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『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』/世文見聞録91【5部作映画談】
「世文見聞録」シーズン2。川口世文と木暮林太郎が「金曜ロードショー」の「インディ・ジョーンズ」シリーズ4作連続放送に気をよくして、第1弾から語っていきます。
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○『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』について
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川口世文:今なら村井国夫と若山弦蔵の吹替というだけで全部許せてしまうけど、公開当時はがっかりした。
木暮林太郎:ショーン・コネリーが出ていたのに? おまえがいう「インディ・ジョーンズが最もジェームズ・ボンドに近づいた時期」はこっちだったんじゃないの?
川口:それは明らかに違うね。キャスティングとか舞台設定とかアクションとか、相変わらず“ボンド風味”が効いてはいるんだけど、少なくとも当時のボンド映画は主人公の若い姿や父親を描こうとはしなかった。
木暮:逆にこれ以降、ハリウッドのアクションシリーズは何かというと“家族”を登場させてくる気がするな。
川口:実際はたった十二歳差だというけど、キャスティング的にはまったく問題ないんだ。父親ヘンリーの描き方も息子との違いがよく出ているし、こういう役回りをあえてコネリーにやらせる意図も悪くなかった。
木暮:じゃあ、いったい何が不満だったんだ?
川口:たぶんシュナイダー博士の描き方なんだろうね。父親の登場と入れ替わるようにして、彼女はナチ側だとわかる──そこまではいい。でも、彼女もナチ信奉者というわけではなく、惹かれているのはあくまで聖杯だ。
木暮:最後に“改心した”のが彼女ではなかったことが、ご不満ってこと?
川口:今は何とも思わないけど、当時はオジサン四人で“颯爽”と去っていく最後がイヤだった。シリーズ全体のラストがこれなの?──って感じ。
木暮:4作目がないと思っていたら確かにそうかもな。おれはおれで、この作品が1作目の焼き直しに見えてしまうことが気になったな。そもそも聖杯の探索は父親にとっての「人生最大の冒険」だからさ、必然的にその息子は脇に回らざるを得ない。とはいえ、そうもいかないから話の構造が根本的に“ねじれて”くる。
川口:完全に主役がショーン・コネリーで、彼がかつての息子と同じ冒険をする、というほうが話はシンプルだけど、映画としてまったく面白くない。
木暮:そのねじれのせいか、中盤は、前回おれがいったような“スラップスティック映画”になってしまった。
川口:そうそう、そこもセリフや展開は“うまい”と思いつつ、“期待していたのはこれじゃない”と感じた。
木暮:結局、どうすればよかったんだろう?
川口:そういわれると辛い。よく整理して考えるとやっぱりヘンリーは、本来ヒロインがやるべき立ち位置にいたと思うんだよね。つまり、ショーン・コネリーに“ボンドガールの立ち位置”をやらせたことにいちばん抵抗があったのかもしれないな。
木暮:当のコネリーは楽しそうにやっていたけどな。終盤で彼が撃たれたのは“ワルサー”じゃなかったか?
川口:そういわれればそうかもしれない。自分が作った“ボンド像”を徹底的に壊して楽しんでいたなら、おれがどうこういえる立場じゃないんだけど(笑)
木暮:もう一つ──リバー・フェニックスが生きていたら、どこかでインディの世代交代が起きた気がした。
川口:ああ……本人は嫌がったかもしれないけど、周りは期待しただろうな。映画史上類のないスタイルの世代交代になったことは間違いない。
木暮:今作冒頭の1912年の話で、“パナマ帽”の男との決着は26年後についたけど、“フェードラ帽”をくれた男が再登場してきたら面白かった。
川口:そうだな、“実の父親”との和解より、インディ自身の“原点”となった男を乗り越える話がよかった。大塚明夫にもまた吹替をやってもらってさ。
木暮:まさに“インディ・ジョーンズ・ビギンズ”!
川口:それってまさに今、ハリウッドのどこかで誰かが考えている企画なんだろうな(笑)
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