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#8 ミャンマー大使館立て籠もり事件:前編

 さて、いよいよバンコクへ出発!と行きたいところであるが、どっこい、僕の人生はそんなに簡単ではない。すでに多くの人がご存知と思うが、僕の人生は落とし穴だらけ。まさかと思う、いろんな事件が起こる。
 2012年3月25日、日曜日。バンコクに出発する当日。僕は品川のオフィスで例によって猛烈に仕事に追われていた。何の仕事に追われていたかは覚えていないが、当時は今と違って猛烈に働いていた時期だから、きっと相当大変だったんだと思う(笑)。
 バンコク行きの飛行機の出発時間は深夜の24時過ぎ。羽田発のタイ航空だ。羽田空港には22時までに到着すればいい。カメラなどの撮影機材はすべて揃っている。あとはクルマで横浜の自宅に帰り、服などの荷物をパッキングして、クルマで空港に向かえばOKだから、逆算すると19時くらいに品川オフィスを出発すれば大丈夫。あとは寝ている間にバンコクに到着。そこからミャンマー大使館に行って、ビザを申請。ビザは15時に発給されるみたいだから、それを受け取って、ホテルに戻り、名古屋から到着するトヨタ自動車の皆さんと合流する。これが僕のプランだった。
 だから、僕は19時ギリギリまで仕事をして、オフィスに停めていたクルマに飛び乗って、一路、横浜の自宅を目指した。しかし、ここにまさかの落とし穴が待ち受けていた!

首都高速でまさかのガス欠

 その日、僕が品川オフィスに乗ってきていたクルマは真っ赤なマツダロードスターNB1600cc。2007年6月にモリゾウこと豊田章男さんがトヨタの伝説のマスタードライバー成瀬弘さん(故人)をはじめ、トヨタのテストドライバー、メカニックの皆さんと初参戦したニュルブルクリンク24時間耐久レースの応援に行った時、スポーツカーに魅了され、それまで乗っていた2代目プリウスを売却して購入した中古のオープンスポーツカーだ。
 ただ、2009年に豊田さんがトヨタの社長に就任され、そのお祝いとして、三代目プリウスを購入したため、普段の通勤にはプリウスを使用。当時、ロードスターはセカンドカーとして、時々、気分転換に乗る程度だった。
 しかし、この年の1月にプリウスPHVが市販されることになり、仕事の都合上、必要に迫られてPHVを購入(僕は友山さんと喧嘩した時の仲直りの証として1999年に初代プリウスを購入以来、PHVまで4代を乗り継いだ。購入動機はいつも「仕事上、必要に迫られて」だった笑)。それに伴い、2週間ほど前の3月10日に三代目プリウスを中古車買取店に売却し、PHVが納車されるまではずっとロードスターで通勤していた。
 みなさんご存知のように、プリウスはめちゃくちゃ燃費が良いので、ガソリンの心配なんて必要がないクルマだ。しかし、ロードスターはそうはいかない。そうなのだ。僕はプリウスに乗ってる感覚でロードスターに2週間も乗っていたのだ。
 悲劇は当然のように起こった。芝浦から首都高速1号横浜線にのり、夜風に当たりながら高速道路を快調にぶっ飛ばし、川崎の大師ICを過ぎたあたりで、いきなりエンジンの出力が低下。「おや、おや、あれ、あれ?」。慌てて左側車線の路肩にクルマを寄せたところで、プスン、プスンとなってエンジン停止。まさかの、ガス欠だった。まじか!

高速道路の側壁に腰掛けて、JAFの救援車両を待つ

 もし、このクルマがプリウスだったら、G-BOOKのオペレーターサービスを使って、位置情報を確認してもらい現場にJAFの救援車両を手配してもらえるところだが、ロードスターにはナビすら付いていない。そもそも、プリウスだったらガス欠なんてしていない。
 JAFに携帯電話から連絡し、だいたいの現在地を伝える。JAFのオペレーター曰く「路肩に停車していると、後続車に追突される危険があります。すぐにクルマから出て、進行方向に10メートル以上離れた場所で待っていてください」とのこと。すぐに、指示に従い、外に出て救援車両を待つことに。しかし、これがめちゃ怖い。
 僕は自分のクルマをバリアにして、10メートル以上離れた路肩の側壁に腰掛けて、待っていた。その目の前をものすごいスピードでクルマが駆け抜けていく。大型のトラックなんて通過しようものなら、風圧がすごい!そして揺れる揺れる。もう、大丈夫か!ってくらい道路が揺れる。
 もうすっかり日が暮れていて、遠くに見えてたヘッドライトが見る見る間に近づいてくる。JAFのオペレーターの指示通り、ハザードランプを点滅させ、クルマの後方では発煙筒がピンクの炎を発しながら煙を吹き出している。「わかってるよな!見えてるよな!このクルマは止まってるし。間違っても、突っ込んでくるなよ!」もう、ハラハラである。
 そして、高速道路からは羽田空港の光がよく見える。着陸する飛行機の灯りも飛び立つ灯りも。「時間は大丈夫か?まさか、飛行機に乗れないなんてことはないよな!国内線に乗り遅れたことは何度かあるけど、国際線は経験がない。振替とかできるのかな?そもそも、明朝、バンコクに着かないとビザの申請をする時間がなくなる。ミャンマーに行けなくなる」。もう、この時点ではミャンマーどころか、バンコク行きもかなり危うくなっていた。「友山さんの発表は27日の火曜日だけど、そこにいなかったら、タダでは済まないかも?」。心理的にも追い詰められてきた。

バンコクに行くぜよ!

