ワキガ・ライヴズ・マター(腋臭 lives matter)③

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 塾・予備校講師時代
 その後大学院に行き、そしてちゃんと就職せず大学院の頃にアルバイトでやっていた受験産業が本業になりました。
 予備校講師や学習塾講師をして、それで1週間埋まらないと家庭教師もするという状況でしたが、当時は受験産業が儲かっていた時代でそういうフリーターのような勤務形態でも年収約6~700万もらっていて、将来の考えとしては、予備校講師として人気が出たらそれで一生やっていくし、駄目だったら中学・高校の英語の教員免許を持っているので教員試験を受けて学校の先生になるつもりでした。
 この時代は、臭いのことで何か言われることはありませんでした。
 「女性」「長時間」「狭い場所」の三大鬼門にあまり出会わない勤務形態だったと思います。
 予備校は大教室で1週間のうちの90分くらいしか同じ生徒たちと一緒にいません。
 塾の方が教室は狭いのですが、1回の授業が約2時間で同じクラスに行くのは週に1回か二回なので、1週間のうち約2時間または4時間しか同じクラスの生徒と一緒にいません。
 家庭教師が一番生徒に近い距離に長時間いるのですが、女の子を担当するのは1回だけで、それも思春期になっていない小学生でした。
 ですから、ワキガに関しては欠点が目立たない勤務形態でした。
 でも仕事の成果はイマイチで、一応名前の通った大手予備校で教えてはいたのですが、30過ぎになってもあまり人気が出なかったので、教員採用試験を受けることにしました。教員免許を持っていたのが英語だったので、高校・英語で試験を受け、運よく1回の試験で合格できて自分の住んでいた地域のQという自治体の教員になりました。

 洋上研修
 教員になると初任者研修というものがありました。
 研修では、勤務校の中で先輩の話を聞いたり、自治体の研究所に初任者が集められてみんなで課題について討議したりしました。現在では研究授業をしているようですが、当時は研究授業もやらないことが多くけっこうのんびりしていました。
 それ以外に初任者ばかりが集まって宿泊研修を受ける機会もありました。
これには、その自治体で実施しているものと「洋上研修」と呼ばれているものの二種類があり、どちらかを受けることになっていました。自治体で実施しているものはその自治体が所有している地味な宿泊所で受けますが、洋上研修は全国の自治体から参加者が集められ、豪華客船に乗ってそこで研修を受けるというもので、自分は、豪華客船に心惹かれて洋上研修の方にしました。
 今思い出してみても、その研修は全国の学校の先生と知り合いになれて非常に楽しいものでした。また、生涯最高と言っていいくらい、連日豪華な食事を食べることができました。かなりの予算がかかっていたものと思われますが、その後廃止されてしまい今はありません。日教組に対抗して文部省が新人教員の人気を取るためにやっていたような面があったようで、日教組の力が弱まりやる必要がなくなったのでしょうか。
 それと、確かに楽しい研修だったのですがそれで何か実戦的な力が目に見えてつくという感じではなかったので、効果が疑問視され文部省(現在の文部科学省)の予算が厳しくなると真っ先に廃止されるという運命にあったのかもしれません。
 研修の中身は、自分たちでやる研究と、指導主事や講師として招かれたスポーツ選手などの話を聞くのと二本立てでした。研究の方は、テーマを決めて班ごとに話し合った結果をまとめ、最終日に大きな部屋で発表し合いました。
 生活面で一番特徴的だったことは、なんと言っても朝の国旗掲揚だと思います。朝、早起きして甲板に集まって全員整列し、君が代の音楽とともに日の丸がマストの上に掲げられ、みんなで起立して真面目そうな顔をしてそれを見ます。主催者の文部省(当時は文部科学省ではなく文部省だった)としては、ここが一番大切なところだったのかもしれません。
 当時は日教組の力が今よりは強く、日の丸・君が代に対して強力に反対していました。洋上研修は、船の上なので「日の丸は嫌だ」なんて逃げ出すわけにもいきません。もっともまだ初任者なので、そんなにバリバリに組合活動をしている人などもいなかったようで、みんな国旗が上がる様子をちゃんと起立して神妙に眺めていました。

 さて、最終日近くのある日のことです。
 一緒に研修に参加していた女性の教員が「研究発表の話合いが始まるよ」と部屋に呼びに来てくれました。部屋のドアを開けて何か言おうとした時に顔をしかめました。そして「くさい。何このにおい」と言いました。
 それ以来、同じ部屋にいた男性の教員2人からもからかわれるようになりました。
 けっこう執拗にからかうので怒ったら、「悪かった」なんて謝ってくれました。
 洋上研修があった年の翌年の正月にはその先生から年賀状が来て、「筒美さんから怒られたのも懐かしい思い出です」と書いてありました。悪気があるわけではないけど、くさい臭いをかぐのは嫌なのでついついからかいたくなるのだろうなと思いました。
 先天的な障害であることに間違いはないのですが、1次的には本人よりも周りの人が迷惑するものであり、またきちんとした医学的・生理学的な知識がないと先天的な障害ではなく不潔にしているから匂うと考えがちなので、どうしても気軽にからかってはいけない深刻なことだとは思えないのでしょう。いじめをなくすために努力する立場の教員が、他人の先天的な障害をからかったりしてはいけないのですが、「先天的な障害なのだ」という知識の普及がどうも今一つ不十分なのだと思います。
 言われた方は自分の居場所がなくなってしまったようないわく言い難い嫌な気持ちになるのですが、自分が他人に迷惑をかけていることは間違いないので、なかなか「それは言わないで欲しい」と強くお願いしづらい面があります。
 その頃から、「たかがワキガ、されどワキガ」「これはこれで難しい問題なんだな」と意識し始めます。

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