ヒステリックな女教師の思い出⑩

※ 作者の自己紹介等:自己紹介とnoteの主な記事
※ 最初から読みたい方は、ヒステリックな女教師の思い出①から読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→ヒステリックな女教師の思い出⑨

 店に入るといつものように、「うっちっち、今日も大登場」と言って、手をぶらぶらさせる「気違いのポーズ」をやった。どうも、酔っぱらってなくてもこの店に入るだけでうれしくなり、はしゃぎたくなる。心が疲れているのだろうか。
 Aさんというお客さんがぼくの様子を見て笑い、「今日も絶好調ですね」と言った。Aさんは、30歳くらいのかっこいい独身男性だ。
 それに対しぼくは「いや、心が疲れているから、こんな変なポーズをせずにはいられないんだ」と言いそうになったがそこはこらえ、「Aっちにそう言われると照れるのよ。うっちっち」と返し、そして「ぼくのこのポーズかっこいいでしょう」と言ったらRちゃんというアルバイトの女の子が「かっこいい」と言ったが、その言い方は、いつものわざとらしい言い方だった。
 Rちゃんは25歳くらいのよく笑う、面白くて可愛い女の子である。
 「今の言い方はちょっとわざとらしかったなあ」と言うとRちゃんは「ばれたか」と言ってニコニコしていた。
 それに対して、「Rちゃんはいつもにやけているのがいいところだねえ」と言ったら、「『にやける』じゃなくて『笑顔がかわいいね』とか言ってくださいよ」と言われた。
 「うーん、『にやける』という表現がよくないのかなあ。ところで、Rちゃんも本を書くといいよ。『最強のスナックの接客術』という題名がよさそうかな。『お客さんが変なポーズをやったらすかさず〔かっこいい〕と言う。そうすれば、お客さんは喜び、常連となること間違えなし』なかなかいい教訓でしょう。こういう内容の本を書いたら売れると思うよ」と言ったら「自分でも変なポーズだと認めているんだ」と言われた。
 その時ぼくは、「間髪入れずにこの切りかえしはなかなか素晴らしい。な かなかいい突っ込みだ。スルドイ」と思ったが、くやしいから口に出して言わなかった。
 さらにRちゃんから、「でも、わざとらしい言い方じゃだめなんでしょ」と言われた。
 「でもね、そこは『お客さんは酔っぱらっているので少しくらいわざとらしい言い方でも大丈夫』という教訓を書いておけばいい」とかろうじて切り返すことができた。
 するとRちゃんは、「教訓って言うのかな」「うーん、教訓ねえ」と言いつつ「うひゃひゃ」という感じで喜んで笑い出した。
 「なかなかいい教訓でしょう」としつこく追及したら、Rちゃんは笑いながら例のわざとらしい言い方で「なかなかいい教訓だと思います」と高い声を出して答えた。
 ところで、この「気違いのポーズ」をやるようになってから、相対的には田上ティーチャーに対する「怒りの感情」もコントロールしやすくなっている。
〈なんでこうなんだろう。どういうつながりがあるんだろう〉
 客観的に見ればよくわからない変な現象なのだが、自分としてはなんとなくありがちなことのような感じもする。単なるストレス解消に過ぎないのかもしれないのが、もう少し深いつながりなり仕組みなりがあるような気もする。
 椅子に座り、Rちゃんが出してくれたおしぼりで手を拭いてから、焼酎の水割りを飲んだ。
〈なんだか疲れたなあ〉
 大した仕事をしたわけでもないが、どういうわけだか結構疲れた感じがする。やはり体ではなく心が疲れたのかもしれない。

※ 次の話→ヒステリックな女教師の思い出⑪

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