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「全力で生きるな。全方向に手を抜きな」って言えてたら。

力を抜くってどういうことか、35年間わからなかった。

何でも全力でやれと、そう教えられて育ちました。お父さんは元甲子園球児。自宅の狭い駐車場にはピッチングマシーンがあり、週末は地元の子らがユニフォームを着て球を打ちにくる、そんなスポ根精神の強い家庭で育ったせいでしょうかね。お父さんの口癖は「才能があってもなくても、全力でチャレンジしろ」でした。

私は、野球がキライです。キライになるしかなかったです。運動神経は下の下。50メートル走を11秒で走り(走るというのかそれは)、球技なんかメンバーの誰にも球を渡されずに終わる私の運動能力は、お母さん、それそのものでした。その上、致命的なことに、決まり事を覚えられない頭でした。ルールってやつが、お経に聞こえるんです。野球を見たってサッカーを見たって、何にも理解できない。

あーあ。それは多分、ぜんぶ嘘。私はただただ、もう、ただただ、力を尽くせと言われるのが辛かったのかもしれません。子どもって複雑ですね。辛かったのに、信じて生きてきたんです。力を尽くせば、才能に気づいてもらえるさと。

おそらく私の弟も、そこまで運動神経は良くなかったはずです。10近く歳の離れた、末っ子の男の子でした。お父さんは、どうしても野球をさせたかったのでしょう。まさかプロ野球選手にしようとは考えていなかったと思うけれど、弟を「全力思想」でしごいたんだと思います。成長した弟は、野球ではなく、お父さんをキライになってしまいました。お父さんを見ると口をつぐみ、まぶたがパッチパッチと震えるようになって、ビートたけしのように、肩がカックンカックンするようになりました。そして大人になった今では、連絡も取れません。

これはもう、性格のミスマッチだったんじゃないかと、私は思います。皮肉ですけどそれが、お父さんなりに全力で弟を育てた結果なのかもしれません。

私は、野球は大嫌いですが、お父さんのことは愛しています。全力思想を持ってる人って、そうやって言い聞かせてるんだよな自分に。って、今ならわかるから。だって、私がそうですから。才能が少なくても、全力。上手くいくかどうかより、全力。私がそうやって生きてしまっていますから。

昨日、同業の友人に、「手の抜きどころをおぼえたほうがいいと思うよ」と言われました。人生で、30回は聞いたワードでした。「手の抜きどころって、どこなのかわからない」と答えました。これもまた、40回は口にしたことのあるものでした。

「それはね、多分全部だよ。全方向、ちょっとずつ手を抜くんだよ」

わかりますか。わかるでしょうか。私と同じような、全力思想に縛られてどうしようもなくなってる人には、わかるんじゃないでしょうか。手を抜くって、ランキング形式だと思ってた。行動に優先順位をふって、最下位になった事項に対して手を抜くのだと、そういうことだと思ってた。思ってませんでしたか?

全部!全部!全部!全部手を抜く!

私のお父さんは、若い頃、日々に優先順位をふって生き抜いてきたんじゃないかと思います。1位は野球。2位も3位も4位も野球。遠く離れて、5位はその他の全て。手を抜くところ。全力で頑張れるものを見つけたら、それだけはやり抜きなさいと、私はそう言われて育ちました。

でも、全部。全部にちょっとずつ、手を抜け。

私、弟には好きに生きててほしいんです。私がお父さんを愛しているからといって、あんたが同じように愛する必要はないんだから。私らのことなんてさっさと忘れて、気持ちのいいように暮らしてほしい。家族なんかいないって、そう言って暮らしてほしい。自由にしていてよね。傷は、つけた方が悪いんだよ。

でも、もしもお父さんが。20年くらい前の弟に、「全部手を抜け」を言えていたら。私が、誰かが、それを言えていたら。弟は私たちのことを、ずっと好きでいてくれたのでしょうか。ねえ。ねえ。

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