ヒステリックな女教師の思い出③

※ 作者の自己紹介等:自己紹介とnoteの主な記事
※ 最初から読みたい方は、ヒステリックな女教師の思い出①から読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→ヒステリックな女教師の思い出②

 当日、会議等も入らなかったので年休(公務員なので時間休が取れる)をとって4時半頃学校を出ることができた。
 校門を出るとJRの駅まで歩いて7~8分くらいである。P高校の時はバス停に行くまでに山道を下って15分以上かかり、バス停でバスを待ち、10分以上バスに乗ってやっと私鉄の駅につくという按配だったから、それに比べるとずいぶんと便利なところにある。歩く道も山道ではなく商店街だ。
 異動によって自分が勤める学校は便利な場所になったのだが、X県の県立高校の様子は以前に比べて好ましくない方向に変化した面もある。
 例えば、県の通達によって職員会議で多数決をとってはいけないことになった。これによって、以前のように職員会議でいろいろな先生の意見を聞く機会が激減したし、教員が学校運営に主体的にかかわっていこうという姿勢は以前ほど積極的ではなくなった。9年前のあの西田君の対教師暴力に関する職員会議は、本当にいろいろな先生の意見を聞くことができて勉強になったが、現在ではそんなことはない。
 その代わりなのかどうかはわからないが、職員会議で多数決をとらなくなったのとほぼ同時期に自己申告書や校長面接という制度ができた。もちろん校長のキャラクターや能力にもよるが、従来型の職員会議がなくなったことと差し引きして考えるならば、密室で管理職と教員だけで話をすることがどれだけ学校運営に役に立っているのかどうも疑問である。
 ところで、今日は軽部先生にずいぶんと久しぶりに会うのだけど、いったい何の話をするのか、相変わらず見当がつかない。
 現在の勤務校に関することなら今の学校の管理職が話をするはずだ。8年以上前のP高校でのことについて、こんなに時間が経ってから何か言いたいことがあるのだろうか。8年以上も言いたいことを我慢していて、今になってついに言うことにしたのだろうか。それはしかし、あり得ない話のような気がする。
 道を歩いている時も電車に乗っている時も、考えた。と言うか、考える手がかりが全然ないので考えたとは言えないのかもしれないが、とにかく、頭の中がその問いで占められていた。

※ 次の話→ヒステリックな女教師の思い出④

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