中に受付をしてくれたおじさんが通りかかった。僕はとっさに彼を呼び止める。「Hello, Mr. I have come back! with air ticket」。どうやら、彼は僕の顔を覚えてくれえたようで、立ち止まって、話を聞いてくれた。「あなたは、エアチケットさえ、持ってくれば申請を受け付けるって言いましたよね。ほら、僕は持って帰ってきた。僕はあなたの国に行きたいんです。日本からわざわざきたんです。でも、仕事の都合で、申請できる時間は今日だけ。僕には今日しかないんです。明日じゃダメなんです」。こう言う時は、クレーム口調ではなく、小さな声で、情に訴える。ここはそれで行くしかない。

先に喋ったら負ける!ひたすら沈黙に耐えるのみ

 おじさんは僕の陳情に頷いて、彼女に「受付てやれ!」みたいなことをビルマ語で言ってくれたようだ。僕の涙ながらの訴えはおじさんの心を掴み、動かしたようだ。
 しかし、彼女の心は1ミリも動いていなかった。おじさんの方を見ることもなく、ひたすら手元の書類整理を続けている。すると、なんと!、おじさんは彼女の横に立ち、黙って彼女の書類整理を手伝い始めたのだ。
 なんとも言えない、沈黙の時間が続いた。二人のミャンマー人の大使館職員が僕の目の前で黙々と書類整理をしている。僕はカウンター越しに、立って、ただそれを眺めている。実に奇妙な光景が繰り広げられていた。
 こう言う場合は、下手なことを喋らない方がいい。昔、営業マンだった経験から、僕はそのことを実体験で知っていた。沈黙に負けて、口を開いた方が負けになると。
 どれくらい時間が経ったのだろう。当時、facebookに投稿したコメントを見ると、1時間ほど粘ったと書いているが、まさか流石に1時間も耐えられないだろう。ただ、相当長く沈黙の持久戦が続いたことは確かだ。
 そして、この戦いはおじさんの一言で終結する。「パスポートをよこせ!1260バーツを払え!」。僕はこの1260バーツという金額には覚えがあった。エクスプレスビザの手数料として記憶していたのだ。
 やったー!。おじさんにパスポートと書類を渡し、お金を払うと、おじさんは黄色い紙にバンバンとスタンプをついて、僕に手渡してくれた。「今日の15時30分に、これを持ってここに戻ってこい」と告げて、おじさんはその場を立ち去っていった。お姉さんは相変わらず、書類を整理していた。

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いざ、ミャンマーへ!

 その時にもらった黄色い紙は写真におさめているはずだが、どうしても見つからず。掲載している写真は翌年、ヤンゴンに行く時にバンコクのミャンマー大使館で取得したものである。
 この紙を受け取り、再び、貴島嬢に電話して、報告。勝利を喜び合った。そして、その数時間後に無事、ビザのスタンプが押してあるパスポートを返してもらい、ホテルに戻って、正式にエアチケットも発券してもらう。
 これが今も一部の友人の中で語り継がれている、ミャンマー大使館立て籠り事件の顛末である。この日の夕方、友山さんたちとも合流。美味しいタイ料理をご馳走になり、とても楽しい夜だった。首都高ガス欠から始まる一連の事件は格好の酒の肴になった。
 そして、無事、翌日のバンコクモーターショーでの仕事も完了し、3月28日、僕はヤンゴンへと旅立ったのである。その初訪問の時のことは、すでに「#1 黄金の国に上陸。コロンブスの心境」「#2 ヤンゴンで糖尿男に会った」で書いている。なんだか、「スターウォーズ」みたいな構成になったが、ご興味のある方はもう一度、読み返していただきたい。
 これだけ苦労して、やっと行けたミャンマーだからこそ、初訪問は感動的で格別なものとなったのだった。

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