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#10 阿蘇・小国へ。オーリーを誘え!

 2012年3月31日。2日前の夕方にバンコクから帰国した僕は熊本県の小国に来ていた。九州のほぼ中央。雄大な阿蘇の北部の外輪山に位置する小国町はその昔、肥後国(現在の熊本県)と筑後国(福岡県)、豊後国(大分県)の3つの国が交じり合う交通の要地であり、「三後の要」と呼ばれていた。山奥にありながら、「行き止まり」の山村とは違う、オープンな雰囲気がある素敵な町である。
 「インターネットとクルマがマチとムラを結ぶ」というコンセプトで、リクルートの同期入社の養父信夫くんに手伝ってもらって、2008年に立ち上げたトヨタ自動車の体験型ドライブ「Gazoo Mura(ガズームラ)」で最初に協力してもらった3つのムラの一つが小国である(残り2つは安心院と蒲江)。その縁もあって、僕は何度もこの地を訪れている。
 この日は旧知の北里香代さんが運営されていた商家民泊「ササ蔵ブ」に宿泊。夕食の後、香代さんと二人で、オーリーこと穴井喜織くんが経営するBar「Orange」に行き、カウンターでウイスキーを飲みながら、ミャンマーの話で大いに盛り上がった。その時にオーリーが一言、「なんか、ビルマの竪琴じゃなくて、ビルマの何事ですね」と。これがネクスト・ワン15周年記念プロジェクト「ビルマのナニゴト?」の名前が決まった瞬間である。

オーリーを連れて、ヤンゴンへ再び

 そして、僕は何を思ったか、オーリーに「ピザ焼けるやろ?」と聞く。「まあ、ピザくらい何とかなるっしょ」「そうか、ミャンマーでピザ焼かないか?」「えっ?」。
 初めてのミャンマー訪問から帰国して、2日目、僕はすでにヤンゴンでピザ屋をオープンすることを決意していた。そして、この夜、目の前に、うってつけの人材がいることに気がついたのだ。
 当時は今と違って、バリバリに働いていた。確かに、前年の東日本大震災の影響で、トヨタ自動車のG-BOOK/G-Linkのサービスガイドの仕事以外は吹っ飛んでなくなっていたとはいえ、新しくプルデンシャル生命の仕事が始まりつつあったし、2009年に大政奉還していたGazoo Muraマガジンの仕事も翌月の5月から編集長復帰が決まっていた。僕が自分でミャンマーに移住してピザ屋をやることは現実的ではなかった。
 「一年の半分だけでもいいぞ。一緒にヤンゴンでピザ屋をやろう。僕も半年くらいならヤンゴンに住めるから。交代で店長をやろう」。突然のオファーにオーリーは目を丸くしている。
 「いや、ちょっと待ってくださいよ」。戸惑うオーリーに「じゃあ、今度、一緒にミャンマーに行こう。旅費も宿泊費も全部、僕が出すから」と酔っ払った勢いもあって、半ば強引にオーリーをスカウトした。隣に座って話を聞いていた香代さんは話の急展開に驚きながらも、「じゃあ、私も行く。連れってって!」と逆オファーがあったが「すいません、観光で行くんじゃなくて、これはビジネスの視察なんで」と断った。酒の席での会話だが、僕は大真面目だったのである。

ビザの申請だけは、ちゃんとやれよ!

 実はこのエピソードをnoteに書くにあたり、「Bar Orangeに香代さんと飲みに行ってオーリーを口説いたこと」は鮮明に覚えていたが、「いつ、誰と?そもそもなんで小国に行っていたのか?」を全く覚えておらず、すごく困った。スケジュール帳を見ても一切記載がない。2012年3月29日の15時45分にTG676で成田に帰国。30日に品川のマンション売却の件で野村不動産と打ち合わせ。それ以降、4月3日朝10時にカイロプラテックの予約までのスケジュールが空白だったのだ。この間のfacebookを見ても投稿がない。
 しかし、冒頭の写真が見つかり、すべての謎が解けた。写っているのはうちのおとぼけ親父(当時76歳)と香代さんの旦那さん。この時は親父と税理士の上阪淳さん、そして上阪さんのアシスタントのタニ子ちゃんと九州2泊3日の日程で旅行していたのだ。当初はデザイナーやカメラマンなどいつもお世話になっているスタッフの皆さんと旅行する予定をしていたが、年度末で忙しいのと、このツアーは旅費の一部を各自で負担する会費制にしたことが災いし、参加者がいなかった(笑)。それで、仕方なく、親父を誘い、会費制を了解してくれた上阪さんたちと4人で旅することになったのだ。
 関係者にヒアリングした結果、翌日は1日遅れで合流した上阪さんが加わり、4人揃って、安心院の中山ミヤ子さんの農家民泊「舟板昔ばなしの家」に宿泊し、囲炉裡を囲んで、ミャンマー話で盛り上がった。そして、その帰り道に、星野村の後藤富美子さんの家に寄って帰京したようだ。
 ちなみに、中山みや子さんと後藤富美子さんはGazoo Muraで大変お世話になっていたお母さんたち。二人にはこの時以来、ミャンマーに興味を持っていただき、2020年の秋に二人を連れてミャンマーを旅することになっていたが、新型コロナで延期になっている。本当に残念である。
 なお、この九州旅行から帰って、改めてオーリーに連絡した。「あの話、マジだったんですね?」オーリーは驚いていたが、ヤンゴン視察には同意してくれた。僕は直近の経験から「くれぐれも、ビザの取得はちゃんとやっとけよ。大変なことになるから」と釘を刺したのは言うまでもない。
 そして、再び、事件は起こるのであった。

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