 1時間近く、高速道路で待った。そして、JAFの救援車両が到着。少し先の緊急避難路側帯まで牽引してもらい、そこでガソリンを少しだけ給油してもらう。JAFのお兄ちゃん曰く「いやー間に合ってよかったです。もし、警察に通報されて、先にパトカーが来てたら、違反切符切られたりして、面倒なことになってましたよ」。そんなのシャレにならない。もう勘弁である。
 この時点で20時は大幅に過ぎている。そのあと、浜川崎で高速を降りて、ガソリンスタンドに直行。満タンに給油して自宅に帰ったら、21時過ぎ。大急ぎで、荷造りして羽田空港へ。空港に着いたのは、出発の1時間前の23時だった。
 今でこそ、プライオリティレーンも使えるし、羽田だったら空港がコンパクトだから、連絡さえしておけば、深夜便なら45分前でもなんとかなると思っているけど、当時はまだ海外渡航にウブだったので、もう生きた心地ではなかった。
 しかし、無事、飛行機にも間に合い、翌朝、現地時間の朝5時過ぎにバンコクに到着。6時過ぎにはイミグレーションを通過して、税関の外に出ることができた。

大使館って、英語でなんて言うんだっけ?

 あとはタクシーでミャンマー大使館に行くだけである。ここで、またまた事件が起こった!「ミャンマー大使館って、英語でなんて言うのだう?」。はなから、ミャンマー大使館へは空港からタクシーで行くつもりだったので、大使館の住所とかメモしていない。だってドライバーに「ミャンマー大使館まで行って!」と言えば済むことだから。どっこい、タイ人のドライバーに日本語で言っても通じるはずはなく、せめて英語で伝えなければ理解されない。そんな当たり前のことを、いま気がついたのであった。
 これは地味に焦った。「あれあれあれ?」思い出せない。今ならスマホがあるので、「はい、Shiri!」とか「オッケー、Google!」なんて話しかければ一発でわかることだが、当時は僕はまだガラケーの携帯電話を愛用していた。まじかー!
 しかし、この時、僕はとっさに、馴染みのマッサージ嬢にメールした。「今、バンコクです。これからミャンマー大使館に行きます。で、大使館って英語でなんて言うか調べてくれない? お土産にコブミカンの葉っぱを買って帰ります」と。以前、マッサージをしてもらっている時、バンコクの話になり、「今度、バンコクに行く機会があったら、コブミカンの葉っぱを買ってきてください。グリーンカレー作りたいんで」と話していたのを思い出したのだ。日本との時差は2時間。もうそろそろ起きててくれ!
 すると、すぐにメールの返事がきた。「大使館はEmbassyです。ミャンマー大使館はBTSのSurasakって駅から徒歩みたいです」。コブミカンの葉っぱは偉大だ。そうか、BTSで行けるんだ。まだ、時間も早いし、せっかくだから電車で行こう。僕は両替を済まし、電車の駅を探した。実はここにもお約束のちょっとした落とし穴が潜んでいた。

ミャンマー大使館ってどこよ?

 バンコク・スワンナブーム国際空港からミャンマー大使館までは、まずはSRTET City Lineに乗って、Phaya  Thaiまで行って、BTSに乗換えて、Siamまで行く。そして、Siamで同じくBTSのSilom Lineに乗換えて、4駅でSurasakに到着。そこからは徒歩で4分(約400メートル)の場所にミャンマー大使館がある。以上はこの記事を書いてる2020年6月3日にGoogleで調べた結果だ。空港から電車を使った場合の所要時間は59分と表示されている。なんとも、便利な世の中になったものだ。
 しかし、8年前の僕はスマホをまだ持っていない。駅で路線図を調べて、目的地を目指す。幸い時間はまだたっぷりある。電車に乗ったのは確か、7時過ぎだったと思う。まだ早朝なので、車内はめっちゃ空いてて、快適だ。しかし、Siamについた時刻は8時くらいだった。
 バンコクは東京と負けず劣らず、通勤ラッシュの激しい都市である。そして、Siamは日本で言えば、銀座か大手町に当たる乗降客の多い駅。そんな通勤客でごった返すホームで現地3泊とは言え、それなりの大きさのスーツケースと一眼レフが2台とレンズが3本入った大きなカメラバッグを抱えた旅行者が電車を乗り換えようというのである。それは無茶というもの。整列乗車なんて平和ボケしたルールはないし、それは大変だった。タイ人ビジネスマンは旅行者に容赦なんてしてくれない。数台、電車を見送って、やっと乗車できた。でも、ぎゅうぎゅう詰めで、大ひんしゅく。
 やっとのことで、Surasakに降り立ったものの、そこからがまた大変。道ゆく人にミャンマー大使館ってどこ?って聞くものの、ほとんどの人は知らない。そりゃそうだよな、品川の駅あたりで、ミャンマー大使館の場所を聞かれても、答えられる日本人はそうそういないよな。この点でタイの人に罪はない。
 そして、これは東南アジアの人に共通することだが、道案内がめちゃくちゃ下手である。そして、悪気がなく、間違った道をまことしやかに教えてくれる。結局、駅から4分のところを1時間近く彷徨う。しかも、時刻はゆうに9時を回り、10時近くになってたので、外はもう暑い。相当な体力を失い、ヘトヘトになって、ミャンマー大使館に到着。ビザの申請窓口に通じる門に回れ!と指示されて、門まで行って、びっくり。そこにはビザを申請する人で、長蛇の列ができていた。それはまるで映画「シンドラーのリスト」みたいだと、映画を観てもいないのにそう思った。

(続く)


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