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革命のはじめ方【レッスン25】名誉について『武士道』新渡戸稲造著

『人は名誉をもって生まれる』と武士は語られる。まぁ、そうだろう。武士は農・工・商とは違う。これは身分制度の世の中だから言われることなのだろうか。ましてや我々平民には関係ないのでは・・・。いや、そんなことはない。確かに我々は『名誉』を持っている。
『笑われるぞ』『体面を汚すぞ』『恥ずかしくないか』
やはり現代でも自らの名誉を傷つけるようなことをすれば、自らを貶めるのではないだろうか。これは身分制度の問題ではない。

『名誉』とは名、面目、外聞である。自分自身および自分の立場に伴う義務と特権を重んずることである。
これはどのような立場の人にも当てはまる当然の道理であるはずだ。自分を卑下し、世捨て人の如く、自分がどのように見られようがどうでもよくなってしまった人なら別だが・・・。不名誉は樹の切り傷の如く。時はこれを消さず、かえってそれを大きくする。
名誉とは見栄ではないし、威張るために手に入れるものでもない。武士は富を増やそうとはしない。『徳』それ自身が徳の報酬なのだ。
『富の道が名誉の道ではないことは誰が見てもすぐ解った。だから武士は商売をしなかった。』

※ただ今日では武士と言う身分はないので、そのエッセンスだけを受け取ってください。

『誠』を考えても武士が商売と縁遠いのは明らかである。それゆえに刀を持ち、あらかじめ高い身分を与えられていたのだろう。
しかし基本は『名誉』とは各人がよくその分を尽くすことにある。
今では難しいことではあるが、と前置きするが、武士ならば名誉が得られるなら生命さえ廉価と考えた。
今では公務員も政治家もおカネのことばかり述べている。効率的だとか、おカネがかからない、おカネがかかる、云云かんぬん、そんなことばかり。資本主義はある社会をシステム化して便利にするには役立つが行き過ぎた資本主義は人間社会としての本質を見失う。今は行き過ぎてしまっているのではないのだろうか。各自考えてみてください。

◇◇東京ハバナの理屈の想定外のコーナー◇◇
人の上に立つ者には本当の『名誉』を持ってほしい。私が観るに名誉を汚すことばかりやっているじゃないか。政治家をはじめ彼らはいったい何を考えているのか。彼らはいったい何を得ようとしているのか。きっと仲間内だけでカネや権力が回るシステム維持ゲームを必死でやっているだけなのではないか。『徳』を行うことの本当の報酬は『徳』自身であるはずなのに。


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