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#13 まさかの強制送還(前編)

2012年5月28日の早朝。僕はオーリーと二人、バンコク・スワンナプーム空港にあるタイ航空のロイヤル・オーキッド・ラウンジにいた。もちろん、ここまでゆったりビジネスクラスで来たわけではない。前年に日本ユニシスの広報部長主宰のワインを飲む会が名古屋であり、そこで知り合った全日空の営業部長さんからのプレゼントで1年間のANAプラチナ・ステイタス体験のインビテーションをいただいた。それを試しに使ってみていたのだ。
 ヤンゴン行きのTGが出発するまでは2時間近くある。生まれて初めて入った航空会社のラウンジには食べ物や飲み物が豊富にあり、テンションが上がる。僕たちは早朝にも関わらず、必要以上にビールやコーヒーを飲み、用意されていたタイ料理の数々を頬張っていた。しかし、ひと通り味見をしたあとはすぐに飽きて、各々、ソファーでゆっくり過ごしていた。

創業15周年・50歳の節目

 振り返れば、3月末にヤンゴンから帰国してからは怒涛の2ヶ月だった。帰国早々に、親父や税理士の上阪さんたちと九州を旅行。さらにGWにはガズームラの取材で東海4県と長野をドライブしたのはご存知の通り。その後、5月12日からは2泊3日で福島へ。リクルート時代の上司である土屋洋さんの呼びかけで企画した福島の震災復興ゴルフコンペに親父と二人で参加し、ついでに裏磐梯をドライブしてきた。
 また、4月から5月にかけては、高校時代の友人の送別会、大学の野球部時代のOB会、リクルートの関西広告事業部のカラオケ飲み会、採用開発部OB会に出席。品川オフィスでも、広大福山高校女子会、採用開発部庶務会の2つのイベントを開催し、シェフとして料理の腕を振るっていた。
 なんだか、矢継ぎ早に、それまでの49年間の人生でお世話になった人にまとめて会っていたような勢いだ。
 確かに、この時期、50歳の誕生日を前にして、僕は人生に大きな転換期にあることをめちゃくちゃ意識していた節がある。「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」。facebookではこの時期、「創業15周年記念:すべてはここから始まった」と題して、創業期のエピソードを連載したりしている。人生の振り返り&棚卸しモードだったのは間違いない(笑)。
 また、会社の資金繰りでも奔走していて、メインバンクから無謀にも2000万円の新規融資を受けただけでなく、品川オフィスを売却して、埋蔵金を得ている。そこでやめておけばよかったのだが、そのお金を元手に、渋谷の新築マンションを購入している。このマンション購入は余分だったと、いまではとても後悔している(笑)。
 そして、出発前の5月26日に品川のマンションを引き払い、荷物を一旦、横浜の自宅に移動する引越しを敢行。さらに、出発当日の昼間はサポート・スポンサーをやっているオービック・シーガルズのパールボウル準決勝・シルバースターズ戦の応援に横浜スタジアムまで足を運び、熱く声援を送っている。
 そりゃあ、疲れるはずである。しかし、生来、M気質の僕にとっては、この疲労感が気持ちいい。僕はラウンジのソファーでくつろぎながら、なんとも言えない充実感に浸っていた。同時にこれから始まる、新しい人生に期待を寄せ、ワクワクしながら。その思いの先には、数時間後に再び降り立つ、ミャンマーの地があった。

好事魔多し

 しかし、こういう充実感を感じている時に決まって落とし穴にはまるのが我が人生である。その昔、「雀鬼」と呼ばれた麻雀界の巨匠・桜井章一氏の名言に「好調はたまたま、不調こそ人生」という言葉がある。僕の人生はまさにその通り。これは余談だが、つい先日、リクルートの広報室かもめ編集室のOB会があり、その際に、僕がリクルートの内定者時代に書いた自己PRコメントを見て笑った。そこには「僕はあまりつきのあるほうがではない。こんな事になれば悲惨だなと思うと、いつもそういう目にあう。...」と書いていた。どうやら、学生時代からそういう星の下に生まれてきたという自覚があったようだ。
 ただ、若い頃は「こんな目にあったら悲惨だな」と思うとそうなる。つまりは想定通りの落とし穴に自らはまっていったようだが、大人になると、それだけにとどまらない。想定もしないような落とし穴が次々に用意されている。どうやら、これが我が人生のようだ。繰り返しになるが「好調はたまたま、不調こそ人生」なのである。
 さて、このラウンジでどんな落とし穴にはまったのか?それはたわいもないことだったが、ボディブローのように、地味だけど、かなりダメージが残る落とし穴だった。なんと、ノートパソコンの電源アダプタを忘れてきていることに気がついたのだ。

落とし穴は一つではない

 出発前にガズームラマガジンの特集ページの原稿はすべて入稿してきた。明日の夕方には初校が東京から送られてくる。僕はそれをチェックして赤字を入れて戻さなければいけない。そして、取材対象者やクライアントに提出。僕はヤンゴン滞在中に、そんなやりとりと他のページの記事を作成する予定でいた。電源アダプタがなければ、パソコンの充電ができないので、それらが一切できなくなる。そうすると進行が1週間遅れるので、致命的である。クライアントや取材対象者、さらにがデザイナーや印刷会社など多くの人に迷惑がかかる。「なんでこんな時にミャンマーに行ってるんですか!」と方々でブーイングが出ることだろう。これは自慢することではないが、僕の進行はただでさえ綱渡り、いつもギリギリの進行なのである。1週間作業がストップなんてことは致命的である。
 果たして、ヤンゴンにマックのアダプタは売ってるのだろうか?アップルストアはあるのか?その可能性は極めて低い。僕はすぐにラウンジを飛び出し、空港の中でMacBook proの電源アダプタを売ってるお店を探しに出た。確か、空港内にiPhoneとか売ってたお店があったはずだ。
 しかし、残念ながら、そのお店にもMacBook proに電源アダプタは売っていなかった。仕方なく、iPadを購入。まあ、これがあればなんとかなるだろう。結構な出費になったが、これも我が人生。仕方がない。
 そうこうしているうちに、搭乗時間ギリギリになり、オーリーと一緒に慌てて搭乗口に向かう。そして、なんとか飛行機に飛び乗り、一路、ヤンゴンへ。「いやー、バンコクで気がついてよかったよ。危ない、危ない」。僕は機内で朝食のサンドイッチを頬張りながら、オーリーと笑い合った。
 「さあ、行くぜ!ヤンゴン。待ってろよ」。しかし、ヤンゴンではもっと大きな落とし穴が待っていた。人生初の強制送還である。(続く)
 

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